2018年6月11日(火)6日目
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9:00/ 港町ナザレ観光へ
(○ナザレ展望台<約30分>、その後オビドスへ。(約45km/約40分)
○オビドス散策<約1時間>
中世の面影を今に残す城壁に囲まれ丘の上にある小さな村
その後、
〇シントラへ。(約95km/約1時間15分)
風光明媚な街並みでかつて王室の避暑地としても愛されていた【世界遺産】
◎王宮:15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住んでいた
その後、ロカ岬へ
○ロカ岬散策:ユーラシア大陸の最西端
その後、 リスボンへ。(約35km/約30分)
17:30/ホテル着
【バス総走行距離:約175KM】
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今日は気持ちがいいくらいの晴れ、ナザレの海がきれいに見える。

ホテルの屋上からケーブルカーが見え、崖の上がシティオ地区

ホテル屋上から、海は大西洋、右手の広場はソウザ・オリベイラ広場

ケーブルカーが動き始めている。
私たちはバスで崖の上に向かう

昨日の夕食のレストランSao Mmiguel
ナザレはサーフィンで有名なところで海底の地形の関係で大波が打ち寄せる。

近年、ビッグウェイブの来るところで有名になっている

ここでサーフィンしている画像
引用元
ナザレの女性がはくスカートは7枚重ねでsete saias」(sete=7 saias=スカート)呼ばれる。
ナザレの女性は夫や息子が漁から帰るのを寒い風の吹く海岸で待つので、防寒のため使っていたようです。
また、7という数字が縁起がよいからという説もあります。
ナザレの海岸はサーフィンでも有名で米国人サーファーのギャレット・マクナマラが2011年には24メートルの、2013年には30メートルの巨大な波乗りに成功し、これがサーファーの世界記録だそうです。
ナザレ沿岸は海底谷の地形がかなり深く、そのため非常に大きな波が生まれるそうです。
 
ケーブルカーは使わずバスで展望台へ

展望台から(ケーブルカーで上がったところ)の眺め
ナザレは17世紀頃から漁師の町として知られ、19世紀になり、格子模様のカラフルな民族衣装などとともに、国内有数の海水浴場として知られるようになった。南北2Kmに渡る弧を描くように続く海岸が有名である。
 ナザレの海岸 動画

展望台に立つ ヴァスコ・ダ・ガマ記念碑
民族衣装を着た売り子さん、既婚の女性は7枚重ねのスカート
この7枚重ねのスカートは「sete saias」(sete=7 saias=スカート)と呼ばれている。7は縁起がいい数字だからとか・・・。 
 
碑文に書いてある内容は分からないがヴァスコ・ダ・ガマの文字は分かる
広場に建つノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会(Igreja de Nossa Senhora da Nazare)は騎士ドン・ファスの命を救った聖母マリアの伝説を記念して建てられた教会で、航海士バスコ・ダ・ガマもインド航海の前にこの教会で祈りを捧げた。

ノッサ・セニョーラ・ナザレ教会

メモリア礼拝堂(Capela da Memoria)
ポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケスも訪れたと言われる。

緑色の聖母マリア像
有料でバックヤードに入れる。天井から壁までアズレージョで覆われた見事な回廊があり、祭壇裏の階段を上るとナザレの地名由来となった聖母マリア像がある。

「ドン・ファスの奇跡」
ドン・ファスの奇跡とは
「霧の中、シティオ岬で狩をしていた騎士ドン・ファスは、獲物を追って夢中で馬を走らせていた。そのとき、目の前に現れた断崖絶壁。勢いあまって馬もろとも転落しそうになったとき、そこに現れたマリアによって、ドン・ファスの命は奇跡的に救われた」 という伝説。
ナザレの見学を終わって、オビドスに向け出発
オビドス
首都リスボンに近く、大西洋岸に近い高地にあり、戦略的に重要な土地となっている。ローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐため砦が築かれた。その後。イスラムに征服され、1148年アルフォンソ・エンリケスがイスラムを追いやり、町を取り返した。13世紀、ここを気に入ったデニス王 (Dinis) は、妻のイザベル女王 (Isabel) にこの街を与えた。さまざまな王朝の女王は、この街を改造し、現在に至っている。この小さな町にしては非常に教会が多いのが特徴である。
注)アルフォンソ・エンリケス
ポルトガル王国を建国したブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝)の初代ポルトガル王(在位:1139年 - 1185年)。「エンリケの子」を意味するアフォンソ・エンリケス(Afonso Henriques)の名前でも呼ばれる。
注)ディニス1世(在位 1279年 - 1325年)
第6代ポルトガル王でアフォンソ3世と2番目の王妃ベアトリス・デ・カスティーリャ(カスティーリャ王アルフォンソ10世の庶子)の長男。 

ポルタ・ダ・ヴィラPorta da Vila
イスラム時代の町のメインゲート、内側に18世紀に作られたアズレージョの壁。(右)

ここからも城壁に上る階段あり

オビドスのポサーダ(ポルトガルの国営ホテル)

網の文様
ペロニーニョ、 処刑された罪人を見せしめに吊るすとか、罪人を鉄かごに入れてつるした石柱、後はサンタ・マリア・教会
1491年レオノール王妃(アフォンソ5世の息子ジョアン2世の妃)の王子がテージョ川で水死(落馬で死んだとも言われている)した。王子を引き上げた漁網の模様をここに刻ませたと言われている。 
オビドス名物のジンジャ 
Ginja de Obidos(ジンジーニャ、ジンジャ)は 黒さくらんぼの実入りの果実酒で、オビドス産はとくに質が良いとされている。
アルコール度数は18〜20%でワインより少し高め。チョコレートで作ったおちょこで1ユーロくらいで試飲販売している。飲み終わったら、チョコレートのおちょこを食べてしまう。ゴミが出ないので環境によい。 
 昼食の前に城壁ウオォーク、道が細く、手すりがないと言うことだったが、道幅は十分あり、問題なし
 

ポサーダ・カステロ・オビドス
15世紀の城を改装したポサーダ

この階段を降りれば入り口の城門の内側
 サンタマリア教会
1444年10才のアルフォンソ5世と8才のいとこイザベラが結婚式を挙げた教会

サンタマリア教会

サンタマリア広場

壁面には17世紀のアズレージョ
 オビドスのサンタマリア教会 360度画像
ポルトガル オビドス サンタマリア教会 2018/06/11 - Spherical Image - RICOH THETA
 変な教会、中に入ったら本屋さんだった。
Livraria de Santiago サンティアゴ書店 教会の中は本屋でした
 サンティアゴ書店360度画像
Livraria de Santiago Obidos June 11 2018 - Spherical Image - RICOH THETA
サン・マルチノ教会 Capela de Sao Martinho 
今日の昼食はMuralhassというレストランでロースト・チキンということでした。

Sopa de Agriaoクレソンのスープ

チキンのオーブン焼きとフレンチフライ
Franguito No Forno Com Batatas Fritas

デザート
Pudim Flanプディン・フラン

郵便局と缶詰切手
ポルトガル郵政は、缶詰産業をテーマにした切手を
2016年に発行。
切手は本物の缶詰の中に入っていて、
缶詰は閉じたままの状態で販売されている。
記念記手を買うために入ったら、缶詰に入った記念切手を売っていた。買おうかなと思ったが、ストックブックに入らないし、中身の切手を見るためには缶を開けなければならない。アイデアはいいんだがどうしようもないないので買うのをやめた。 

 お土産のタイルの敷物

バルセロスの雄鶏
ポルトガルの伝説:バルセロスの雄鶏 
昔々、バルセロスの町の大きな屋敷で銀貨が盗まれた。村の人は、「村人の中に盗人なんかい。犯人は他からやってきた者に違いない」と言い出した。
その頃、サンチャゴ・コンポステーラに向かっていた一人の青年巡礼者が、バルセロスに宿泊していた。
「あいつが盗んだに違いない」と村人は言いだし、青年を判事の元に連行した。彼年は無実を叫んだが、誰も信用せず捕らえられ、死刑が宣告された。
青年はもう一度判事の前で無実を証明したいと懇願した。仕方なく、青年を判事の家に連れて行った。
判決を下した判事は晩飯のフランゴ・アッサード(鶏の炭火焼)を食べようとしていた。
青年は判事に言った。
「私が無実であるという証拠に、聖母マリア様が現れ、刑が執行される時にその丸焼きの雄鶏が鳴くだろう」と。
青年の絞首刑が執行される瞬間、判事の食卓の丸焦げの雄鶏が皿の上に立ち上がり、鳴き声を上げた。
驚いた判事は、あわてて死刑執行場に駆けつけたが、刑は既に執行されていた。しかし不思議な事に縄は緩んでいて、青年は助かり、無事釈放されたいうお話。
オビドスからシントラへ

オビドスからシントラへ
シントラ (Sintra)
ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。
シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。
ムーア人が築いた城の跡や、ポルトガル王室の夏の離宮など、様々な年代の文化財が集積していることから観光地として有名であり、また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点でもある。
引用;Wikipediaより
 
背後にムーア人が作った城壁
シントラの王宮 Palacio Nacional de Sintra 

二本の大きな煙突が特徴
シントラ国立宮殿 (Palacio Nacional de Sintra
ポルトガル・シントラにある宮殿。少なくとも15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、ポルトガル国内で最も保存状態の良い中世の王宮である。シントラの文化的景観の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されている。 
引用;Wikipediaより

白鳥の間
 白鳥の間
「白鳥の間」には27羽の白鳥が描かれている。
王冠を首に架けている白鳥は1662年、ジョアン4世がイギリスのチャールズ2世に嫁いだ娘カタリーナの幸せを祈って描かせた。白鳥の数は、娘の年齢だったと言われている。
 白鳥の間360度画像
シントラ 王宮 白鳥の間 June 11 2018 - Spherical Image - RICOH THETA
 カササギの間  
天井には136羽の鵲(かささぎ)が描かれ、さらに鳥の口に「POR BEM」と書かれた布をくわえている。
これは、ジョアン1世が侍女にキスをしているのを王妃に見つかり、「POR BEM」=「善意でキスしたのだ」と言って言い逃れをしたことに由来している。王妃は怒ったりしなかったが、このことは女官たちに瞬く間に広がってしまった。
ジョアン1世は、しゃれのつもりで「おしゃべり」の象徴であるカササギを侍女の数だけ(136羽)描かせ、その足元に王妃の出身のランカスター家の紋章バラの花をつかませた。 
 紋章の間の天井 
ドーム天井の真ん中に金の唐草模様で囲んだ紋章があり、その周りに王族のの8つの紋章が配置している。

半分白の紋章は王の結婚していない娘を示しており、結婚後、この部分に夫の紋章が書き込まれる。
中にはヴァスコ・ダ・ガマの紋章もある。
紋章の間 360度画像
シントラの王宮 Palacio Nacional de Sintra  紋章の間 Room of Enmblem June 11 2018 Sintra Portugal - Spherical Image - RICOH THETA
 

ムーアの城跡
シントラからロカ岬へ
 
ロカ岬(Cabo da Roca)
ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸最西端の岬である。
位置、北緯38度47分、西経9度30分。
西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島がある。
ここには、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩
『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる
(Onde a terra acaba e o mar comeca)」を刻んだ石碑が立っている。
引用;Wikipediaより 
 

石碑の向こうは大西洋

ロカ岬の記念碑
「ここに地はて海始まる」
カモンイスの詩の一節が刻まれている。
ルイス・ヴァス・デ・カモンイス(Luis Vaz de Camoes、1524 - 1580)
ポルトガル史上最大の詩人とされる人物である。その作品はホメーロス、ヴェルギリウス、ダンテなどの古典詩人と比較される。
引用;Wikipediaより

最西端到達証明書、古文字とロウ印
 
 ロカ岬からリスボンへ
 リスボン市内に入りました。

今年はジャカランダの咲きがもうひとつだそうです

リスボン名物レトロな市電、ポール式というのは珍しい
夕食はファドを聴きながら食事。クルベ・ド・ファドというレストランでした。
オーナーは有名ギタリストのマリオ・パシェーコ、さしずめ日本のクロードチアリさんのような人のようです。
食事が終わって、午後9:30くらいから始まりました。
ファド(fado)
ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌によって現在の地位を得た。
引用;Wikipediaより
ファドは日本の演歌みたいなもんですね。
ファドはちあきなおみさんも歌ってます。 
 
リスボンの夜は更けて、ファドを聴く

この人も後でボーカルで歌ってました

このマンドリンのでかいのがポルトガルではギターという

ファド 女性ボーカル その2

ファド 男性ボーカル

レストランの前の通り、夜遅くは歩きたくない

レストランは坂を上がって左側、ちょっと治安が良くないでは?
 
クルベ・ド・ファドのオーナーのマリオ・パチェーコMario Pacheco
 
マリオ・パチェーコの演奏
 今日はこれで終わり、明日はリスボン観光です
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