イタリア2010
2010年2月2日(火)
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ツアー参加のうち9人どがフィレンツェのオプショナル・ツアーに出かけた。
10人で催行ということだが添乗員の裁量で行くことになったらしい。
こちらはローマの自由観光なので少し遅くレストランに朝食に入った。
相変わらず、朝食はこんな大きなホテルでもコンチネンタルでパンと飲み物だけ・・・。
日本とは少し食事の考え方が違うようだ。(温泉旅館の方がはるかにまし)

こんな感じの朝食です

カードキーとホテルの正面
ボルゲーゼ美術館は日本で11:00〜13:00で予約していた。(30分前に受付で手続き必要)
あるホームページでは予約確認表を忘れたら、予約できてないと言われて困ったとのことで、万事イタリアではアバウトと考えた方がいいようだ。
シェラトン・ゴルフからのシャトルバスは10時台から市内に行くが、9時台は地下鉄のEur Magliana駅行きしかない。
駅までの道はかなり渋滞していたが、なんとか10時には駅に着いた。
駅で1日券(4ユーロ)を買って乗り込んだ。
少し通勤時間帯で込んでいたが大阪の地下鉄ほどではなかった。
添乗員からはローマの治安は最近かなり悪くなっているので地下鉄もバスも避けた方がいいと言われた。しかし、市内までタクシーは金がかかりすぎるし、渋滞で時間通りに着けるかどうか分からない。
結局、地下鉄でテルミニ駅まで行き、そこからバス(910番)で行くことにした。
添乗員の話によると最近では高級ホテルリッツのセフティボックスも信用できないとのこと、自分しか信用できないとのことだ。
特に地下鉄も混んでいたが問題なかった。大阪の地下鉄でも集団スリがあるのでスリに遭うかどうかは確率の問題だろう。
 

地下鉄B線Eur Magliana駅

バス910番Via Pinciana

ボルゲーゼ美術館

ボルゲーゼ美術館中庭
プロセルピナ (Proserpina) は、ローマ神話に登場する女神で春の女神。
ギリシア神話のペルセポネに対応する。
ユピテルとケレスの娘。冥府を司る神
プルートに冥府に誘拐されて妻となる。
母のケレスが、娘がいなくなったことに気づき、娘を連れ戻そうとするが、冥府でザクロの種を食べてしまったため、冥府の食べ物を食べた者は、冥府に属するという神々の取り決めにより、1年のうち半分を冥府で、残り半分を地上で過ごすこととなった。
もともとローマにはいない神であり、ローマがギリシャの神々を受け入れた際にできた神である。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
ボルゲーゼ美術館の目玉はベルニーニの『プロセルピナ奪略』
食い込んだ指の質感は石とは思えない。
さすがに金に糸目をつけず収集した美術品はすごいもので、また家の壁、天井もこれでもかという装飾であり、とても個人の邸宅とは思えない。

海馬の泉(Fon. dei Cavani Marini)

時計の館(Casina dell' Orologio)、周囲の木は笠松

湖の庭園(Giardino del Lago)の医術の神アスクレピウスの聖堂
アスクレピウスは、ギリシャ神話に出てくるアポロンの息子である。
医学を修めたアスクレピウスは、ついに死者まで蘇らせる腕となった。
しかし、たくさんの死者を蘇らせるためゼウスによって殺されることになった。
アポロンはゼウスに頼み込んでアスクレピウスを蘇らせ、南の空に輝く「蛇使い座」にした。
アスクレピウスは犬を連れ、蛇を巻き付けた杖を持って歩いていた。
この杖をアスクレピウスの杖を「カドゥケウス」と呼び、医学のシンボルとなっている。

中世の城郭,、カノニカ博物館(Museo canonica)

国立近代美術館

美術館を見学したら12時半近くになったので美術館地下のカフェでパニーニとカフェラテを注文して食べた。
ここのカフェラテが一番私の好みに合っていた。
その後、公園内をポポロ広場まで歩いた。
公園内は静かで落ち着いた雰囲気だった。


美術館のカフェ(立ち飲み)、パニーニは焼いて出してくれる
ポポロ広場:ポポロ (popolo)はイタリア語で人々、市民、民衆という意味。
ポポロ門はバロック期の建築家ベルニーニが装飾を担当した。

ポポロ門外側
(Porta di Popolo)

ポポロ門内側、右側がサンタ・マリア・デル・ポポロ教会
(santa Maria del Popolo)

これが『悪魔と天使』の冒頭に登場する教会
午後2時なので教会は閉まっていて入れなかった。

ポポロ教会正面
ブラマンテ、ラファエロ、ベルニーニらが建築に関与、カラヴァッジョの壁画などがある。

真ん中に立つのアウグストゥス帝のオベリスク
(エジプトからのぶんどり品)

ポポロ広場
双子教会の間の道路がコルソ通り
アウグストゥス
(古典ラテン語:Imperator Caesar Divi Filius Augustus (インペラートル・カエサル・ディーウィー・フィーリウス・アウグストゥス)、Gaius Iulius Caesar Octavianus Augustus(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス)紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日)は、ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政(元首政)を創始、「ローマの平和」を実現した。
             引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ポポロ門内側から

双子教会
パンテオン(Pantheon)
 パンテオンは、ギリシア語の「すべての神々」という言葉に由来し、ある特定の宗教や神話、たとえばヒンドゥー教やギリシア神話、北欧神話、シュメル神話、マヤ神話、日本神話などにおけるすべての神々を意味する。それぞれのパンテオンの中には、最高神、豊穣神、太陽神、月神、風神、天空神、戦神などが含まれ、上下関係や階層構造をなしていることもある。
 転じて、すべての神々を祀る神殿のこと。万神殿。この意味でのパンテオンは古代ギリシア古代ローマに見られた。しかし、一神教キリスト教が信じられるようになると必然的にその役割を失う。人間中心主義的なルネサンスを経た16世紀には宗教的な意味から切り離され、神々ではなく偉人たちを祀る建造物のことをも意味するようになった。 ローマやパリのパンテオンが特に著名である。
  引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パンテオン
紀元前120年前後にハドリアヌス帝が現在の形に建て替えた。
建築当時のまま残っている古代ローマの唯一の建築物。

パンテオン広場のオベリスク

パンテオン広場のマクドナルド

パンテオン広場の噴水

ラファエロの墓

ヴィットリオ・エマニュエル2世の墓
ヴィットリオエマヌエーレ2世(1820- 1878)は、ビエモンテ、サボイア、サルデーニャ王(1849〜61)。
1861年2月18日、統一イタリア王国の最初の王となる。1878年亡くなるまでの短い期間イタリアは統一された。
イタリア人は彼に『祖国の父: Padre della Patria 』というあだ名を与えた。
                  引用:英語版フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナヴォーナ広場(Piazza Navona)にあるサンタニューゼ・イン・アゴーネ(Agnese in Agone)教会はベルリーニと同時代の芸術家ボッローニの設計だった。その前にある『河の噴水』はベルリーニの制作だが両者は非常に仲が悪かった。それでベルリーニは嫌みを込めてこの噴水を制作した。

サンタニューゼ・イン・アゴーネ(Agnese in Agone)教会(ボロミーニ作)
その前にあるベルリーニ作の4大大河の噴水

『河の噴水』は現在改修中
映画『悪魔と天使』ではこの噴水に枢機卿の1人が沈められる

教会正面

聖アグネス像(教会右の塔の下)
聖アグネス(Saint Agnes 291-304)
 カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会・非カルケドン派の聖人である。また、彼女はローマの聖アグネスや聖イネスとして知られている。日本正教会では聖致命女アグニヤと表記される。
 聖アグネスは、カトリックのミサで記念される女性の中で聖母マリアを除いた7人の中の1人である。西方教会において、彼女は純潔・庭師・少女・夫婦・レイプ被害者の守護聖人である。西方教会での記念日は1月21日であるが、カトリック教会においては第二バチカン公会議後の教会歴改正が行われるまでは1月28日も記念日であった。
 有名な二つの教会と聖公会の主教座聖堂(日本京都市の聖アグネス教会)をふくむ世界中の何百もの教会が、彼女を記念してその名を冠せられている。また、彼女の名前はラテン語で子羊を意味する”agnus”(アグヌス、アニュス)と似ていることからしばしば子羊と一緒に描かれるが、実際はギリシャ語の形容詞で”処女の、純潔な、神聖な”という意味の”hagne”に由来しているとされている。ガンダースハイムのロスヴィータは10世紀ごろ聖アグネスの詩を書いている。
 また、聖アグネスの祝日には興味深い習慣がある。それは、2匹の子羊をローマにあるトラピスト修道団のトレ・フォンターネ修道院からローマ教皇に送り、その後聖金曜日にその子羊の毛を刈り取られそこから得たウールで新たに聖別された大司教に教皇が与えるパリウムが編まれるというものである。

   引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

見るに堪えない教会だとナイルの像は布を被っている

ラプラタ川の寓意像
教会が倒れそうだとラプラタは教会に向けて手を伸ばしている

インダス川の寓意像(オールを持っている)

ドナウ川の寓意像(右手で教皇の紋章を触っている
この広場はもともとはローマの競技場の跡だそうだ。
その証拠にネプチューンの噴水の後方が競技場の走路に沿ってカーブして建物が建てられている。

ムーア人の噴水(広場南)

ネプチューンの噴水(広場北)

トリトン(半漁人)

ネプチューン

4大大河の噴水のオベリスク

ナヴォーナ広場の前のマダマ宮殿(上院)
今日は議会があるのか周辺は厳重な警備がされていた

正門の衛兵、議員が入るたびに敬礼していた
イタリア議会は、元老院(上院)と代議院(下院)で構成される両院制(二院制)である。元老院は、任期5年の民選議員(315議席)、および終身議員(現在8名)とで構成される。
大統領経験者は本人が拒絶しない限り、終身議員たる資格がある他、科学や芸術などの分野で国の名誉を高めた功労者の中から大統領が指名した者が終身議員となる。
一方、代議院は全630議席で、任期5年の民選議員によって構成される。また日本では衆議院の優越が認められているが、イタリアでは両院の権能は完全対等、双方とも大統領によって解散されうる。
      引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サン・ルイージ・ディ・フランチェーゼ教会(San Luigi dei Francesi) 
この教会はカラバッジオの聖マタイの絵があるので有名。

サン・ルイージ・ディ・フランチェーゼ教会

教会内部

教会入り口とパイプオルガン

教会の壁の彫像(左側)
マタイ
 新約聖書の福音書に登場する人物でイエス・キリストの十二使徒の1人。
 聖書によればイエスの弟子となる以前は収税人であった。
東方諸教会・正教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人とされる。
『マタイによる福音書』9:9によればローマ帝国の徴税人であったが、イエスの召命に応えて弟子となったとされる。
聖マタイの召命(カラヴァッジオ)1592年 - 1602年頃 サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂(ローマ)マタイは正教会のイコノスタシスでは他の福音記者とともに王門に描かれる。マタイを描いた美術作品では特にカラヴァッジオのものが著名である。
マタイおよびマタイの福音書はしばしば「人」のシンボルであらわされる。これは『エゼキエル書』1:10に登場する四つの生き物(ライオン、牛、ワシ、人)、と福音書にあてはめられている。
                      引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


『聖マタイと天使』

『聖マタイの召しだし』

『聖マタイの殉教』
本日予定の『天使と悪魔』に関連した教会の見学が終わったが、まだ時間があるのでトレビの泉に行ってみた。
ナボーナ広場と違って人の多いこと。
警官が何人か立っていたので変な輩は見かけなかった。
BC19年にアグリッパがローマの水道建設を指揮した。
アグリッパは水量が多く、水質のよい水道『アクア・ヴェルジネ』を建設した。
古代ローマの水道は537年のゴート族が侵入したとき、その当時のローマの支配者ビザンチン帝国のベサリウスは水道施設をすべて破壊してしまった。
そのため、その後はローマ市民は汚濁したテベレ川の水を使い、公衆浴場も使用できなくなってしまった。
1453年に教皇ニコラウス5世は古代ローマの水道を復活させようとしていた。
水道の終点にはモストラ(mostra:展示)として噴水を作るのが習わしだった。
ベルニーニに制作を依頼していたが、教皇が途中で亡くなったため計画は中止となった。
その後、1732年に教皇クレメンティウス12世が再度建設を計画し、コンペを開き、ニコラ・サルヴィの作品が採用された。
これが現在のトレビの泉である。

ローマ常番の『トレビの泉』,、トレビとは『三叉路』という意味彫刻はポーリ宮殿の壁と一体になっている
トレヴィの泉(英:Trevi Fountain、伊:Fontana di Trevi)は、ローマにある最も巨大なバロック時代の泉で、ローマでも有数の観光名所として賑わっている。「トレビの泉」とも。
ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥヌス(ポセイドーン)が立ち、左に豊饒の女神ケレス(デメテル)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されている。
これらはサルヴィの原案でブラッチが制作した。
元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたもので、ヴェルジネ水道(ウィルゴ水道、乙女の水道の意)の終端施設としての泉が場所を替えた後、今の位置になった。
その後、泉はローマの建築家ニッコロ・サルヴィの設計で改造、彼の没後の1762年に完成した。
                  引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポーリ宮殿は、バロック式様式の宮殿でローマでは比較的新しい建築物である。宮殿は、1573年に建築家ロンギが建築を担当しその後も改築、増築が行われ現在の形となっている。この宮殿はもとは、チェーリ宮殿と称されていたが1678年にポーリ家がこの宮殿を建物を買い取り、改修を行ったのでポーリ宮殿と呼ばれるようになった。

真ん中がポセイドン、左に豊饒の女神デメテル、右に健康の女神ヒュギエイア

女神のかごにはには果物

ポセイドン

医療のシンボルの蛇

トリトン

ローマの水道を建設したアグリッパ
ポセイドーンは、ギリシア神話の海洋を司る神である。
イオニア方言系ではポセイダーオーンとも呼ばれる。
また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされる。エンシノガイオスという名もある。
日本語では長母音を省略してポセイドンとも呼ぶ。
古くは大地の神(特に地震を司る)であったと思われ、異名の1つに「大地を揺らす神」というものがある。
また、馬との関わりが深く、競馬の守護神としても崇められた。
三叉の矛(トリアイナ)を武器とするとされ、馬またはヒッポカムポスの牽く戦車に乗る。
ポセイドーンの宮殿は大洋の中にあり、珊瑚と宝石で飾られているとされる。
トロイア戦争ではトロイアの王ラーオメドーンが城壁を建造した際の報酬を踏み倒した事を根に持っていたためにアカイア側に属している。
また、大地の神であった特質からデーメーテールの夫の位置にいる事もあったようで、ピガリアではデーメーテールとの婚姻も伝えられている。
ポセイドーンの名前の意味も、「ポシス=ダー(大地の夫)」からきているとされているが、ジョン・チャドウィックは「ダー 」という語彙はギリシア語には1度しか現れないし『大地』という意味でもない」としてこの説を斥けている。
ネプチューン (Neptune) はローマ神話の神・ネプトゥーヌスの英語読み。ギリシア神話のポセイドンに相当する。以下これに因む。

              引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ(Marcus Vipsanius Agrippa, 紀元前63年 - 紀元前12年)
古代ローマの軍人、政治家でローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心。
のちにアウグストゥスの娘婿となる。
               引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トレビの泉の近くの教会(S.S. Vincenzo e anastasio)

トレビの泉の近くにいた焼き栗屋
夕食を摂っていると午後5時15分のシャトルバスには間に合いそうにない。
8時15分のシャトルバスに乗って帰ることにした。
 ピザやスパゲッティも少し胃に応えるので中華料理にすることにした。
しかし、時間が早くてまだ開いている店がない、しかたが仕方がないのでローマ三越の地図に載っていた『ロンファン』(クレジットカードだめ)という店に行ったら開いていた。白人女性が2名すでに食事をしていた。
春巻き、エビチリ、チャーハン、酢豚、野菜いため、スープ各1人前とジャスミン茶をとって38ユーロ(4940円くらい)だった。
イタメシよりかなりリーズナブルだった。チャーハンがうまかった。
ホテルの朝食には野菜が出ないので野菜炒めもうまかった。
やはり、中華料理に外れがない。
 食事後、シャトルバスの乗り場の『47ホテル』に170番のバスで向かった。
マルケス劇場が見えた次の停留所で降りた。(ローマ三越の店員さんが親切に教えてくれた。閉店になるらしいので残念です・・・)
乗り場はこのホテルの向かい側で同じツアーの2人組女子大生が手を振って知らせてくれた。
行きと帰りでバス経路が違うので分からなかった。
中国人の観光客はファッション・ショップのロゴ入りの手提げを何個も抱えて待っていた。

FORTY SEVENホテル
表から見ると照明も暗く陰気な感じだが5つ星高級ホテル(客室61

シャトルバスを待つ人たち

コルソ通りからエマニュエル2世記念堂
泊まったシェラトン・ゴルフも市内から遠いが、部屋はかなり広く、バスタブも広く快適だった。
バスは午後8時15分過ぎに到着した。(イタリアにしては正確)
この時間にも関わらずホテルからの客がぞろぞろ降りてきた。
夜間の道路は空いていたが、ホテルまで結構時間がかかった。
シェラトン・ゴルフは自動車を持っていないと交通はかなり不便。
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