イサベル1世 (カスティーリャ女王)
イサベル1世(Isabel I de Castilla, 1451 - 1504)はトラスタマラ朝のカスティーリャ女王(在位:1474年 - 1504年)。夫フェルナンド2世と共にカトリック両王と称される。

生涯
 イサベル1世はカスティーリャ・レオン王国の王フアン2世と2番目の妻でポルトガル王女(ジョアン1世の息子アヴェイロ公ジョアンの娘)イサベルの長女として生まれた。イサベルという名は母から娘へと受け継がれてきた名前であり、このイサベルですでに7代目だった。初代は13世紀ポルトガル王妃で聖人に任ぜられたイサベル・デ・アラゴン(聖イサベル)である。イサベルが3歳の頃に父が他界すると、異母兄のエンリケ4世によって母・弟アルフォンソと共に追放され、不遇な少女時代を送った。母イサベルはその生活のため精神を患い、親子は苦労を強いられた。その後、子宝に恵まれなかった兄王に女児フアナが生まれたが、父親が誰かという疑惑が生じ、王位継承問題が発生した。一部の家臣らは現国王を見限り、異母弟妹であるイサベルとアルフォンソを次の国王に据えようとした。

1464年、アルフォンソ12世の即位の儀式が行なわれているが、一国に2人の君主がいる状況は内乱を招いた。この状態は1467年のアルフォンソの死によって終止符が打たれる。アルフォンソの支持者はイサベルを次の国王に据えようとしたが、イサベルは「兄が生きている間は他の王を戴くべきではない」と、兄の娘かどうか不明なフアナよりは自身の王位継承順が高いことを示す拒否の仕方をした。

イサベル自身もポルトガルに嫁がされようとしていたが、事前にその危険を察知し、同盟相手として必要なのはポルトガルではなく、結婚相手としてふさわしいのは地中海に領海権を持つアラゴン王国の王子フェルナンドであると結論を下した。アラゴンとカスティーリャは民族もほぼ同じであり、王朝も同じトラスタマラ家であった。フェルナンドとイサベルは曾祖父が同じため、又従姉弟にあたる。かくして2人はひそかに会い、結婚し、国内問題に取り組んだ。1474年にエンリケ4世が亡くなり、イサベルは晴れて王位に就いた。

まずはカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世と戦い勝利した後、カスティーリャ領内の反イサベル派を北から南へ討伐していく。その中途の1479年、フェルナンドは父の死去に伴いアラゴン王位を継承し、カスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が誕生した。

1492年1月、南部に残っていたイスラム国家グラナダ王国を制圧し(「グラナダ陥落」とも呼ばれる)、ついに約800年に渡るレコンキスタを完成させる。この間イサベルは戦場を奔走する夫を信頼し、軍資金や物資の調達に尽力していた。このグラナダ陥落までの3年間(9箇月とも)、願懸けとして下着を替えなかったと謂われている。これに因んで、イザベル色(茶色がかった灰色)という色が誕生した。

1496年にはローマ教皇アレクサンデル6世により、この偉業が讃えられ、フェルナンドとイサベルは「カトリック両王」の称号を授けられる事になる。

しかしながらこの時点ではまだスペインは一つの国ではなく、君主同士が結婚している状況であった為、イサベルの死後に相続問題が起きる原因になる。また、イサベルは自分が王妃ではなく女王でもある事、フェルナンドよりも年上である事を常に忘れなかったと言われる。

イサベルはクリストファー・コロンブスの新大陸進出に援助を与えた事でも知られる。敬虔なカトリック教徒であったイサベルは、先住民に対する残虐な仕打ちに心を痛めていたという。

フェルナンドとの子供達は各国の王族と結婚するが、多くの子供達は不運な人生を歩んだ。特に次女フアナの発狂では心を痛め、1504年その波乱の生涯に幕を閉じた。だがイサベル1世が築いた国の基礎はスペインに黄金時代をもたらした。 尤も、イサベルとフェルナンドの時代をスペインの黄金時代と定義する場合もある。コロンブスを始め、沢山の「冒険家」により「新大陸が発見」され、その土地とそこから産出される様々な品により国は潤ったが、それを上手く使って国を豊かに出来る君主が現れなかったという見方である。

子女
フェルナンド2世との間には、一男四女に恵まれた。(以下出生順)
" イサベル(1470 - 1498) − 1490年、ポルトガル王ジョアン2世の息子アフォンソ王太子と結婚するが、翌年死別し帰国。1497年マヌエル1世と再婚し、男児(夭折)を出産後死亡。
" フアン(1478 - 1497) − 唯一の男子だったが、フィリップ美公の妹マルガリータと結婚後まもなく夭折。
" フアナ(1479 - 1555) − 夫フィリップ美公の死後精神を病み、父により幽閉されるが、形式上カスティーリャ女王の地位についた。
" マリア(1482 - 1517)− 姉イサベルの死後マヌエル1世の王妃となる。
" カタリーナ − イングランドのアーサー王太子の妃。アーサーの死後、その弟ヘンリー8世と再婚し、王妃となるが、後に離縁される。メアリー1世の母
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