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9月8日(土) サン・ジミニャーノSan Gimignanoへ |
フィレンツェのホテルを出て、前日に場所を確認しておいたFinigiera通りのHerzの営業所に向かう。
かなり通りの狭い所に営業所がある。
フロントの受付の女性は日本語がうまかった。 彼女に聞いたら東京で5年間イタリア語を教えていたとのこと、大阪は住みやすいところかと質問される。
『東京よりは大阪は住みやすいよ』というと、『大阪にイタリア語学校はあるか?』というので、
NOVAがイタリア語もやっているはずだというとメモに控えていた。
申し込み用紙に記入のため電話番号を聞かれたので答えたところ、
すぐに市外局番大阪から来たことが分かったようだ。
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市内から出るコース |
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フィレンツェ市内からの出る道を聞いた。
やはり思った通りにはでれないことが分かった。
地図を出してくれて線を引いてくれた。
ついでにローマの高速道路の地図がないかといったら出してくれた。
車の用意が出来たというので、そこから50mほど離れたガレージに受け取りに行く。 |
車はオペル・コルサだ。走行距離は少なくほぼ新品。今回もバックギアの入れ方が分からない、
係員に聞くと『リング、プル』と言う。
今回もバックギアへはチェンジレバーの下のリングを持ち上げるようだった。
この操作はオペル車共通のようだ。
走行性能は申し分ないが、ドアを開けるとトランクのキーも解除されてしまう。
車を降りるたびにロックボタンを押さなければならない。これは不便。
またラジオが付いていない??盗難が多いためだろうか? |
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フィレンツエの町からはVia Sienseを通って、出ていく。
標識もありスムーズにフィエンツェ・シエナ線に入っていく。
特に運転マナーの悪い車もなく、苦手なロータリーもなく極めてスムースに走行する。
信号がほとんどなくイライラすることはなくストレスなく運転できる。
POGGIBONSIで降りて、サン ジミニャーノに向かう。
まず道は間違えることはない。
門の外の駐車場に車を止めて、門の中に入る。石畳の道路が続いている。
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サン・ジミニャーノ -(San Gimignano) トラピックスより引用
遠くから見ると塔がいくつか見える。
古い時代にはもっとたくさんの塔が林立していたとのことである。
この塔の多さからイタリアのマンハッタンと言われている所以である。
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サン ジミニャーノの町の石畳、両側に土産物屋が並んでいる。
まだ時間が早いのか観光客は少ない。
町を出る頃には大分人が多くなっていた。
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駐車場の前の門をくぐると石畳の道が続き、その向こうに塔が見える。
少し坂になっているがきつくはない。
サン ジミニャーノは塔が多かったようで『中世のマンハッタン』と呼ばれている。
紀元前7世紀頃のエトルリア人の時代からローマ時代に作られた町である。 |
広場の正面に市庁舎と教会があり。
塔は市庁舎とその向かいにあるが入れるのは
市庁舎の向かいの塔だけ |
サンタ・フィーナ礼拝堂 |
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教会に入ろうとしたが、当日は結婚式があり、観光客は入れなかった。
しかし、結婚式の様子が見れたのがよかった。
どこの結婚式も同じでプロのカメラマンがビデオで撮影していた。
新郎がそわそわしながら教会の入り口に立っていた |
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写真の塔の上まで登っていくことが出来る。
入り口が分からずうろうろしてしまった。
もう少し分かりやすい案内板でも付けて欲しい。
塔の入り口が分からずうろうろする。
他の旅行者も同じでやっと塔の入り口を見つけ料金を払って、登り出す。
少ししんどいかと思ったがそれほどではなかった。
上からの眺めはなかなかよい。 |
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サン ジミニャーノからボルテッラへ向かう。
小高い丘をいくつも越えていく景色は抜群、枯れたひまわり畑が見える、
ひまわりが満開の頃に行けばかなり美しい景色だったろう。
ボルテッラの城壁の外を上がっていくと地下駐車場があり、そこに車を止める。
この駐車場地下へのらせん状の通路が狭く対向車がぶつかりそうになる。
駐車場の上に出て町の中に入る。
有名なエトルリア門を見に行く。
ローマ時代の前のエトルリア人が作った物が少ないだけに珍しいらしい。
特に何の変哲もない門で説明をうけないと分からない。
この町は不透明な白い石アラバスタで有名なところで土産物として容器や卵形のものが売られている。 |
ボルッテラの地図 |
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エトルリア門(紀元前3世紀) |
エトルリア人は紀元前9〜8世紀頃
イタリア北部で
エルトリア文化を築いた。
紀元前7〜6世紀にもっとも栄えたが、
紀元前80年ローマに征服された。
かれらの高度な文明をねたんだローマ人は
徹底的に破壊してしまった。
エトルリアは都市国家でその一つが
ボルテラである。 |
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昼食をカフェテリアで摂って、グアルナリッチ・エトルリア博物館に行こうとしたが
場所がなかなか分からなかったが見つけて中に入った。 |
エトルリアの博物館を見学した。
博物館には骨壺のコレクションと細長い少年のブロンズ像『夕刻の影』が展示されている。
この像が紀元前に作られたとは思えないほど斬新なデザインである。
エトルリア人の作品
『夕刻の影』
紀元前2世紀 |
機嫌そうに向き合う夫婦
エトルリア人の骨壺
骨壺といっても日本のとは違って
かなり大きく箱形でふたには
オリエントの仏像のような彫刻が
施されている。 |
夕刻の影のレプリカをおみやげに買って帰りました。
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その後町中を歩き回ると公園がその向こうに城のような物が見えたとので
行ってみると鉄柵で囲まれており入れず、State Prizonと書いてある。刑務所なのか?
入れそうにないのでローマ劇場の廃墟に向かった。
規模はローマのから比べると大したことはない。
受付の女性が英語の説明書がなくなったのでイタリア語だけだとあいそよく笑って渡してくれた。
劇場跡を見た後駐車場に向かう。
駐車場の料金は先に窓口で精算してからゲートの自動開閉器に差し込むようになっている。
これは初めてなので少し面食らった。
こんなことをするなら自動開閉器を設置する必要はないのではないか?? |
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ボルテッラを出てシエナに向かう。
道路標識にまったく距離が表示されておらず距離感がはっきりしないが、
まあこれくらいでいいだろうと走る。
途中モンテリッジョーニ(MONTERIGGIONI)の城壁が見えてきた。
確かに遠くから見ると城壁の塔が王冠のように見える。
素通りするつもりだったがせっかくだからよってみることにした。
城壁の外に野原の広い駐車場があった。
そこに車を置いて、坂を登っていく。
この城壁はダンテの『神曲』で『円い囲いに、いくつもの物見の塔を戴く』
と書かれているところである。
確かに遠くから見ると上の画像のように王冠のように見える。
シエナがフィレンツェとの戦いのために設けた要塞とのことである。
塔は全部で14ある。 |
城壁の入り口で女性が立っていて、何かパンフレットを渡された。
フィレンツェ在住でAIDS患者の収容施設のボランティアをしているので寄付をしてほしいという。
パンフレットもしっかりしたものなので、人助けと思い、寄付をした。
もらったAIDSボランティアのパンフレット
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城壁内部の門は二つでその一つの石畳が下の写真のように串状(?)になっているのが珍しいとのことである。
時間がなかったので内部を見るだけで土産物屋に立ち寄る時間はなかった。
これがその石畳、なんで有名なのか分からない?
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シエナに向け、出発、
ここまであまり迷わず来れたので楽勝かと思っていたが、間違いだった. |
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シエナへCENTROの標識を目標に走っていたが城壁に向かう進入路が見つからず、地図の進入禁止の門に到達する。
門の名前を見るとPORTA CAMOLLAとなっている。
こちらの目的の門はサンマルコ門で違う。
このまま行ってしまえといい
加減に進んでしまう。
途中で通行人2人に道を聞いたが
よく分からない。
3人目の少し年のいった人に尋ねたらいっしょに車に乗っていってやると親切に言ってくれた。
言葉に甘えて乗ってもらい、ナビゲートしてもらう。
英語はだめなのでイタリア語で右(デストラ!)、左(ジニストラ!)と言ってもらい、
やっと目的のサンマルコ門に到着。
かなり距離があった。
ホテルについてフロントの女の人に通訳してもらってタクシーを呼ぶからといったが、
『歩いて帰るから気をつかわんでいい』という。
嫁はんはグラッチェというとわしの娘のようだと言って抱いて(ハッグ)して別れた。
住所をメモしてもらうようフロントの女の人に頼む。
陽気なイタリア人を地でいく人だった。 |
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シエナは結構大きな町で城壁で囲まれた部分だけではなかったのだ。
城壁内は旧市街と考えたほうがよいのだった。
既に市内に入っていたのでシエナの標識がなくなっていたのだった。
なんとかホテルにたどり着いた。 |
カンポ広場で夕食
カンポ広場の前のピッツエリアで夕食を摂った。
今夜はツーリストメニューはやめて一皿ずつとることにした。
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夕方のカンポ広場 |
スパゲッティ、ピザ、サラダ、ミックスチーズ、ミネラルウオーター(ガス入)、
下戸には毎日ワインはだめなので今日は水にした。
旅行書に書いてあるようにチーズの盛り合わせを注文にした。
塩辛くて食べれない。なんでこんなに塩を利かせるのだ。
血圧が上がりそうだ半分も食べずに止めた。
チーズはゴルゴンゾーラ(カビ入ったもの)、日本で食べたのはこんなに塩辛くなかった。
パルメザン、クリームのようなチーズの3種いずれも塩辛くて食えない。
サラダにはドレッシングなし、オリーブオイルとビネガーのみ、
日本からドレッシングを持ってくればよかった。
スパゲッティを適当にメニューから注文したらペンネという穴の開いたのが出てきた。
これはうまかった |
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夕食を摂ってホテルまで帰る途中、教会前の広場がやけに明るい。
テーブルを並べてパーティ?をやっていた。
教会の行事なのだろう。 |
よく分からないが子供がたくさんいてにぎやかだった |
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ドライブ中に感じたこと
イタリア市外の道路には信号がほとんどない。
また高速道路なみだが無料という道路があるのが興味深い。
信号がないとこんなに走りやすいとは思わなかった。(北海道でのドライブ以来だ。)
もうひとつ困ったことは道路標識に町までの距離数がまったく書いていないこと、これは非常に不親切。
言うほどイタリア人の運転マナーは悪くない。
ということは大阪人の運転がイタリ人なみに荒いという事になるのか?? |
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