2017年10月4日(水) 6日目
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残念ながら、朝から雨、旧市街の道路は側溝がないので雨水が石畳を流れていく。
新市街の考古学博物館に行くことにした、
ホテルの前にネコがいました 
ホテルの食堂です、相変わらず野菜が少ない 
早朝のドウォーモ 
 シラクーサ〔Siracusa〕は、ギリシャ時代にはアテネと同じぐらいに繁栄した。
有名なアルキメデスが生まれた町で、また、太宰治の小説「走れメロス」の舞台となった町でもある。
古代にはローマに征服され、9世紀にはアラブに支配された。パレルモが州都になるまでは、シラクーサがシチリアでもっとも重要な町だった。1990年代から荒れていたオルティージャ島の再開発が行なわれ、2005年に世界遺産に登録された。
引用元

市役所、大聖堂、サンタ・ルチア教会

市役所Comune di Siracusa

マリーナ門
 
アポロ神殿、紀元前7世紀末の神殿遺跡、ほとんど残ってません。 期待外れ・・・
紀元前6世紀末に建てられた周柱式ドーリア式神殿で、シチリアを含むギリシャ世界で最も古い石造りの神殿と言われている。
神殿は、ビザンチン時代に教会、アラブ時代にモスク、ノルマン時代に再び教会、16世紀のスペイン時代には兵舎に改築されました。1693年の大地震で崩壊後、地面の下に埋もれていましたが、1860年に発掘された。
引用元
 マリーナ門を通ってアポロ神殿あたりまで歩いて行った、
雨なので徒歩で行くのは諦めてタクシーで行くことにした。
タクシー乗り場が分からない、道を歩いている人に聞いたら親切に教えてくれた。
 
 パオロ・オルシ州立考古博物館
パオロ・オルシはPietro Paolo Giorgio Orsi ( 1859 - 1935 )はイタリアの有名な考古学者で北イタリアのロヴェレート出身です。
先史時代からギリシャ時代を超え古代ローマ時代までの、シラクーサだけでなく、シチリア東部〜中部全体の発掘品が、時代ごと、町(植民地)ごとに展示されている。
引用元
ものすごい数の収蔵品です。とても短時間では見切れません。
この収蔵品の十数個あれば日本では大変な発見になるでしょう。

こんな形をしています
ランドリーナのヴィーナス 、2世紀頃の作。
ランドリーナはこの像を見つけた考古学者である。
photogalleryギャラリー
 
モーパッサンがミロのヴィーナスより美しいと言ったそうだ。シクーサの至宝と言われている、
ギリシャのオリジナルではなくローマ時代のレプリカと考えられている、

アルテミスのつぼ 紀元前4世紀

ゴーゴンGorgon 紀元前7世紀の終わり頃
右手にペガサス(神話ではゴーゴンの血から生まれた)
『オデュッセイア』ではゴルゴーンは下界の魔物とされる。ヘーシオドスは『神統記』でゴルゴーンをステンノー、エウリュアレー、メドゥーサからなる3姉妹であり、海神の娘達であるとしている。さらにメドゥーサが自分の美貌を女神アテーナーに自慢したため、その怒りに触れて醜い姿にされたとする説も唱えられた。
引用;Wikipediaより 

アスクレピオスの頭 紀元1世紀

アスクレピオス
引用;Wikipediaより

アスクレピオスの全身像 
アスクレーピオス( Askl?pios)は、ギリシア神話に登場する名医である。
優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっている。
引用;Wikipediaより
紀元前4世紀頃のものをローマ時代にコピーしたもの。
蛇が巻き付いたつえを持ってる。

ヒュギエイア(Hygieia)
紀元前4世紀のオリジナルを紀元前2世紀頃にコピーしたもの。
ヒュギエイア
ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司る。ローマ神話ではサルース(ラテン語: Salus)の名で呼ばれる。
引用;Wikipediaより

石棺

夫婦でしょうね
すごいコレクションと思うのだが、日本語の解説がないと分からない。
しかし、日本ではまだ弥生時代にこんなものを作るローマ人はすごい。 
博物館を見学して、ネアポリス考古学公園に向かいましたが、雨が止みません。
雨の中を歩いてネアナポリスに向かいました。
 
州立考古学博物館とネアポリス考古学公園
サントゥアリオ・デッラ・マドンナ・デッレ・ラクリメ教会 
santuario della Madonna delle Lacrime
日本語では涙する聖母教会となります。
シラクーサには似つかわしくない近代的な建築の教会です。
この教会は1957年に国際コンペで勝ったフランスの建築家Michel AndraultとPierre Paratによって設計された。 工事は1966年に開始したが、極端な近代的デザインのため、市民からの多くの論争があり、この教会を「 鉄筋コンクリートの怪物 」と言われたりしたが、1994年にやっと完成した。
引用;Wikipediaより
 
公園の地図


古代ローマの円形闘技場


ギリシャ劇場
 ニンフの洞窟 Grotta del Ninfeo 
ニンフ (Nymph) は、ギリシア神話に登場する精霊あるいは女神ニュンペーの英語読み
 
Houelによって描かれたNinfeeの洞窟

i石切場の跡
デイオニソスの耳 
 
Orecchio di Dionisio in Siracusa Oct 04 2017 - Spherical Image - RICOH THETA

ディオニソスの耳360度パノラマ
ディオニソスの耳
シラクーサの町を囲む城壁は、上記の石切り場から切り出されたものを使っていた。
石切り場では多数の捕虜が働いており、彼らが石を切り出した後は大きな洞穴となって今も残っている。
ディオニソスは洞穴の天井に小さな穴を開け、これはメガフォンのような役目をはたし、洞穴内で捕虜の話がよく聞こえた。
ディオニソスは、捕虜たちの話の盗み聞きし、敵の動きを察知しようとしたと言われている。
それで石切場の洞穴は、『ディオニソスの耳』と呼ばれている。
実際、行ったとき、洞窟内でコーラスをやっている団体があり、音響効果は抜群でした。
ディオニュシオス1世(紀元前432年ころ - 紀元前367年)
現在のイタリア南部シチリア島にあった都市シュラクサイ(現在のシラクサ)を支配した、ギリシア人の僭主。
ディオニュシオス1世はシチリア島内やイタリア半島南部の数都市を征服し、カルタゴの勢力がシチリア島へ及ぶことに抵抗して、シュラクサイを古代ギリシアの西方植民都市の中でも最も有力なものに成長させた。
古代の人々の間で、ディオニュシオス1世は、残虐で猜疑心が強く、執念深い、最悪の暴君のひとりと見なされていた。
引用:wikipedia
 
ディオニソスの耳
雨が止まない。タクシー乗り場を探したらあった。
ズボンと靴がかなり濡れたのでホテルに一度戻ることにした。 
着替えてから、昨日入らなかった、大聖堂に行ってみた。
 
大聖堂広場 右手が大聖堂広場

シラクーサの大聖堂
シラクーサのドォーモ(大聖堂)
シラクーサの守護聖女聖ルチア奉る大聖堂は、もとは紀元前480年のヒメラの戦いでカルタゴを破ったシラクーサが、カルタゴの賠償金で建てた女神アテナに捧げられた神殿だった。
ビザンチン時代になると、神殿は教会に改築され、神殿の外側の円柱と円柱の間に壁を作り教会の外壁とした。内部に神殿の柱が見えている。
現在のバロック様式のファザードは、1693年の大地震後、アンドレア・パルマの設計で再建されたものあある。
ドォーモ内部のサンタ・ルチア礼拝堂には、聖ルチアの骨の一部と、聖ルチアの銀製の像が安置されているが、普段は祭壇の奥に安置され、拝観出来ない。
引用元

サンタ・ルチア礼拝堂
Santa Lucia サンタルチア
サンタ・ルチアとは、3世紀後半から4世紀初頭のイタリアにおける実在の人物で伝説では以下のように伝えられている。
ルーシー(ルチア)は、イタリアのシチリアのシラクーサの裕福な家庭に生まれた。 彼女は熱心なキリスト教信者だった。
彼女の母親は長年難病を患っていたが、ルーシーがキリスト教の聖人アガサ(St.Agatha)に祈り続けた結果、その難病が奇跡的に治った。このことで母親もルーシーがキリスト教へ生涯を捧げることを許した。
その頃、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245-313)はキリスト教の勢力拡大に危機感をいだき、キリスト教徒を迫害していた。以前に結婚を断った異教徒の男の恨みを買い、彼女はキリスト教徒だと密告され、捕らわれの身となってしまう。
彼女は厳しい拷問を受け、目をくりぬかれ、短剣で殺されてしまう。それで、聖ルーシー(ルチア)は、目の見えない人の守護神として崇められている。ルーシーは「Lux(光・ルクス)」に由来することから、暗闇を照らす光の守護神ともされている
引用元

神殿の柱が見える
ドゥオーモ内アテナ神殿のドーリア式の柱

洗礼堂の泉水盤

洗礼堂の床のモザイク

13世紀の7頭のヘレニズム期のブロンズ製ライオンで飾られた洗礼盤 

Dono Della famiglia Bianchini Angelo

雪の聖母 
アントネッテ・ガジーニ

アレクサンドリアの聖カタリナ(16世紀)
作者不詳

聖母と幼子15世紀アントネッテ・ガジーニ

サンタ・ルチア
 
シラクーサの大聖堂内部
 パレルモでアントネッロ・ダ・メッシーナの受胎告知を見れなかった。
このシラクーサのベッローモ宮州立美術館にもあるとのことなので見にいくことにした。
その前に昼食をとることにした。
アルキメディス広場にテイクアウトのピザ屋があったので立ち食い、かなり客が来ていた。

雨のアルキメディス広場
 
Fontana di Diana
 


テイクアウトのピザ屋さんでピザを昼食に
撮影忘れたのでGoogle mapより引用

美術館に行く前にもう一度アレトーザの泉を見に行くことにしました

ローマ通りの向こうに海が見えています
 
アレトーザの泉、真ん中の草は真水にしか育たないパピルス草
泉のすぐ横は海岸なのに、塩分のない真水が湧き出ている。水の流れる傾斜と周囲の破砕した岩の性質が淡水を維持していると考えられている。
ベッローモ宮州立美術館 Galleria Regionale del Palazzo Bellomo 

右が美術館です

美術館の中庭
ベッローモ宮州立美術館 Galleria Regionale del Palazzo Bellomo
美術館はベッローモ宮の敷地内にあります。
宮殿の起源は、 ホーエンシュタウフェン (中世のドイツ王朝(1138-1254)で ドイツのほかに、シチリア王国 (1194-1268)も統治していた)の統治時代であった12世紀にさかのぼる。
宮殿の建物には12世紀頃の外観を保っている。 改築が14世紀に行われ、 15世紀にはシラクーサの貴族のベッローモ家の所有になっていた。 
この宮殿の様式がカタロニアのゴシック様式に大きな影響を与え、アラゴン王朝時代のシチリア時代には人気のある建築スタイルだった。
 18世紀には、宮殿と近隣のパリジオ宮殿が一つにまとめられ、ベネディクト派の修道院に引き継がれた。 1866年にはイタリア国家に宮殿が没収され、1940年以後は美術館となっている。
2004年から2009年に改装が行われた。
引用;Wikipediaより

 大天使ガブリエル

アントネッロ・ダ・メッシーナの受胎告知

マリア
 彼の若い頃の作品なのでパレルモのより、かなり格落ちでした。
パレルモの受胎告知を見たかった。残念です。

聖クレアの奇跡
17世紀頃の作
 
無原罪の御宿りと聖クレア 
Gulliiermo Borremans作 18世紀頃
1234年、シチリアからフレデリック2世の軍隊(多くはサラセン人)がアッシジを含むウンブリアの一部に侵攻、し略奪行為を行っていた。 軍隊がアッシジのサン・ダミアーノの修道院に侵入しようとしたとき、クレアが礼拝堂からシボリリウム(聖体容器)を取り出し、兵士が上ってくる梯子の上の窓に持って行き、シボリウムを高く上げると兵士たちは梯子からころげ落ち、逃げだしたた。  Guglielmo Borremans 
著名な後期バロック様式の画家の一人で Palermo、1744年パレルモで亡くなった。17世紀後半のフランドル派の画家で、イタリア、特にナポリ、コセンツァ、シチリアに作品が残されている。
引用;Wikipediaより
写真撮影OKでした。ということはあまり重要なものは展示されていないということなのでしょう。 

聖ルチアの殉教 
マリオ・ミンニーティ作1577-1640

サンタ・ルチア・アッラ・バディア教会 
カラバッジオの「聖ルチアの埋葬」がある
残念ながら見れなかった
マリオ・ミンニーティ(1577-1640i) 
シチリア州シラクーサに生まれ、カラヴァッジョ(1571-1610)の友人(恋人とも言われている)、彼のモデルにもなっている。聖ルチア殉教で成功し、工房をを設立し、地元のビジネスマンになった。助手や生徒による共同制作の絵画が多く、どれがミンニーティ自身の手によるものか特定することは出来ない。彼がカバッジオから学んだ劇的な強さの瞬間描写をシチリアにもたらしたことは明らかで、彼はシチリアで高く評価されている。
引用;Wikipediaより
大地震の後、1695年〜1703年にかけてバロック様式で再建された。単廊式の教会で、内部は漆喰とフレスコ画と絵画で装飾されている。
2009年から、中央祭壇の上に、カラバッジョが1608年から1609年のシラク―サ滞在中に描いたサンタ・ルチアの埋葬の絵が展示されている。
引用元

カラバッジオ作 果物籠を持つ少年(1593-1594)
モデルは16歳の時のマリオ・ミンニーティ

聖ルチアの埋葬 サンタ・ルチア・アッラ・バディア教会
マルタ島で喧嘩が原因で投獄されたカラヴァッジョは、昔からの知り合いのシラクサ在住のマリオ・ ミンニーティを頼ってシチリアへと逃れた。二人はシラクサを離れてメッシーナへと出発し、最終的にシチリアの首都パレルモに到着している。カラヴァッジョは旅先の各都市でも画家として活躍し、多額の謝礼を受け取っていた。
このシチリア時代の作品には『聖ルチアの埋葬 (Burial of St. Lucy)』(サンタ・ルチア・アラ・バディア教会所蔵、1608年)があり、シチリア時代にカラヴァッジョの作風は進化し、彼がシチリアで描いた祭壇画は陰になっている部分が多く、薄暗く広い背景に数人のみすぼらしい人物が描かれている構図という他にあまり例のない作品になっている。一方で彼の素行不良は改まらず、他人の作品を根拠なく誹謗してその絵画を引き裂いたりしていたという記録が残っている。 
引用;Wikipediaより
 
風神・雷神図みたいです
夕食をどこにするか、Tripadviserで検索をかけたら、トップにSicilia in Tavolaのいうのが表示された。
値段もリーズナブルで味もいいとのこと、ホテルからも近いので行ってみた。
予約があり満席で断られた、仕方がないので付近をぶらついてトラットリアSpizzuliamuという店に入った。
あとで調べたら、昨日夕食にいった2軒となりだった。
 
レストランの地図、地図の縮尺の関係で大きく表示されていますが、ホテルから近いです

海鮮のからあげ、これもいける味

シラクサ風サラダ

この海鮮リゾットがうまかった。注文して正解。

雨が降っていなければ外にもたくさん人がいたのに。
 
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

トラットリアSpizzuliamu360度画像
飛行機の都合で 明日はローマで一泊することになっています。
今日は1日中雨でした。日本でもこの季節は天候が変わりやすいので仕方がないでしょう。
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