エジプトの歴史要約
西暦
時代


紀元前
3000年
初期王朝メネス王がエジプトを統一メソポタミア文明
2650年古王国ジォセル王がサッカーラに階段ピラミッド建造
2550年
クフ王のピラミッド


カフラ王がピラミッドとスフィンクス建造


メンカフラ王のピラミッド
2490年

サフラー王のピラミッド
以後、古王国は衰退
インダス文明
黄河文明
2040年中王国エジプト再統一、テーベに都クレタ文明



バビロニア王国
1720年
アジアからヒクソスが侵入ヒッタイト
1680年
ヒクソスが下エジプトに王朝を設立

新王国





1565年
アメンホテプ1世がテーベに第18王朝を設立
1520年
トトメス1世がヌビア、パレスチナに遠征
1500年
ハトシェプト女王即位(トトメス1世の娘)


ハトシェプト女王葬祭殿の建築
1410年
トトメス3世即位


多くの軍事遠征を行い、エジプト最大の領土ギリシャ



ミケーネ文明
1365年
アクエンアテンの宗教改革


アテン神の一神教に改革


アメンホテプ4世がアマルナに遷都
1350年
ツタンカーメン即位


テーベに再遷都


アムン.ラーの多神教に変更
1320年

ラメセス1世即位
第19王朝開始

1275年
セティ1世アジアに遠征


ラメセス2世、カディシュの戦い
※カデシュはシリアのオロンテス川付近




ギリシャ都市国家


新王朝衰退
1080年
アケメネス朝ペルシアの支配
667年
アッシリアの支配
521年
ダレイオス1世の支配
401年
ペルシアの支配より脱する
343年
ペルシアの再支配弥生時代
332年
アレキサンダー大王のエジプト征服
304年
プトレマイオス朝
プトレマイオス1世即位
(アレキサンダー大王の部下)

31年


アクティウムの海戦
クレオパトラ・アントニウスがオクヴィアヌスに敗れる

30年
ローマ・ビザンツ帝国時代 クレオパトラ自殺
エジプトローマの属州に

紀元後
372年


パルミラのゼノビア女王がエジプトに遠征

395年

ローマ帝国東西に分裂
エジプト東ローマ帝国の属州に

641年以後イスラム時代アラブ軍がエジプト征服
1798
ナポレオンのエジプト遠征
1801オスマン朝ムハンマド・アリエジプトに
1869
スエズ運河開通
1914
イギリスの保護国
1922
イギリスから独立
1939
第2次世界大戦
1948
第一次中東戦争
1952
ナセル主導の自由将校団のクーデター
1953エジプト共和国時代エジプト・アラブ共和国成立
1956
ナセル大統領就任
1957
第二次中東戦争
1967
第三次中東戦争
1970
サダト大統領就任
1971
アスワンハイダム完成
1979
イスラエルと和平条約調印
1981

サダト大統領暗殺
ムバラク大統領就任

1997
ルクソールテロ事件

コプト正教会
Coptic Christianity、Coptic Orthodox Churchは、キリスト教の東方教会のひとつで、紀元2世紀にエジプトで独自に発展した非カルケドン派(東方諸教会)の一派である。コプト教会とも。
なお、カトリック・コプト教会は東方典礼カトリック教会であって別の組織である。

伝承では1世紀(42年頃)にマルコがエジプト(アレクサンドリア)に立てた教会(アレクサンドリア教会)である。451年のカルケドン公会議ののちカルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。

現在、エジプト・エチオピアおよびエリトリア・アメリカ・オーストラリアを中心に、総計5千万人のコプト系クリスチャンがいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。20世紀にエチオピア正教会が分離したが、教理上の違いはない。

エジプトは憲法で信教の自由を保障しており、基本的にはムスリムとコプトの間で差別は無いことになっている。しかし少数派という現実とイスラームからコプトへの改宗が殆ど無理なのに対して、コプトからムスリムへの改宗は何の問題にもならないことから、ズィンミー制度の残滓に基づく差別ではないかと国内のコプト教徒を中心に批判を浴びている。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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