アマルフィ (Amalfi)

イタリア共和国カンパニア州コムーネ(都市)である。人口5,421人。ソレント半島の南東、サレルノ湾に面するアマルフィ海岸の中心地であり、観光の拠点である。周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に作られたから、断崖上に向かって形成されている街である。アマルフィ海岸は、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。
その起源は古代ローマ時代にまで遡る。海洋に面し、かつ複雑な地形に囲まれており、外敵の侵入を撃退するのに適していた。839年、ナポリ公国から独立を宣言してアマルフィ公国となり、イスラーム勢力との抗争のなかで、徐々に勢力を拡大させていった。872年にはサン・サルヴァトーレ島を守っていたイスラーム軍を海戦で撃破、この功績でビザンツ帝国からカプリ島を譲渡された。ただし、イスラーム勢力と対立しただけでなく、商業上の利益から同盟を結ぶこともみられた。アマルフィは、その後も公国の首都貿易の拠点として発展し、一時はピサヴェネツィアジェノヴァと地中海の覇権を争い、黒海にも商業活動を広げた。例えば、現ウクライナの都市セヴァストポリに、アマルフィの港の跡が残されている。アマルフィの人々は、航海に関する法典である「アマルフィ海法」を作成した。これが様々な海洋に関する法典の雛形となり、17世紀まで影響を持った。また、中国からイスラーム世界に伝わった製紙法がシチリア島経由でもたらされ、13世紀には製紙産業が勃興していた。アマルフィの最盛期は11世紀に達成され、その後急速に衰退した。1131年にはノルマン人による征服、1135年1137年はピサによる略奪、そして1343年での嵐によって都市の大部分が破壊された。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

アマルフィ 女神の報酬

Time to say goodbye(サラ・ブライトン)

アマルフィ海岸(YouTube)