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ARAGO
小説ではラングドンが、パレ・ロワイヤルで地面に埋め込まれた青銅のメダルを探す
 ディベッツ(オランダの芸術家)がARAGOを記念して1994年にパリ市内の北から南に18,9,2,1,6,14の各区を通る子午線に 沿って,ARAGOの名と方位を示すNとSの文字を刻んだ直径12センチの金属板を合計120枚を埋め込んだ。
ところどころ無くなっていて穴だけになっていたり、逆さまにつけていたり、フランス人はかなりアバウト。
 ARAGOは1786年生まれ、科学者・物理学者・天文学者でパリのエコール・ポリテクニクを卒業し経度局に勤務し地球子午線弧の測量を行った。1810年エコール・ポリテクニクの解析幾何学教授、その後パリ天文台長となった。
 1884年の国際子午線会議で多数決でパリ天文台が破れ、イギリスのグリニッジにある王立グリニッジ天文台での地方時が基準に選ばれた。グリニッジ子午線が使われる以前には各国は勝手に子午線を決めており、フランスではパリ天文台の上を通過するものを子午線としていた。
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