猫 単純さ、まこと愛すべし 小池 光
日経新聞 2010年10月10日朝刊『うたの動物記』コラムより
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十年ほど前、この家に引っ越してきたとき、草ポウボウの庭に、若い黒トラのノラ猫がちょこんと座っていた。
引っ越しの一部始終をおもしろそうに眺めていた。
じぶんの方が先住民であるといわんばかりの顔であった。
やがて近寄ってきてエサをやれば食い、手を出せば嘗め、幾日もしないで家に上がり込んで住み着くようになった。
元来が猫好きだったので、これも運命、なるようになったまでの流れといえる。
小さいメス猫で不妊手術が施されている。
この家の前の住人が飼っていて、引っ越しのとき置いていったものらしいが、全然違ういきさっかも知れない。
いくら猫に尋ねても答えはついに返って来ず、永遠の謎である。
この猫が歌の素材になる。観察していると飽きない。
歌材に困ると猫を詠む。
この十年あまり、たくさんこの猫から歌を拾わせてもらった。恩人のひとり。
『肛門を最後に嘗めて眼を閉づる猫の生活をわれは愛する』 小池光
がば、と眠りから醒めて、気が狂ったようにからだを嘗め出す。
嘗め方に順序があってまず前足を嘗め、背中、脇腹を嘗め、後ろ足を嘗め、大股広げて肛門を嘗めて終わる。
そうして一転して静かに瞠目(どうもく:目を見はる)する。この単純さ、まこと愛すべし。・
『かゆいとこありまひえんかと言ひながら猫の頭を撫でてをりたり』 同
理髪店で頭を洗われるとき、きまって「かゆいとこありまひえんか」と聞かれる。※
といわれても返答に困るものだ。
同じ口調で猫の頭を撫でている。
『ねこじゃらしに強く反応せしころのきみを思へり十年が過ぐ』 同
十年前はネコジャラシを目先にひらひらさせるとムキになって興奮したものだ。
今は見向きもしない。
日がな一日ただ眠っている。
つまり年相応に老猫になったのである。
すると、猫に対し「きみ」と呼びかける感覚にも、いつか違和感がなくなっていた。
これは猫のかたちをした一匹の浮世の仲間である。
動物は面白い、なかんずく猫は。最終回なので自作を一寸ご披露した。
(歌人) |
※『秘密の県民ショー』によると、これは関西圏の理髪店だけだそうだ。 |