2018年6月12日(火)7日目 |
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ホテルの朝食です。ちょっと珍しいものがありましたので紹介まで。 | |||||||
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今日は市内見物です。 今日はサンアントニオ祭の前夜祭で市内の交通網が制限されるとのことです。 |
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次はアルカンタラ展望台へ、途中にケーブルカーのグロリア線が見えます。 | |||||||
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サン・ペドロ・アルカンタラ展望台からの眺め ※聖ペドロ=聖ペテロ、もと漁師でイエスの最初の弟子 ローマ皇帝ネロによって逆さ十字架にかけられて殉教した。 |
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展望台見学の後は ジェロニモス修道院の見学 | |||||||
ジェロニモス修道院( Mosteiro dos Jeronimos) ポルトガルの首都リスボンのベレン地区にある修道院であり、世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産のひとつである。マヌエル様式の最高傑作ともいわれ、大航海時代の富をつぎ込んで建築された。 2007年12月13日に、リスボン条約の調印式が行われた場所でもある。 ジェロニモスは聖ヒエロニムスのことで、ヒエロニムス会の修道院である。 王家の霊廟だったのはバターリャ修道院だが、ジェロニモス修道院が出来てからはそちらが王家の霊廟となった。 この結果、マヌエル1世もジェロニモス修道院に葬られている。著名人ではヴァスコ・ダ・ガマの棺も、この修道院に安置されている。 引用:wikipedia ヒエロニムス(Eusebius Sophronius Hieronymus, 347年頃 - 420年) キリスト教の聖職者・神学者。聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者として知られる。 四大ラテン教父のひとりであり、正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人とされる(カトリックでは教会博士)。 日本ハリストス正教会での呼称は克肖者イエロニムである。 引用:wikipedia ※余談ですが、インディアンのジェロニモはメキシコ人が勇猛なインディアン戦士に畏敬の念をもって守護聖人のジェロニモみたいだと言ったところからつけられた。ジェロニモは正式な名前ではない。 |
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海洋博物館・考古博物館とジェロニモス修道院 |
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ジェロニモス修道院 内陣 360度画像ジェロニモス修道院 内陣 リスボン ポルトガル 2018/06/12 Jeronimos Monastery Inner Lisbon Portugal June 12 2018 - Spherical Image - RICOH THETA |
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ジェロニモス修道院 聖歌隊席360度画像ジェロニモス修道院 聖歌隊席 リスボン ポルトガル 2018/06/12 Jeronimos Monastery Choir Seat Lisbon Portugal june 12 2018 - Spherical Image - RICOH THETA |
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ジェロニモス修道院の中庭360度画像
ジェロニモス修道院 リスボン ポルトガル 2018/0612 Mosteiro dos Jeronimos Lisbon Portugal June 06 2018 - Spherical Image - RICOH THETA |
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ジェロニモス修道院見学後、ベレンの塔へ | |||||||
ベレンの塔 Torre de Belem、思っていたより小さい |
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ベレンの塔(Tower of Belem) 正式名は「サン・ヴィセンテの塔」、建造は1515年から1521年にかけてのことで、指揮したのはフランシスコ・デ・アルダであった。ジェロニモス修道院と同じく、建設を命じたのはマヌエル1世である。ヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえる目的をこめた灯台だが、テージョ川河口を見張る要塞としての機能も備えていた[13]。当時のリスボンでは、英国やオランダの海賊に対する備えが必要だったのである。 1755年にリスボンを襲った大地震では多くの建物が被災したが、ジェロニモス修道院とベレンの塔があるベレン地区は難を逃れ、さして損壊を被らなかった。ただし、その地震で川の流れが変わったことで、ベレンの塔は中洲から川岸へと、位置関係を変えた。 航海に関する事物をモチーフとした装飾があしらわれたマヌエル様式建築の傑作のひとつで、作家司馬遼太郎はその優雅さを「テージョ川の貴婦人」と評した。 引用:wikipedia |
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サンタ・ジュスタのリフト、Google Earthで見るとこんな具合です Elevador de Santa Justa |
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展望台からの眺め、左端はカルモ教会、1775年の地震で倒壊した |
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サン・ジョルジェ城(Castelo de Sao Jorge) 丘の上の最初の要塞化は紀元前2世紀頃であるということだけ知られているが、考古学調査から、少なくとも紀元前6世紀までには、フェニキア人・古代ギリシャ人・カルタゴ人の影響を受け、土着のケルト人とイベリア人が占領していたとわかった。 のち、古代ローマ帝国、スエビ族、西ゴート王国、ムーア人と支配者が変わった。 レコンキスタが南下してくると、城とリスボンの町はポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケス(のちの初代ポルトガル王アフォンソ1世)により、ムーア人から取り戻された。 引用;Wikipediaより サン・ジョルジェ=聖ジョージ ゲオルギオス(Georgios)とも言う。キリスト教の聖人の一人。古代ローマ末期の殉教者。ドラゴン退治の伝説でも有名である。 引用;Wikipediaより |
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展望台から360度画像サンタ・ジュスタのエレベーターの展望台 2018/06/12 Santa Justa Elevator Observatory June 06 2018 - Spherical Image - RICOH THETA |
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今日の昼食はカタプラーナ鍋料理 レストラン シスターナA Cisternaで昼食 |
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フィゲイラ広場Pr. da Figueira |
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アウグスタ通りを少し散歩 ・・・ちょっと撮影した順番を忘れてしまった・・・順番が狂ってるかも・・・ |
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ロシオ広場に戻って夕食のレストランを確認して一度自由解散 | |||||||
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ロシオ広場 | |||||||
ロシオ広場 (Praca de Rossio) 通称ペドロ4世広場(Praca de D. Pedro IV)の名前が広く知られている。バイシャ・ポンバリーナ地区にあり、 中世からの歴史を持つ。かつては民衆の反乱や祝祭、闘牛、公開処刑が行われた。 現在は、リスボン市民や観光客の好んで指定する待合い場所となっている。 広場の通称は、ポルトガル王ペドロ4世であり、のちブラジル初代皇帝となったペドロ1世にちなんでいる。 『ロシオ』とは、古ポルトガル語で『所有者のいない草原』という意味である。 引用;Wikipediaより |
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マリア2世国立劇場 |
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ロシオ広場でクラッシクカーになった新婚さん、おそらくパフォーマンスでしょう | |||||||
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ロシオ広場360度画像
ロシオ広場 リスボン ポルトガル 2018/06/12 Plaza Rossio Lisbon Portuga June 12 2018 - Spherical Image - RICOH THETA |
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夕食は添乗員さんおすすめのシーフード料理) トリップアドバイザーで調べて自分でさがしてもよかったが、歩き疲れたのでやめた。 |
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夕食後もまだ明るいので歩行者天国のアウグスタ通りを散歩してコメルシオ広場へ | |||||||
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レスタウラドーレスの記念碑は、高さ30のオベリスクで、 1886年 4月28日に作られた。 1640年 の12月1日の スペインからの独立を祝うものである。台座の青銅像は、 手に壊れた鎖を持っている、これは独立を意味している。 | |||||||
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コメルシオ広場(Praca do Comercio) ポルトガル・リスボンにある広場。『貿易広場』という意味である。 テージョ川近くにあり、いまだに元の名前テレイロ・ド・パソ(Terreiro do Paco、宮殿広場の意味)が有名である。 これは、1755年のリスボン地震で崩壊したリベイラ宮殿があった場所のためである。 地震後、広場はポンバル侯の命令によりポンバル街の再建の一部として完全に改修された。 引用;Wikipediaより |
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コメルシオ広場 |
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4月25日橋Ponte 25 de Abril |
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リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ、長さ2,277 mの吊り橋。 1966年8月6日に開通した。開通した当初は、当時のポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールにちなみ、サラザール橋と呼ばれていたが、1974年4月25日のカーネーション革命のすぐ後、革命が起こった日から名前をとって改称された。 長さは2,277 mで、上段が6車線の道路、下段が複線の鉄道となっている。鉄道部は当初建設した時から構想はあったが、経費削減のため実行されず、最終的に完成したのは1999年。 引用;Wikipediaより |
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コメルシオ広場 360度画像コメルシオ広場 ポルトガル リスボン 2018/06/12 Pr. do Comercio Portugal Lisbon June 12 2018 - Spherical Image - RICOH THETA |
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スーパーで買い物も残っているので地下鉄のバイシャ・シアード(Baixa Chiado)に引き返し ブル−ラインに乗り、マルケス・デ・ボンバルでイエローラインに乗り換え、カンポ・ペケーノで下車 |
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闘牛はポルトガルでもやっています。 牛は観衆の前では殺さない、闘牛士8人(フォルカード)で素手で押さえ込んでしまう。 スペインの闘牛とは少し違うようです。 |
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聖アントニオ祭り(6月13日)の前夜祭で夜中でも大音響の音楽、午前3時頃まで続いていた。 明日は午前4時起きなので寝不足になってしまう。 |
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リスボンの守護聖人“聖アントニオ”を讃える祭り「聖アントニオ祭(Santo Antonio de Lisboa)」が毎年6月12日(前夜祭)と13日(聖アントニオ祭当日)に行われる。 イワシを炭で焼いて食べることから、聖アントニオ祭は、別名“イワシ祭り”と呼ばれている。 聖アントニオは、縁結びの聖人として有名。、イワシを食べ、愛の告白をする日。 現地のガイドさんに言わせると外国人にはもの珍しいが、私らにはイワシを焼いて食って馬鹿騒ぎ、テレビで見ている方がましとのこと。 聖パドヴァのアントニオ(195年 - 1231) パドアのアントニオは、カトリック教会で、失せ物、結婚、縁結び、花嫁、不妊症に悩む人々、愛、老人、動物の聖人とされている。 リスボンで貴族の子として生まれた。そのため、リスボンのアントニオとも呼ばれる。アッシジのフランチェスコに共感し、彼の創設したフランシスコ会に入会。イタリアや南フランスといった地域を巡り、精力的に活動するも、パドヴァ近郊で病没した。 説法に優れ、生前から民衆にも大変人気のある人物であったという。彼が死んだとき、天使たちが舞い降りて町中の教会の鐘をひとりでに鳴らしたとも言われている。彼の絵画や肖像では、幼子のキリストを抱き、本とユリの花、パンがともに描かれている。 祝日は6月13日。パドヴァ、ポルトガル、ブラジルの守護聖人。 引用;Wikipediaより 6月13日はイワシ漁の解禁日でもある。聖アントニオがイタリアのリミニで説教を行ったが人々は彼の説教を聞きに来ない。浜辺で説教をしていたら、海の魚が説教を聞きに現れたという伝説。(聖フランシスコの説教を小鳥が聞きに来たという伝説とよく似ている)この話とも関連してイワシを焼いて食べるらしい。 |
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聖アントニオ祭 リスボン |
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