2011年5月29日 どこに消えた?
少し、暑くなったと思ったら、梅雨入り宣言。
また、少し涼しくなってしまった。
しかし、我が家のバニラは季節の移り変わりには敏感で、猫小屋に入らず寝るようになった。
朝の5時頃までは妻の布団の横で寝ている。
私が起きる頃には鏡台の前で寝ている。
もう少し暑くなるとカーテンとガラス戸の間が寝床になるはず。

今日は日曜日、家族全員が家にいるといつのまにか雲隠れ。
昼過ぎまで待っていたが出てこない。
どこにいるのかと思ったら押し入れの中にいた。
寝ているのを起こされて少しいやな顔をする、猫も表情が豊かだ。
箱を新しくしてやりたいのだが適当なものが来ないので噛みまくった箱のまま。

大阪府医師会報に猫のエッセイが出ていた、少し悲しい内容だが、下に内容を引用
ふしぎな猫たちの話
住吉区医師会報 第373号 平成22年11月号より
その1  息子のお礼を言った父猫のはなし
 5年前庭に現われた三毛ママの5匹の子猫のなかに1匹、白と黒のオス猫がいました。
手足も尻尾も長い美しいオス猫で、三毛ママがどこかへ行ってしまった後も庭に住み着いていましたが、1月のある寒い日、突然重い病気になり獣医さんに診てもらいましたが原因不明。
数ヵ月間看病しましたが、その甲斐なく死んでしまいました。
 ところでこの猫は全くの野良で、名前も見たまま「白黒」と呼んでいたのですが、この白黒にそっくりなオスの飼猫が近所にいて、私と家内はムーミンパパやバカボンのパパの要領で「白黒のパパ」と呼んでいました

元気な頃の白黒
この白黒のパパ、気候の良い時は近くの駐車場の日当たりのいいところで陽なたぼっこをしているのを遠くから見掛けるだけでしたが、白黒が死んですぐのある日、私と家内が駐車場を通り掛かると、なぜかすたすた寄ってきて両前足をそろえて行儀よくすわって、こちらを見るのです。
私たちも立ち止まってこの猫をしばらく見ていました。
その時、私たちはこの猫が間違いなく白黒のパパで、息子がお世話になりありがとう、といっているのに違いないと感じました。
 猫は夜中に集会をして仲間の消息を伝えあうのだとか。
そういえば一度白黒の兄弟の自メス猫が庭に現われた時、白黒の入った箱を庭に出してやったことがあります。
その時、2匹は顔を近付け、じっと見つめあっていました。
白黒が倒れてから他の猫に会ったのはこの一度きりでしたが、きっと白黒のパパにも息子の消息が伝わっていたのではないか、と思うのです。
 その後も2年ほどは駐車場で陽なたぼっこをしているパパをよく見掛けましたが、こちらに気付いても近付いてはきませんでした。
ところがある秋の日、またすたすたと近付いて来るではありませんか。
そして今度は改まった様子もなく、足元にじゃれついてきました。
私は初めてパパを撫ぜることができました。ところが間もなく、パパの姿は見られなくなってしまいました。
辺りをよく見ると飼い主の家のガス栓が封印されていました。
 猫は自分の未来を察知することができるのかもしれません。
自分が遠いところに行くことを知って、お別れを言ってくれたのだと、私は信じています。

その2 もらった食物のお札をする母猫のはなし
 話は三毛ママがはじめて白黒ほか5匹の子猫を引き連れて我が家の庭に現われた時まで戻ります。
三毛ママ一行は庭に2〜3泊してはどこかへ行き、また数日して現われるというパターンを繰り返していました。
一度いなくなると、ついつい心待ちにしてしまうもので、再び庭に現われると私と家内はチーズやらハムのかけらを投げてやりました。
おやつ程度の量ですが、子猫たちが全員食べるのを見届けてから自分も食べ、食べおわるとまるでお礼をいうように前足を行儀よくそろえてしばらくこちらを向いて座るのです。
礼儀正しく、人間との付き合い方を心得たママ猫でした。
もっとくれ、といっていたのかもしれませんが。

その3 ルールを守ってサッカーする猫のはなし
 三毛ママの5匹の子猫は成長し、三毛ママが1年ほどで何処かへと立ち去ったあとも庭に残った猫の内の2匹は、たまたま庭の隅にあった1.5メートル四方の何も植えていない平らな地面をグラウンドにして、庭に落ちた3センチほどのマツカサをボールにサッカーを始めました。
しかもちゃんとルールがあって、ボールがグラウンドから飛び出すと必ず決まった元の位置までくわえて戻して、また再開するのです。ただし彼らがボールを蹴るのは前脚つまり手ですが。
2匹はルールを守って冬の寒空の中、延々とサッカーに興じていました。
 もう5年も前のことで、今はその猫たちもどこかへ去って、小さなグラウンドも草が生い茂り、思い出の写真だけが残っています。
なお、この写真の自メス猫は、白黒が最後のお別れをした猫でした。

今、庭に住んでいる唯一の猫

毎日新聞 2011.5.27 夕刊

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