2019年3月27日(水) 8日目 | ||||
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マラケシュ (marakish) ラバトの南西約280kmのアトラス山脈山麓の丘陵地帯、 テンシフト川の南岸に位置し、「南の真珠」と呼ばれてきた。 マラケシュは、ベルベル語で「神の国」 を意味する。北緯32度、西経8度、標高450mに位置する。 気候はステップ気候に属する。 2012年の人口はおよそ90万人で、カサブランカとラバト、フェズにつぐモロッコ第4の都市である。 マラケシュはユネスコの世界遺産に登録されるとともに、ジャマエルフナ広場の文化空間について、 無形文化遺産保護条約の発効以前の2001年に「傑作の宣言」(第1回)がなされ 「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、 ユネスコの無形文化遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年9月の初の登録で正式に登録された。 引用;Wikipediaより |
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マラケシュ市内観光に向かいます |
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貯水池のそばに立つ屋根が緑色のピラミッド型の建物(メナラ) |
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メナラ庭園 (Menara gardens) マラケシュ西部に位置する植物園である。12世紀(1130年頃)に、ムワッヒド朝のアブドゥルムウミンによって建設された。 「メナラ」という名前は、灯台という意味をもった、小さな緑色のピラミッド型屋根(menzeh)をもったパビリオンからとられている。 実際には庭園内に灯台の役割をもつ建物はないが、モスクのミナレットなど、一般的に高さのある建物のことを"menara"という。 このパビリオンは16世紀のサアド朝の時代に建設され、1869年にサルタンであったアブドゥルラフマーンが 夏の間滞在するために改装した。 パビリオンと人工湖は果樹園とオリーブに囲まれている。 人工湖は、「カナート」と呼ばれる地下水路を用いて周囲の庭園や果樹園を灌漑するために設けられている。 水は、古い水理学を用いて、マラケシュからおよそ30km離れた山地から供給されている。 引用;Wikipediaより |
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クトゥビヤ・モスクKoutoubia | ||||
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クトゥビヤ・モスクKoutoubia ミナレットはムワッヒド朝の第3代アミール、ヤアクーブ・マンスールの統治下(1184年から1199年)に建設され、 後にラバトのハサン塔となる、セビリアのヒラルダのモデルとして使用された。 モスクの名称は図書館員を意味するアラビア語の「アル=クトゥビーイン 」に由来するものである。 これは、12世紀ころに本屋(写本屋)がこのモスクの周りに集まっていたため名付けられた。 塔は高さ69メートルあり、側面の長さは12.8メートルである。 アザーンをとなえる人がバルコニーへ登れるようその周りに傾斜路が設けられている。 建物は伝統的なムワッヒド朝時代の様式で建てられており、4つの銅の球体で装飾されている。 伝承によれば、これら塔の上にある4つの球体は最初純金で出来ており、3つになる前提だった。 しかし、ヤアクーブ・マンスールの妻がラマダーン中の断食をしなかったことへの代償として、 彼女は自身の黄金の装身具を溶かし、4つ目にあてがったと言われている。 引用;Wikipediaより |
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バヒア宮殿 Palacio da Bahia | ||||
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19世紀中頃にアラウィー朝の宰相アリ=バハメットによって建てられた私邸で、モロッコの建築を代表する建物。 8万平方メーターの敷地に150の部屋を持つ建物で、水盤を配した中庭の周りを多くの部屋が囲んでいる。 天井の装飾や床のタイル装飾などは、当時の面影を残している。 |
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バヒア宮殿360度画像Bahia Place in Mrrakech 28 Mar. 2019 Morroco - Spherical Image - RICOH THETA |
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アル・マンスール・モスク(カスバ寺院)へ向かいます スークを通って行きます |
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BAB EL MALLAH |
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アル・マンスール・モスク(カスバ寺院) Mosque Al-Mansour(Mosque de la Kasba) マラケシュのKasbah Mosque(またはMansouria MosqueまたはMoulay al-Yazid モスク)は、 もともと1185-1190 CEにAlmohad caliph Yaqub al-Mansourによって建てられた金曜日のモスクです。 マラケシュの旧カスバ、城塞、または王立地区に位置しています。 クトゥビアモスクとともに、マラケシュで最も重要な歴史的モスクのひとつです。 Wikipediaより引用 |
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サーディーン廊 アル・マンスール・モスクの横にあります |
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アル・マンスール・モスク(カスバ・モスク)の横にある。 サアードの墓(Saadian)は1524年から1659年の間、 マラケシュの黄金時代に作ったサアード王朝の唯一残った遺跡である。 18世紀初頭、スルタンMoulay Ismailはこの王朝遺跡をすべてつぶすことを決めたが、 墓地遺跡だけは残すことを命令した。 |
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スルタンの息子たちの墓 引用:Tombbeaux Saasiens |
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見学終了後、土産物屋に行きました | ||||
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観光客目当てのなんでもみやげ屋でした、スリッパ買いたいので近くの店を探しに出ました | ||||
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昼食はピザです タジン鍋はもうかなわんと思ってましたので助かりました。 |
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昼食が終えてから、フナ広場へ スークを通ってフナ広場へ向かいます スークは迷路状態でどこを歩いているかわからない。 迷子にならないよう、現地ガイドが先頭、添乗員さんが一番後ろを歩いてくれました。 |
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ジャマ・エル・フナ広場(Jemaa el-Fnaa)は、モロッコ・マラケシュ旧市街地にある広場。 毎日縁日のようなところです。夕方から賑やかになる。 |
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11世紀後半にマラケッシュが首都であった頃から街の中心となっていた広場。 かつては公開処刑なども行われていた。 現在も、大道芸人や飲食物、金属細工を扱い屋台などがところ狭しと軒を並べ、混然とした賑わいを見せる。 屋台の絞りたてオレンジジュースは名物のひとつで、日本のみかんジュースに近い甘さがあるが、 屋台によっては衛生面に問題があり、腹を下すという話もたまにある。 古くからモロッコの観光名所の一つとなっているが、近年、治安が極端に悪化。観光客への安全を考慮し、 広場に面したレストランなどから風景を眺める形式を採るツアーも増えつつある。 2011年4月28日正午前にフナ広場で爆発事故が発生し、フランス人8名を含む17名が死亡、20名以上が負傷した。 当初は屋台が用いていたガスボンベの爆発によるものと思われていたが、 その後の捜査により遠隔操作の爆弾によるテロであることが判明した。 引用;Wikipediaより |
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フナ広場360度画像
Place Djenna el Fna Mrrkech Morocco 27 Mar. 2019 - Spherical Image - RICOH THETA |
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フナ広場の動画 |
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クトゥビア・モスクのミナレット |
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明日は早く起きなければならないので、寝ようとしたが、宴会場での音楽がうるさい。 ちょっと迷惑 |
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