By Tak

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 9月9日(日)シエナからアッシジへ
昨日見れなかった、シエナ大聖堂とマンジャの塔を見に行った。

朝のシエナ大聖堂
 
大聖堂入り口

大聖堂の内部
 
縦縞模様の柱が特徴
 
大聖堂の内部
 
フィレンツェのメジチ家の紋章
 
 シエーナ共和国は、最大のライバルであるフィレンツェとの抗争を繰り広げた。
1260年のモンタペルティの戦いで、シエーナはフィレンツェに勝ったが、
1269年にはコッレ・ヴァル・デルサの戦い で敗北した。
この敗戦を契機にフィレンツェとの関係が改善された。
その後スペインの傭兵軍団がシエナを攻略し、1555年にシエナはスペインに降伏し、
スペインはシエーナをフィレンツェ公国に割譲した。
フィレンツェのメジチ家に支配され、歴史が止まってしまった。
 マンジャの塔に登ってみました。
 
マンジャの塔とプッブリコ宮殿(市庁舎と博物館),

シエナ大聖堂
マンジャの塔Torre del Mangiは1338年から1348年に建てられ、シエナのカンポ広場にある。
建設当時は中世イタリアで最も高い世俗的な塔の1つと言われた。  
高さは102 mで、クレモナのトラッツォ(112 m))に次いで2番目に高く、ボローニャのアシネッリ塔は97mで3番目
マンジャの由来は言い伝えによると、塔の上にある鐘をつ鐘つき師の
あだ名が「Mangia Guadagni」マンジャグアダンニ(Mangia=食べる、Guadagni=儲かる)
鐘をつくだけの仕事なのに高い給料をもらっていて、その稼ぎで、食べ物を買って、
食い過ぎて太り過ぎて狭い階段を降りられなくなってしまったという。
その人物の名前が付いたと言われる。

マンジャの塔からカンポ広場(Piazza del Campo)

ガイアの泉(レプリカです)、「ガイア」とは「喜び」という意味

マンジャの塔の屋上の金
 マンジャの塔からの景色

マンジャの塔からの景色
   
   

昨日夕食を摂ったレストラン
 
シエナから出る道を確認するためにホテルのフロントで確認する。

サンマルコ門を出て右側の道路を進むPORTA SANMARCOロータリーでAGREZZIOの標識に向け走る。

しかし間違ってしまったS73に入ってしまった。
無料高速に入るはずだったので馗が細すぎるのですぐ間違いに気づき、
ロータリーまで引き返すARREZOの標識を確認その方向に行く。


道路の舗装がかなり悪い、100kmで走行するとかなりハンドルがぶれる。
イタリアはかなり運転マナーが悪いとのことだったが、
追い越し禁止区域での無理な追い越し車は日本と変わりない程度だった。

ペルージャまでのE78、S326は2車線に広ろげる工事をしていた。
2車線部分は快適に走行できる。
制限速度は90Kmだがほとんどの車は100Km以上で走行している。


ペルージャの標識で高速を降り、ペルージャの市内へ向けて走行する。
CENTRO(市中心)の標識を目標に進む、市中心部の駐車場は満員で止めれない。

時間がないのでペルージャは市内を回っただけでアッシジに向かう。
アッシジの町が見えてきた。イタリアの町は遠くから見るのがいい眺めだ。
途中に駐車スペースがあったのでそこで車を止めて、下のの写真を撮った。
左手後方に聖フランチェスコ教会が見える。
見えているのですぐに町に入れると思ったが間違いだった。
 
聖フランチェスコ教会 地震後の修復のための町中にクレーンが見える
アッシジのNUOVA門のところまで来たが進入禁止、
仕方がないのでいいかげんに走っていた。
大きな駐車場前をすぎたら、また門(PERLICI)があって町の外に出てしまった。
(図の青矢印)
 
引き返して駐車場に止める。人通りが少ないの聞く人が見つからない。
ふと前を見るとポリスステーションがあり道を聞く。
引き返してガソリンスタンド1Km右へ行けばいいという。
しかしその通り行くと町の外に出てしまう、どんどん町から離れてしまう。
間違った道を教えたのか思い引き返す。
まったく市内の中心部に入れない

仕方がなくグランドホテルという標識があったのでそこのフロントで道を尋ねた。
日本の観光客が多いのか親切に教えてくれた。


FONTEBELLA通りに行きたいと言ったら、市内マップを出してくれて
今日の泊まりのホテルFONTEBELLAに印を付けてくれた。
彼女には通りの名前を言っただけですぐにホテルの名前が分かったようだ。


ポリスの言った通りだったのだ。
いったん町から離れるのだがまた城壁に近づき登りになり聖フランチェスコ門に到着した。(赤矢印)


しかし、門は進入禁止で入れない。
前に婦人警官が立っていて前の駐車場に車を置くように言われる。
しかし門内のホテルに泊まるのだというと、入ってよいとのこと。
荷物を置いたらここの駐車場に車を置くように言われる。
しかし、ホテルに着くとホテル前のプライベートパークに置いてもよいという。
助かった。
ホテルにチェックインして聖フランチェスコ教会に向かう。
この教会は上下2層の教会で下の部分は天井が低く中は薄暗い。
地下に聖フランチェスコの遺体を安置している。
長蛇の列が地下に向かう。
遺体の安置所の前には白百合の花が生けてあった。
百合の花は純潔を意味するとのことであった。
前の机では熱心に手を組んで瞑想している人がたくさんいた。

彼の生涯にわたって着たという着物が展示されているはずだが、分からなかった。

上の教会は明るい、ジョットのフレスコ画で聖フランチェスコの逸話が描かれている。
私はクリスチャンではないのでよく分からないが、イアタリアでは有名な聖人とのことです。
その中で有名なのは『鳩に説教する聖フランチェスコ』とのことです。


 ジョットはルネサンス初期の画家で写実的、遠近法で描いたことで有名な画家だそうです。
彼がアッシジに呼ばれてこの壁画を描いたとのことです。彼はダンテの友人としても知られている。
ミケランジェロやダビンチの絵と比べると、人物の顔の描き方が単調でそんなにうまいのかと少し疑問に思った。
彼はフィレンツェのジヨットの鐘楼設計者としても有名である。

聖フランシスコ教会の下の部分の入り口が見える

聖フランシスコ教会の上の部分
   
聖フランチェスコは裕福な家庭の子供であったがある戦いに参加し、捕虜になる。
その獄中でキリストの声を聞き、自分の生きていく道を見いだそうとし、
布教活動の道に入る。彼は華美を嫌い、清貧な宗教活動に専念する。

芝生に歪んだ「T」とその下に「PAX」
Pax et Bonumは聖フランシスコ修道会で、挨拶に使うことば。
「T」は聖フランチェスコが使っていた十字架で、「タウ」と言う。
聖フランチェスコがこの十字架を好んで使っていたのは、
頭の部分がないことで、キリストへの謙遜を表していた。
 
左右の壁に聖フランチェスコの生涯の壁画(google earthより引用)
教会の内部の壁にはジョトによる聖フランチェスコの生涯が描かれている。
地震の際に天井が崩れ落ち、壁も被害を受けたが天井の一部を除き、修復されている。
 
小鳥に説教する聖フランチェスコ(ジョット作の壁画)Wikipediaより引用
まだ、4時半頃なので山手の方のロッカマジョーレ(Rocca Maggiore)要塞に行くことにした。
コムーネ広場から少し上がったところから階段が山の上まで続いている。
駐車場があるので車ですぐ近くまで行ける。
頂上には中世のロッカマジョーレ要塞がある

要塞は現在修復中とのことでやぐらが組んである。有料で中を見学できるる。
要塞の塔に上るには、城壁部分に穴があってそこが回廊になっておりそこを通っていく。
中は薄暗く天井は低い。要塞の塔の上に立つと見晴らしがいい。
アッシジ町とその周辺が一望に見渡せる。
とにかくここからの眺めはすばらしい。


塔上からの眺め、町が一望に見渡せる。

要塞の塔に通じる通路

ロッカマジョーレから聖フランシスコ教会
入場は午後5時までなので5分くらい前にここを出てコムーネ広場にもどった。
土産物屋で売っている十字架がちょっと変わっている。

お土産物屋のT字型の十字架
彼の十字架がは字でなくT字形になっている。
解説書によれば”T”はヘブライ語の最後の文字TAU(神のシンボル)を意味するとのことで、
聖フランシスコが好んで使ったとのことです。

右の写真は土産物屋で売っている木の十字架で、確かに”T”字形になっている。

こんなに人が多いとは思わなかった。
キリスト教とがここを訪問するようだが、われわれのような観光客も多く、
インド人、アフリカ(?)人の姿も見られた。
(私もクリスチャンではないが?)

サンタマリア教会(ミネルバ神殿)
ミネルウァ(Minerva)は、詩・医学・知恵・商業・製織・工芸・魔術
を司るローマ神話の女神
 
ミネルヴァ神殿は紀元前 1 世紀(皇帝アウグストゥスの時代)に建てられ、ローマ帝国の滅亡とともに放置された。
6 世紀にベネディクト会の修道士が修復し、使用した。
13 世紀には アッシジ市に渡り、最初、行政本部として、その後、自治体の刑務所として使用されました。
1539 年、内部は改装され、ローマ法王の命により聖母マリアに捧げられました。
17 世紀 にはバロック様式に変更された。
ミネルヴァ神殿は、ローマのパンテオンのように中世の時代に教会に改装されたため
現在も保存状態が良好である。 
  コムーネ広場には神殿様の建物が市庁舎の前に建っていた。
この中は教会になっていた
 
コムーネ広場、前方に噴水
 
自治体警察 (Polizia Municipale) のパトカー
   
夕食を摂ろうとしたが適当な店がない、BARかジェラッテリアのような店しかない。
何となくはいにくい感じなので、どうしようかと思っていたら、
観光客の多くが持ち帰りのPizzeriaでピザを買って市庁舎の階段に座って食べている。


こちらもそれをマネしてピザを食べることにした。
このピザはあまりうまいとは言えなかった。


市庁舎から警察官出たり入ったりしているし、パトカーが時々前に止まる。
よく見たらそこは警察署になっていた。

今夜、宿泊のFontebella Hotel( 3つ星 )

ホテルの窓から
ホテルはなかなか良かった。設備もこんな場所にしては泊まった中では一番良かった。
三つ星ホテルだったが料金は四つ星並なので当然といえば当然。
窓からの景色がよい。横に建物がないためだ。


ひさしぶりにインターネットでも思って持参のリブレットを使ってみた、
あらかじめ日本を発つとき、当方のプロバイダhi-hoのホームページから
海外ローミング用のソフトを入れていたので早速起動してみたが、
パスワードが違うとのことで切断されてしまった。??


日本に帰って気が付いた。日本ではPWの初めの文字”hi-ho/”を省略しても良かったが
、海外では全部入力する必要があったのだ。
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