マニラ 1977年
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 マニラ国際空港
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フィリピン プラザ ホテル
マニラ湾の夕日 
 リサール公園 

ホセ・リサール記念像
 ホセ・プロタシオ・メルカード・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ

(スペイン語: Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda,1861年6月19日 - 1896年12月30日)
は、フィリピンの革命家、医師、著作家、画家、学者。
フィリピン独立運動に取り組んだことから「国民的英雄(Héroe Nacional)」と称される。
通称はホセ・リサール(スペイン語: José Rizal)。
引用;Wikipediaより 
リサール記念館The Rizal Shrine 
 コレヒドール島観光

コレヒドール島へはホバークラフトで(画像真ん中)
 コレヒドール島(Corregidor)
フィリピン、ルソン島マニラ湾の入り口に浮かぶ小島。
スペイン統治時代、コレヒドール島には検問所がおかれ、マニラ湾に入る船の検査が行われていた
(コレヒドールという名前はスペイン語の「厳重に検査する」に由来する)。
米西戦争によってフィリピンの統治者がアメリカ合衆国に変わった。
アメリカ軍はコレヒドールに1902年にフォート・ミルズ基地を置いて戦略上の要衝とした。
また、アメリカ軍は大量のコンクリートを使用し、巨大な大砲を設置して
コレヒドール島を鉄壁の海上要塞とした。

第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)12月に日本軍がフィリピンに攻め入ると、
アメリカ極東陸軍(米比軍)のダグラス・マッカーサー将軍はコレヒドールに司令部を置いて防御戦闘を指揮したが、
大統領の指令により1942年(昭和17年)3月に家族やマニュエル・ケソンフィリピン共和政府大統領ら
と共にオーストラリアへと逃れた。
同年4月にバターン半島の米比軍は降伏したが、
コレヒドール島は残って戦いを続け、
同年5月6日になってコレヒドール守備隊は降伏した。

その後は日本軍の占領下におかれたが、
1945年(昭和20年)になり戦況がアメリカを含む連合国軍に有利に逆転すると、
マッカーサーはアメリカ軍やオーストラリア軍によりフィリピンの日本軍を圧倒した。
マッカーサーはコレヒドール島奪回にもこだわり、
同年2月に第503空挺連隊戦闘団の空挺降下作戦により再占領した。

現在、コレヒドールには第二次大戦中の武器や要塞設備が保存されており、
巨大なマリンタ・トンネルや廃墟となった兵舎などを含めた観光スポットになっている。
引用;Wikipediaより
 マリンタトンネルは、フィリピンのコレヒドール島にある米陸軍工兵隊によって建設されたトンネル複合施設です。
当初は防爆保管庫と人員用バンカーとして使用されていましたが、
その後、1,000床の病院として装備されました。
東から西に走るメイントンネルは、長さ831フィート、幅24フィート、高さ18フィートです。
引用;Wikipediaより
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