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JALに乗ったはずなんだが? 記憶が薄れて分からない (コードシェアー便かもしれない) |
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JALのアテンダントと記念撮影 |
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バッキンガム宮殿 |
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クイーンビクトリア記念碑 |
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タワーブリッジ |
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ノートルダム寺院 |
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ナポレオンの墓 |
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ルフトハンザ |
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ウィスバーデン は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州の州都である。
15の温泉源および鉱泉源を有しており、
ヨーロッパで最も古い温泉地の一つである。
ヘッセン州第2の都市である。
引用;Wikipediaより |
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ライン川下り |
ライン川の中洲に建つプファルツ城 |
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マインツ駅 |
マインツ中央駅 |
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はじめてコンパートメントタイプの列車に乗りました。
『007ロシアより愛を込めて』でオリエント急行のコンパートメントタイプの列車を見て
一度は乗ってみたいと思ってました。
これくらいゆったりした大きなシートなら、長距離移動には楽ですね。 |
TEE(Trans Europ Express) ラインゴールドの車内 |
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ラインゴルト (Rheingold)
オランダとドイツ南部、スイスなどを、ドイツのライン川沿いを経由して結んでいた昼行の国際列車である。
1928年から第二次世界大戦による中断を挟んで1987年まで運行されており、
1965年からはTEEの一列車でもあった。
1951年から1954年まではラインゴルト急行 (Rheingold Express) という名称だった。
オランダ側の起点はアムステルダムおよびフーク・ファン・ホラントであり、
スイス側の終点は時期によりバーゼルまたはジュネーヴなどである。
また1983年以降はミュンヘン方面への分岐も存在した。
列車名はドイツ語で「ラインの黄金」を意味し、
リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」の元にもなった
中世ドイツの叙事詩ニーベルンゲンの歌に登場する、
ライン川の底に沈められたニーベルンゲン族の財宝に由来する
引用;Wikipediaより |
シャモニー・モンブラン駅 |
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エギーユ・デュ・ミディ(Aiguille du Midi) |
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ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 |
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アルターレ・デッラ・パトリア(Altare della Patria、国父の祭壇)
イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)、
或いは短くヴィットーリオ(Vittorio)と呼ばれる場合もある。
他に無名戦士の墓としての役割も兼ねており、祭壇が設置されている。
建物は首都ローマの中心地に位置しており、ヴェネツィア広場とカピトリーノの丘の間に建設され、
1911年に完成した。
設計は建築家ジュゼッペ・サッコーニが担当したが、
彼の案は建設当時から現在に至るまで賛否を分けている。
引用;Wikipediaより |
サンピエトロ大聖堂 |
バチカンのスイス衛兵 |
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バチカンのスイス衛兵
バチカン市国とローマ教皇を警護する衛兵のことである。
スイス傭兵を使用したことから「スイス衛兵」「スイス傭兵」などと言われる。
現在のスイスは、傭兵を禁止しているが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されている。
21世紀現在では数少ない傭兵隊であり、現存する国軍では創設時期が最古の軍である。
引用;Wikipediaより |
サンピエトロ大聖堂のドーム |
サンピエトロ大聖堂 |
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ドーモの屋上 |
サンピエトロ広場 |
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トレビの泉 |
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ポポロ広場Piazza del Popolo 双子の教会 |
スペイン階段 |
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コロッセオ |
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 |
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ローマ発 09:10 AZ282(アリタリア)
ロンドン着 10:30 JL412(日本航空)
ロンドン発 14:00 →コペンハーゲン→アンカレッジ→羽田 |
ヒースローからコペンハーゲン |
コペンハーゲンからアンカレッジ |
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アンカレッジから羽田 |
1975年のドル交換レートは1ドル301円、トラベラーチェックのほうが少し安かった。 |
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