ドイツ・オーストリア旅行記(7)
ライン
99.7.25
ウイーンの森へ

7月25日(日)
ところで泊まったファルケンスタイナーホテルは4つ星だった。
地下鉄の4線でピルグラム・ガッセという駅で降りて歩いて5分くらいで交通の便はよい。
地下鉄の駅の前に有名なアナナスホテル(ウイーンで最大と本に書いてあるが?)があった。
アナナスは団体客が多いとのことで、ホテル前には2台ほど大型観光バスが止まっていた。


ファルケンシュタイナーホテルは部屋は広く、バス付きだったので、まあまあというところだった。
予約の時の設備の欄ではシャワーまたはバスということだが、
よほど大きなホテルではない限り、シャワーだけだと思ったほうがよさそうである。
男はシャワーだけで十分だが女性にはシャワーだけというのは不評のようです。
午前中シェーンブルグ宮殿を見に行く、シェーンブルグには地下鉄4号線のシェーンブルンで
降りて歩いて行くと下の写真の正面の門に行き着く。
内部見学は全部と一部の区分があった。
説明用のレシーバーを貸してくれるが日本語がなかった(出払っていたのか、
初めからないのかよく分からなかった)ので説明用パンフレットをくれた。
部屋番号と説明文書が書かれているが、かなり説明は簡単である。
やはり、ツアーのようにガイドが必要である。
ツアーガイドがある部屋の絵の中の子供がモーツアルトと言っていたように思うが?(少し不確か)
見学後、庭の向こうの丘の上に建つグロリエッテ(1757年のプロシア戦勝利を記念)まで歩く、
かんかん照りで汗が出る。
内部はレストランになっていた。ここからウイーンの町並みが眺望できる。

シェーンブルグ宮殿 ウイーン 1999年
 
 
シェーンブルグ宮殿(裏側) 
 
 

アアウグスティーノ教会(ウイーン1999年) Augustinerkirche in Wien 1999
パプスブルグ家(Habsburg)の婚礼が行われた教会で、
地下にはパプスブルグ家の人々の心臓が納められている。
皇后エリザベート(Elisabeth Amalie Eugenie)と皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)
の婚礼もこの教会で行われた。
ウイーンの森ツアーに参加する。
ハイリゲンクロイツに行く、これはかなり古い時代の教会で、非常に戒律のきつい修道院だそうで、
真冬でも暖房はいっさい使わない、寝るときは床の上、
そのため修道僧の平均寿命は35才との説明だった。
この様子は以前映画で見たショーンコネリー主演の『薔薇の秘密』というのを思いだした。
建築様式の説明がおもしろい。
ロマネスクゴシックからバロックまでいろんな種類の建築様式が同じ教会内に混在している。
ロマネスク時代は壁の強度がもたないので大きな窓がとれず、
また装飾をしてはいけないとのことでステンドグラスはない。
ここにはイギリス王ジョン(マグナカルタで有名)と
仲が悪かった"闘争王" が葬られているのだそうです。
彼は十字軍遠征中のジョン王を捕まえ身代金を要求したそうです。

シューベルトの菩提樹の歌に出てくる井戸と菩提樹

ハイリゲンクロイツ修道院 
 
ハイリゲンクロイツ修道院
 ハイリゲンクロイツは、聖なる十字架という意味で、イエス・キリストが磔にされた、
十字架の木片の一部がこの修道院に運び込まれたことからその名前がついています。
 
 
ハイリゲンクロイツ 01

ハイリゲンクロイツ修道院(2) Heiligenkreuz in Wien No.2
マイヤーリンク Mayerling
1889年に、ハプスブルク家のルドルフ皇太子と男爵令嬢マリア・ヴェッツェラが心中した
皇太子の狩りの館が、今は修道院となっている。 

マイヤーリンクの狩りの館(現在は教会)

水車小屋(後)と「井戸」(左)
 シューベルトは1820年〜1826年の間に仲間とよくここを訪れ、
このレストラン、ヘルドリッヒスミューレには何回か滞在し、
緑豊かなこの地域で有名な「菩提樹」の発想を得た。
※ミューレは水車小屋という意味
 
ウィーン オペラ座
 
ケルントナー通り、ウィーンを代表する繁華街。
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