ボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)
 ローマ市内、広大なボルゲーゼ公園の一画にあるこの美術館には、ボルゲーゼ家歴代の美術コレクションが展示されている。ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウルス5世を出した名門である。美術館の建物は、シピオーネ・ボルゲーゼ(1576年 - 1633年)が夏の別荘として建てたもので、1613年頃着工、完成は1616年(1621年とする資料もある)、設計者はオランダ人のサンテンである。シピオーネ・ボルゲーゼは枢機卿であり、当時の芸術家に多くの作品を注文したパトロンでもあった。建物の完成から約2世紀を経た19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトが、ボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出し、ルーヴル美術館に移してしまうという事件があった(当時、ボルゲーゼ家は経済的危機にあって所蔵の美術品を手放しつつあった。加えて、当時のボルゲーゼ家当主カミッロの妻はナポレオン・ボナパルトの妹ポーリーヌであった)。こうした事件を経てもなお、当館にはルネサンス・バロック期のイタリア美術の優品が数多く伝えられている。イタリアの国立美術館として公開されるようになるのは1902年のことである。1階には彫刻、2階には絵画を展示する。

枢機卿
 カトリック教会の用語で、教皇に次ぐ高位聖職者の称号。正式な称号は「聖なるローマ教会の枢機卿」(Sanctae Romanae Ecclesiae cardinalis)である。枢機卿(カーディナル)という言葉自体はラテン語の「Cardo」(カルド―蝶番)に由来している。これには枢機卿が教会にとって蝶番のように重要なものという意味がある。敬称は猊下(げいか)。
枢機卿は枢機卿団を構成しているが、三つの位階に分かれており、それぞれ「司教枢機卿」「司祭枢機卿」「助祭枢機卿」という。枢機卿の任命は教皇によっておこなわれる。教皇庁貴族ともいうべき枢機卿団は教皇の顧問団として二つの任務を帯びている。一つ目は、教皇を補佐して教皇庁の運営に携わり、聖省の長官などの高級行政官として、あるいは教皇特使、すなわち教皇の名代としてヴァティカンの高級外交官としての勤めに携わる事である。二つ目はさらに重要なことだが、枢機卿団が教皇選挙権を持ち、互選によって教皇を選出する務めを持っていると言う事である。(教皇選挙をコンクラーヴェという。)
                                                引用:フリー百科事典英語版Wikipediaより

You Tubeに投稿されたボルゲーゼ美術館の紹介