▼医学史教育 誤り・愚行から浮かぶ課題
福田 眞人(ふくだ まひと)名古屋大学大学院教授(比較文化史)
私の視点より 朝日新聞2002.12.21朝刊
 近年、医療過誤や医学倫理の問題がしきりに論議されるが、意外に医者の質や人間性が問題にされることは少ない。多忙な医学の現場で論議できるテーマでないということだろうか。

確かに世界の科学競争の最先端ではヒトゲノムの読みとりがほぼ完了し、病気に関連した遺伝子探しが始まっている。試験管ベビーどころかクローン人間も可能な時代で、まるで科学・医学万能の時代のような錯覚にとらわれる。

 しかし、ちょっと皮肉な見方をすれば、風邪や不眠症、片頭痛がなぜ簡単に治せないのか。精神疾患の研究もまだ先が見えない。

 こうした状況を見るにつけ、過去の経緯や課題を探る医学史や医学哲学・倫理の教育が役立つだろうと思われるが、日本の大学に専門の講座は数えるほどで、お寒い現状である。

 医学史を学ぶと、たとえば西洋では四体液病理学説(血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁が身体をつかさどるという考え)が2千年近く医学思想を支配し、日本でも明治維新まで、西暦200年ごろの中国の古医書「傷寒論」が支配的だったと知って驚かされる。病気の原因を悪い空気と長年考えていたことも、マラリア(イタリア語で悪い空気の意本当は蚊が媒介)という名称からうかがえる。

過去の病気と思われている結核も、20世紀初頭には世界で年210万人だった死者が、今は300万人を超えている現実からも、医学が常に進歩を遂げてきたとは言えないことが分かる。むしろ、食事制限によって病気を弱らせようとしたような歴史的誤りや、2千年続いた治療法で血液の一都を除去する「瀉血」などの愚行を白日のもとにさらすことによって、人類の愚かさを再認識し、その反省を適して医学に資することができると思われる。

 そのような医学の無力と誤りが医学史教育などを通じて十分に理解していれば、ハンセン病や薬害エイズ、C型肝炎についても、もっと患者中心で適切な対応が可能でなかったか。

 このことは学問のあり方にもかかわることだ。専門性を尊ぶあまり歴史認識や哲学の欠如した学問は、やがて危うい。医学史を学ぶことは、現代日本の医学教育や医繚現場に欠けている点を再検討するためだけでなく、学問の成熟度や社会的意味づけを再評価するのにも大きな役割を果たすと考えられる。


もとにもどる