2019年11月24日(日) 4日目
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8:00/≪絶景観光2≫【世界遺産】グランドキャニオン国立公園観光(○ブライトエンジェルロッジ)。
≪絶景観光3≫モニュメントバレー観光
西部劇の舞台にもなった絶景!
19:30/ホテル着。
〔バス総走行距離:約450km〕
グランド・キャニオン(Grand Canyon)
アメリカ合衆国アリゾナ州北部にある峡谷である。
コロラド高原が長年のコロラド川による浸食作用で削り出された地形である。
先カンブリア時代からペルム紀までの地層の重なりが好露出しており、肉眼で観察が可能である。地球の歴史を刻んでいる価値と共に、その雄大な景観から、合衆国の初期の国立公園の一つであるグランド・キャニオン国立公園に含まれている。
国立公園は1979年に世界遺産に登録された。
引用;Wikipediaより
 
右手エルトバー-グランドキャニオンズプレミアロッジ
El Tovar Hotel | Grand Canyon National Park Lodges
エルトバー-グランドキャニオンズプレミアロッジ
グランドキャニオンの縁に直接位置するこの有名な歴史的なホテルで1905年にオープンした。
アッチソン、トピーカ、サンタフェ鉄道の設計技師、チャールズホイットルジーによって設計され た 。
シカゴの建築家は、このホテルをスイスのシャレーとノルウェーの別荘を融合した評価し、当時ヨーロッパの文化を洗練の縮図と考えていた当時のエリートの好みに答えたものだった。このホテルは、フレッドハーベイカンパニーが所有および運営するホテルおよびレストランのチェーンの1つで サンタフェ鉄道と組み合わせて運営された。ホテルは地元の石灰岩とオレゴンパインで建てられました。建設に25万ドルかかり、多くの人がミシシッピ川の西で最もエレガントなホテルだと考えていた。1987年、ホテルは国立歴史的建造物に指定された。
セオドアルーズベルト、アルバートアインシュタイン、西部作家のザーングレイ、ビルクリントン大統領、サーポールマッカートニー、オプラウィンフリーなどの著名人が宿泊した。
引用元
ブライトエンジェルロッジBright Angel Lodge
アリゾナ州グランドキャニオン国立公園のグランドキャニオンのサウスリムにあるホテル複合施設です。
建築家のメアリージェーンコルターによって設計されたロッジは、峡谷の端にある中央ロッジの建物の周りにあるキャビンの複合体です。
グランドキャニオンの観光の発展に貢献したフレッド・ハーヴィやキャニオンの建築物に関係した女性建築家、メアリー・コルターなどに関する資料が展示されている。
 
 
ブライトエンジェルロッジBright Angel Lodgeからの眺め
 グランドキャニオンを出発、コロラド川沿いに昼食のCameron Tradinding centerへ

グランドキャニオン鉄道の機関車

野生の鹿がいる
グランドキャニオン鉄道は、グランドキャニオン国立公園の観光の拠点の「ウイリアムス」と、グランドキャニオンの南側「サウスリム」とを結ぶ鉄道。夏はディーゼル機関車、冬は蒸気機関車が客車を牽引し、片道2時間15分で1日2往復している。
 
 
車窓からリトルコラド川
 キャメロントレーディングポストの歴史
1911年にリトルコロラド川にスウェイバックサスペンションブリッジが建設され、渓谷に簡単に行けるようになった。
その後、、ヒューバートとC.D.リチャードソンの兄弟はキャメロントレーディングポストを設立し、当時はナバホ族とホピと交易を行い、
ウール、毛布、家畜の乾物を交換していた。
トレーダーたちは交易所へ行くには、馬車で何日もかかり、彼らに滞在中は交易所で食事と食事を提供していた。
兄弟はトレーダーとしても優秀で地元の方言と習慣を理解して、彼らは先住民に新しいアメリカの法律と社会システムを理解させ、
先住民から信頼されていた。道路が整備され、この地域への関心が高まるにつれ、キャメロントレーディングポストはグランドキャニオン
やその他の人気のある地域へ行くのに便利で旅行者にも人気を博した。

昔のスウェイバックサスペンションブリッジ
下を流れる川はリトル・コロラド側

ココペリ (Kokopelli)
アメリカ・インディアン、ホピ族のカチナ(神・精霊)の1柱。
豊穣の神(男神)。ココピラウとも。
笛を吹くことで豊作・子宝・幸運などをもたらす。
ココペルマナ (Kokopelmana) を妻とする。
美術では縦笛を吹くキリギリスの姿で、横からの絵で描かれる。
古典的にはファルスや触角が描かれるが、
現代では省略され比較的擬人化された性のない姿で
描かれることが多い。
引用;Wikipediaより  

レストラン
昼食は 揚げパン(ナバホ・タコ)とビーフシチュー(右)
揚げパンがちょっと脂っこくて私にはあわない、
正直おいしくない。

ナバホ族の郷土料理、

紹介ビデオ
昼食後、モニュメントバレーへ
 
モニュメント・バレー(Monument Valley、意味: 記念碑の谷)
アメリカ合衆国西南部のユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる地域一帯の名称である。
メサといわれるテーブル形の台地や、さらに浸食が進んだ岩山ビュートが点在し、あたかも記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示していることからこの名がついた。
古くからのナバホ族居住地域で、居留地となった現在では、その一部はナバホ族管轄のもと一般に開放する形で公開されており、ナバホ族の聖地とも呼ばれ有名な観光地となっている。
 独特の地形は、2億7千万年位前の地層が現われたものが風化・浸食によって形成されたといわれている。現在でも風化が進んでいるため、岩山の形は変わる可能性がある。
ロッキー山脈からの鉄分を大量に含んだ川の流れは、下流地域一帯に沈泥となって堆積し、当時の酸素濃度は現在よりも高かったため鉄分の酸化が急速に進み茶褐色の地表となった。
引用;Wikipediaより
 
 
ジョン・フォード・ポイント(John Ford’s Point)

スリー・シスターズ
 
真ん中がノースウィンドゥ
 
 

グールディングの交易所博物館
ハリー・グールディングはここに最初に住んだ人で、映画監督ジョン・フォードに西部劇のロケ地としてモニュメントバレーを
使用するように勧めた人物です。
切り立った高い岩の下に、「キャプテンネイサンブリトルズ」キャビン(博物館)があり、映画の記念品が展示されている。
その右手にグールディング夫人のジャガイモ保管庫だったが、1949年に「黄色いリボン」がここで撮影されたとき、この小屋に
ジョン・ウェインが滞在していた。
ジョンフォードは1939年から1964年にかけてモニュメントバレーで合計7本の映画を制作しており、
そのほとんどにジョンウェインが主演していた。
 
モニュメントバレーの夕焼け
 
モニュメントバレー 動画

サラダ、どうも盛り付けが雑

薄っぺらくて固いステーキ
ケンタッキーフライドチキンのほうが良かった 

つまらんみやげ、ジョンウェイン・とレットペーパー

アリゾナ名物さそりキャンデー
売ってませんでした

インド製のみやげ
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