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ANA杭州路線開設記念ツアー
2005年1月17日
蘇州・豫園・上海
蘇州 周山ジョウジュアン
引用;Wikipediaより
周荘鎮(しゅうしょう-ちん)
中華人民共和国江蘇省蘇州市崑山市に位置する鎮。
水郷古鎮の1つとして明・清代の建造物が残る。
古くは「貞富里」と称されていた。
北宋の元祐元年(1086年)、周迪功郎が仏教への篤心から自邸を寺院(全福寺)に約13ヘクタールの荘田を寄進、
周迪功郎の名を冠とし周荘と荘田と称されるようになった。

元代中期には、沈祐がこの地に拠り、子の沈万三が当主となると大いに栄え江南の大富豪として知られた。
沈万三は周荘が水運の要衝であることを活かし、食糧・絹等の集積地として発展させた。
また、周荘は手工芸品・絹製品・白酒等の生産地としても発展した。

明・清代になると江南地方における重要都市として発展、商業が隆盛し明初には約2,000人、
清代になると康熙年間には約3,000人の人口とされた。
清初までは「貞富里」が正式名称のままであったが、1662年(康熙元年)に周荘と改称された。
引用;Wikipediaより
 
豫園(よえんYUYUAN GARDEN)
上海市黄浦区安仁街に位置する明代の庭園。
「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意。面積は約2万m2。
もとは四川布政使(四川省長にあたる)の役人であった潘允端が
刑部尚書だった父の潘恩のために贈った庭園で、
1559年(嘉靖38年)から1577年(万暦5年)の18年の歳月を費やし造営された。
完成した時には父は没していたといわれる。清代初頭、
潘氏が衰えると荒廃するが、1760年(乾隆25年)、上海の有力者たちにより再建され、
豫園は南に隣接する上海城隍廟の廟園となり「西園」と改称された。
当時は現在の2倍の広さがあった。
1853年(咸豊3年)園内の点春楼に小刀会の司令部が置かれた。
1956年、西園の約半分を庭園として改修整備し現在の豫園となる。
残りの部分が豫園商城となる。
1961年に一般開放され、1982年は国務院により全国重点文物保護単位となる。
龍は皇帝以外使ってはいけないとされる生き物であったが、
皇帝が使用する龍は5本指に対し、龍壁の龍の指は三本指であり格下の龍とされる。
装飾や様式は伝統的(中華-上海的)でありつつ、周辺は中華的な高層建築物が並んでおり、
観光地として豫園商城と呼ばれている。
お土産物店や飲食店が軒を連ね、小籠包の本家を名乗る南翔饅頭店などがある。 
引用;Wikipediaより
 

上海市内

上海国際空港
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