ナポリ市(伊: Comune di Napoli)

は、イタリア南部・カンパニア州の州都で、ナポリ県の県庁所在地である。世界三大夜景の街として有名。ナポリ語が話されていて、ナポリ語での名称はナプレ(Napule)となる。英語名はNaples(ネイプルズ)。

「ナポリを見てから死ね」(日本のことわざでいうところの「日光を見ずに“結構”と言うな」)と言われるほど風光明媚な土地としても知られる(但し、現在では「ナポリが死なないうちに見ておけ」という皮肉の意も含まれる)。ナポリ市の人口は約100万で、ナポリ都市圏の人口300万だが、古くから過密が社会問題になっている。

イタリア以外の外国人が想像する輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージは、この都市が元になっている。その一方で、今日でもカモッラによる影響が強い都市としても有名である。

ナポリ市は、紀元前6世紀に古代ギリシア人(特にアテネ人)の植民活動によって建市されたと考えられている。「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり[1]、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味である。その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にあったが、476年の西ローマ帝国滅亡後、南イタリアは東ゴート族やランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となった。6世紀になると、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナを首府とするビザンツ帝国の属州となった。ナポリ市には660年にビザンツ系の公国が設置されている。

11世紀にはノルマン人が南イタリアに到来し、イスラム教徒が支配するシチリア島を征服してシチリア王国(オートヴィル朝)を建国するが、ノルマン人の支配は南イタリアでも拡大され、ナポリ公国も1140年ノルマン人の手に落ちた。12世紀にはシチリア王国は婚姻関係によってホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の支配に移った。1224年には異色の皇帝フェデリーコ2世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がナポリ大学を設立した。

フランスの王族シャルル・ダンジューによりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇クレメンス4世は1266年、シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家は王国の首都をパレルモからナポリに遷都した。しかし1284年、シチリアの晩鐘事件を契機にシチリア島で反乱が起こると、アラゴン王ペドロ3世がシチリアを占領するが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は2つに分割された。2つの王国は共に「シチリア王国」を公称していたが、この時にナポリ王国が成立したと見ることができる。

トラスタマラ家のアラゴン王アルフォンソ5世はシチリア王を兼ねていたが、内紛続きのナポリ王国を征服して、1443年にナポリ入りし、2つの「シチリア王国」の王を兼ねた。アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治した。1458年のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世としてナポリ王位のみを継承するが、失地回復をめざすフランス・ヴァロワ朝のシャルル8世がこれにつけ込んで、1494年にナポリを武力占領した。これに対してスペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)から派遣されたコルドバ将軍は、1503年にナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放した。ナポリ王家は取り潰され、スペインのナポリ総督によって支配される属州となった。

スペイン継承戦争(1701年 - 1714年)のさなか、1707年にオーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われた。オーストリアの支配は1734年まで続く。ポーランド継承戦争が起こると、フランス・ブルボン家はスペイン・ブルボン家の支援を求め、1734年にスペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復した。カルロスは1759年にスペイン王カルロス3世として即位した際、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世に譲った。この1734年をもって両シチリア王国の成立とする見方もある。ただこの時は正式名称としては使用されなかった。

ナポレオン戦争の間、ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放され、シチリアを領有するのみとなった。ナポリは1806年から1815年にかけてナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ、次いで妹婿のミュラを王に戴くことになる。1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くと、間もなく国名を正式に両シチリア王国とした。1860年、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌1861年に成立するイタリア王国に併合された。

1995年、世界遺産(文化遺産)『ナポリ歴史地区』として登録された。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

サンタルチア(イタリア語バージョン)

サンタルチア(日本語バージョン)

サレンダー(エルビス・プレスリー)
『サンタルチア』歌詞
Sul mare luccica, l'astro d'argento
輝く海の上に銀の星があり

Placida e` l'onda prospero il vento; 
波は穏やかで、風は順風に吹く

Venite all'agile barchetta mia;   
私の小舟よ、軽快に行こう

Santa Lucia! Santa Lucia!
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

Con questo zeffiro cosi` soave,
こんなに柔らかい西風と一緒に

Oh, comm'e` bello star sulla nave!
ああなんて美しい、船の上にあるものは

Su passeggeri, venite via;
乗り人よ、あちらへ行こう

Santa Lucia! Santa Lucia!
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

In' fra le tende bandir la cena,
テントの間に食事の用意を

In una sera cosi' serena. 
夕方には小雨が降るから

Chi non dimanda, chi non desia;
誰も頼まず誰も望まないが

Santa Lucia! Santa Lucia!
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

Mare si' placido, vento si' caro,
海はとても穏やかで、風はとても優しく

Scordar fa i triboli al marinaro.
その前には海の辛さも忘れてしまう

E va gridando con allegria:
喜びとともに大きな声で唱えて行こう
Santa Lucia! Santa Lucia!
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

O bella Napoli, o suol beato,
ああ美しいナポリ、幸せな土地

Ove sorridere volle il Creato,
そこでは創造主が望み微笑む

Tu sei l'impero dell'armonia, 
そなた(ナポリ)は調和の帝国だ

Santa Lucia! Santa Lucia!
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

Or che tardate? bella e` la sera;
おぉ、何を待ち望むのか?夕暮れの乙女よ
Spira un'auretta fresca e leggiera; 
涼しく軽いそよ風が舞う中で

Venite all'agile barchetta mia;
私の小舟よ、軽快に行こう

Santa Lucia! Santa Lucia!
聖ルチアへ!聖ルチアへ!