2007年
BBフィレンツェとミケランジェロ
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ダビデ像はミケランジェロが29歳の時、共和政のフィレンツェの象徴として製作したものである。
ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)(147 - 1564)は、
イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。
名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。
西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の
天井フレスコ画や『最後の審判』』を描いたことでよく知られている。
もともとは彫刻家であり、『ピエタ』『ダビデ像』等が有名である。
バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。
(ウィキペディア(Wikipedia)のミケランジェロより引用)
 
SMNからミケランジェロ広場

ミケランジェロ広場のダビデ像

ベッキオ宮前のダビデ像
これらのダビデ像はいづれもレプリカで本物はアカデミア美術館にある。 
 
ミケランジェロ広場から市内を望む
『夜』

『昼』
 この『夜Norte』と『昼Giorno』はメディチケ礼拝堂のジュリアーノ・メディチの
棺の上に飾られたもののレプリカである。
この墓は未完成で後年になってジュリアーノの遺骸はメディチケ礼拝堂の
『聖母子像Madonna col Babino』の下の棺に納められた。
『昼』の男性像は彫り残しがあり、未完成であることが明らかに分かる。 

メディチ家礼拝堂
サン・ロレンツォ教会の一部だが、礼拝堂と新聖具室だけが
別の入口になっているので教会からは入れない。
このメディチ家礼拝堂の中に『昼』と『夜』の実物がある。
ジュリアーノ・メディチの棺の上にある。

礼拝堂内部
ジュリアーノ・メディチについて余談
「パッツィ家の陰謀」:1478年フィレンツェ大聖堂で行われたミサの席上。
ロレンツォ・デ・メディチとその弟ジュリアーノは暗殺者に襲われ、
弟のジュリアーノは殺害されるが、ロレンツォはかろうじて新聖具室に逃げ込み難を逃れた。
 暗殺者らは市民に反乱を呼びかけるも失敗。
捕らえられて処刑された。
 容赦の無い処断に、パッツィ家と結んでいた時の教皇シクストゥス4世を激怒させ、パッツィ戦争が起こった。
この危機を乗り切ると、ロレンツォの支配体制は確固としたものになり、
フィレンツェの社会も総体的に安定した。
(Wikipediaよりのロレンツォ・デ・メディチより)
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