結核と人権
結核病学会 第79回総会シンポジウム
KekkakuVol.80,No.1:31-45,2005
座長 永井 英明 稲垣 智一
 結核は空気感染する感染症であり,喀痕の塗抹陽性患者は入院治療が必要である。結核の治療は長期にわたり,不十分な治療は結核の再発や耐性結核を生む。結核の治療を終了するためには,患者の協力が欠かせない。

多くの患者は協力的であり,トラブルなく治療を終了できるが,治療に協力的でない患者も少数ながら存在する
結核菌の排菌患者に対しては「入所命令」という言葉で対応しているわけだが,法律的な拘束力はなく,現状では説得以外にとる手段はない。このシンポジウムでは,少数の非協力的な結核患者の人権制限の可能性を含め,結核と人権の問題について議論を深めることとなった。

 患者の人権は当然守らなければならないが,感染を受ける可能性のある人々の人権も守らなければならない
双方のバランスを十分に配慮した結核対策が必要である。今まで公の場では議論されてこなかったテーマを,学会が初めて取り上げたのは画期的なことである。

 豊田先生は,隔離期間については明確なエビデンスを蓄積し,一般市民のコンセンサスを得る必要があると述べられた。川辺先生と藤原先生は,それぞれの立場から治療継続困難例を提示し,行政との協力,病院間の連携により治療を継続する努力が必要であるが,そのように対応しても治療継続困難な症例に対しては,法的な人権の抑制が必要と感じられることもあると述べられた。

増山先生は米国では個人の人権と社会防衛とのバランスを考慮し,患者の自主性を育成し,地域ケアのネットワーク構築がより重要と考えられており,拘留は「手に負えない」患者への一つの,しかも最後のオプションであると述べられた。高橋先生は,入院措置制度をとるのであればレベルの高い手続保障の必要性(裁判所の許可制度など)や過剰措置にならないための制度的保障(退院請求制度,期間の限定など)などが不可欠の検討課題になると指摘された。

 今回のシンポジウムで,現状と法律的な問題点が明らかになった。今後,結核予防法の改正が進んだ場合,結核患者の人権の扱いについては今まで以上に踏み込んだ内容になると思うが,このシンポジウムを契機に十分な議論を尽くし,国民の同意を得られるものになることを期待したい。
米国における結核対策と人権  結核予防会渋谷診療所 増山 英則
はじめに
 結核対策と人権に関する文献としては,Singla,RやOlle-Goig,Jrresなどがある。後者はサウジアラビアでの耐性結核外国人患者国外退去についての前者へのCorrespondenceである。また,Sarkin,Jによれば,発展途上国では医療を平等に享受する権利保障に重点があり,患者の人権を擁護するまでの余裕がない。つまり,結核対策と人権の問題は主として先進国の課題である。

DOTと強制的対策
 強制的対策での人権規範として,
@強制的対策を施行しない場合,公衆衛生学的脅威となる
A必要最低限の人権制限
B平等に強制的対策が実施される,
の条件が満たされることが必要とされる。
米国でのDOTの検証では,雁患率が異なる10地域で検討されたが,@についてはDOTが質の高い自己内服治療対策を超える対策でなく,治療完了率に開きがあり,また周囲の健常者への感染防止に十分役立つ効果,確証が得られなかった。

Aについても,DOTが必要最低限の患者拘束で行われていない。DOTの期間や回数に開きがあり,患者拘束の増大や訪問回数の増加は対策のコスト増に比例するが,治療完了率と相関しないこと,訪問場所は医療サイドで決定,DOTのコンプライアンス向上のためConfinementを7地域で採用などの事実が指摘された。

アフリカでのDOTのRCTで,患者の対策許容度により,自己内服管理がより効果的とのデータもでている。Bについても,9地域ではUniversal DOTでなく,DOT適応患者選別基準が不明の点や,アフリカ系米国人が他のethnicityに比し,DOTとなる率が高く,耐性が多いアジア系米国人や西太平洋居住者のDOT実施率がより低いなどの矛盾点が指摘された。

強制的対策としての人権規範上記3条件をいずれも十分に満たしていなかった。1980年代〜90年代初頭の米国での強制的対策は行政の権威のみ増強し,強制的対策の適応は公衆衛生学的脅威の視点というより,治療へのコンプライアンスで決定されていた。ニューヨーク市では公衆衛生学的脅威は,治療を完了することによりほとんど消失するので治療完了まで拘留するとし,拘留はDOTと同様,必要最低限人権を制限する対策でないにもかかわらず,正当化された。ニューヨークでの行政対応はCDCも容認し,全米結核対策の基本となった。しかし,最近の米国結核対策は,1例を示せば入管,CDC,地域保健担当者の連携を重視する方向になった。

結核対策と医療関係者
 また,結核対策と医師,医療スタッフの対応については,1996年以来毎年主要な専門誌に多数報告がみられる。その内容は,結核の診断,治療(LTBIも含む),サーベイランス,感染防止対策(院内感染防止対策も含む),リポート体制等ほとんどすべての分野で,CDC等が示すガイドラインに現場の対応が十分追いついていないというものである。

Risk assessment
 Risk assessmentの問題点として,結核のリスクがHIV-seropositive casesがHIV-Seronegative casesより大,Timing of defaulting(treatment ceasing after months)が短い,MDR−TBcasesがSensitiveTBcasesより大であろうか。

現実には,リスク決定を指示するエビデンスはない。結核の感染性に重点をおきすぎてドグマに陥っている。それよりも,結核は社会的影響を受けやすい病気と捉えるべきである(Homeless,Immigrants,Drugabusers)。DOTの目的の一つである耐性結核発現防止についても検討し,ニューヨーク市では大部分の耐性結核患者は他の既耐性結核患者から感染発病と報告している(ただし,日本では初感染発病説)。

米国での強制的対策の考え方
 強制的対策の米国での捉え方は,個人の人権と公衆衛生学的防御とのバランスで適応を考慮し,患者の自主性(Autonomy)を育成し,地域ケアのネットワーク構築がより重要と考えている。拘留は,“手に負えない”患者へのひとつの,しかも最後のオプションである。

 結  語
 日米の比較をすると,米国全体の結核治療完了率,完了期間(CDC)は日本のそれと大差なく,例えばカリフォルニア州での塗抹陽性初回治療成功率は78%(1998),日本では80%(1998)であった。
 強制的結核対策を日本で議論する際,以下の点を考慮する必要がある。
@専門医制度が普及している米国でもPolicyとPractitionersとの大きな乖離がみられる。
Aニューヨーク市でのTBresurgenceを克服したDOTに対しても的確な批判を今もしている。
B個人の人権を最大限守る整備をした米国でも,強制的結核対策について今でも議論を深めている。
C問題ある症例への強制的対策を考えるとすれば,日本としての人権と結核対策を日本の組織文化,風土も考慮に入れ十分議論を深めるべきである。
 最後に,結核対策の対象は,結核症という病気でなく,結核に感染発病し,病んでいるヒトとその周囲のヒトたちである。


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