老人保健施設での結核対策
結核 81(2):71-77,2006
・・・・・・前省略
考察
 結核発病に際し早期に発見することは患者の予後の点で重要であるが,高齢者施設にあっては周囲に感染を広げない点でも重要である。早期発見のためには,入所時に結核発病リスク要因を詳しく調査し,ハイリスク者へは日常の介護時の確認事項を定め症状の発現に注意する。医療機関を受診させる際はリスク情報を伝えるとともに,異常陰影に対しては比較読影のための]線情報の提供も重要である。老健施設ではこれら情報の収集から記録,病棟への周知,医療機関への情報提供等,リスクマネージメントの視点で結核対策システム作りが求められる。

 本研究は老健施設入所者の医療情報,問診,結核検診成績を調査したものであるが,得られた情報には人為的な要因による制限があったことは否定できない。例えば問診は医療情報から問診可能と判断された者に看護師,介護士の最終的な判断を入れて対象者を決めたが,結果的に問診実施率は
A施設:42.4%,
B施設:24.5%,
C施設:18.6%と
調査時期が後になるに従い低下した。
この理由にA,B,C施設の
認知症老人自立度V(重度の認知症)以上は,29%,55%,33%,1日の大半をベッド上で過ごし介助により車椅子移乗と定義される障害老人自立度(寝たきり度)B2以上は17%,40%,39%など入所者の背景の違いもあった。しかし,調査の過程で体位の保持が困難なパーキンソン病,事前の医療情報調査では判断できなかった意思疎通困難例に遭遇し,より問診しやすい者を選ぶようになったことも影響していると考えられる。

 このようにして得られた問診情報ではあるが,若い頃の既往歴など本人しか知り得ない情報において,問診実施者と未実施者で大きな違いがあった。このことは入所時の調査において,問診が可能な者へも,結核発病のリスクを念頭においた問診や情報収集が十分には実施されていないことを示唆するものである。今回の問診調査で,初めて結核既往歴が確認された者があったことは,当然問診未実施者についても確認されていない結核既往歴があることを示唆するものである。以前行った老健施設へのアンケート調査でも,医療情報提供書に結核の項目がない,未記入が多いとの声があった4。その背景には情報収集の基盤である医療情報提供書の様式の違いも大きいと考えられるので,結核発病危険要因についての情報を収集できるよう医療情報提供書の様式を改めることが求められる。加えて,本人への問診が不可能な者については,家族からの問診を十分に行い,胸部]線上の陳旧性所見の有無など結核発病危険要因に関係する情報は丁寧に記録することが重要である。

 老健施設入所者の状態では,BMI18.5%未満の痩せの割合が41.8%と国民栄養調査の70歳以上の9.9%に比べて大きく,また,平均値でも健常高齢者65〜94歳の平均BMIが22.0との報告があるのに対し,3施設の同年齢層の平均BMIは19.4と低かった。BMIが低い者にツ反陰性者が多い,リンパ球数,PNI(Prognostic Nutritional Index)が有意に低いという報告から,老健施設では免疫能の低下した者が多い可能性が示唆される。すなわち,老健施設入所者は発病のリスクが高いだけではなく,感染を受けるリスクについても考慮する必要がある。

なお,感染のリスクについては,入所者に近く接する介護士や看護師の職員のほとんどが結核に未感染の世代であり,職員への感染予防対策は当然ながら重要である。感染予防のためには結核菌を排菌する前に発見することが重要であるが,老健施設入所者で結核を発病した者は,自宅あるいは病院入院中の発病者より喀痰塗抹陽性で発見される割合が高かったとの報告は,老健施設で発見の遅れが大きいことが示唆される。従ってリスク要因をもった入所者には日常の介護の中で異常を早期に察知し,早期診断,早期治療に運ぶ体制作りが望まれる。

 早期発見の理想は症状出現前に胸部]線による検診で発見することであるが,高齢者の胸部]線撮影には様々な問題がある。老健施設入所者のADL(Activitiesof Daily Living)では食事動作が最も高く,歩行動作が最も低いという報告があるが,本研究でも四肢の機能不全が54.7%と半数以上にみられた。老健施設では入所中に骨折する者もあり,機能訓練以外は車椅子で移動する者が多い。今回の結核検診でも183名中149名(81.4%)は坐位による撮影だった。実際車椅子から急に立ち上がる癖のある人にはバンドで固定するなどの措置をしていたが,施設側が転倒などの危険回避のためできれば坐位を望んだこともある。それでも検診実施日の入所者数を把握できたC施設では96名中19名(19.8%)は,検診を受診できる状況ではないとの施設の判断で検診を受診しなかった。併設病院のないA施設では当日外泊や病院受診のある者を除き,極力,結核検診を受診させるという方針であったが,車椅子の縁でかろうじて頭をささえ体が斜めになった状態の写真,前にずり落ちて胃が持ち上がり肺野の小さくなった写真もかなり見られた。高齢者施設で結核検診を実施するということ自体,危険を伴う行為であり,施設は事故が起きたときの責任を負わねばならない。それでもほぼ100%の入所者に結核検診を受診させる方針かどうかは施設の状況や考え方によって異なってくるだろう。

 結核予防会は「高齢者の結核健診指針一結核予防会版一」の中で,「健常人」「車いす」「寝たきり」に分けて対応方針を取りまとめたが,「車いす」については,バリアフリー検診車が必要である,「寝たきり」については,ストレッチャー付き検診車で対応可能であるが,健診受診の困難さ,起こりうる事故の危険を考えると,健診として実施することは必ずしも推奨できないとし,有症状時の医療機関受診を原則としている。

 高齢者施設入所者の定期健診からの発見率は,同年齢の住民健診からの発見率に比べ2.41倍と有意に高い。加えて精検が十分に実施されていない現状があるとすれば,発見率はこれ以上になるかもしれない。この特対事業で行われている結核検診に,精検は含まれておらず施設負担である。費用負担の問題もあるが,認知症のある入所者では精検が指示されても,痰の採取が困難で,胃液採取も非協力,暴れることも多々あり,リスク回避を優先させ精検を諦める施設もあるかもしれない。特養老人ホームの定期健診で異常有りとされながら,そのままにしていた例から結核が悪化した例が報告されているが,精検費用と精検結果報告の義務まで担保されない結核検診では精度管理がなおざりにされる。

 一般の結核検診受診が難しい寝たきりの高齢者のために,ポータブルによる検診や喀疾による検診が提唱され実施されたこともあった。しかし特対事業で実施した「寝たきり高齢者」に対する結核検診事業(ポータブル]線撮影等)は,非効率性とコストの問題がある一方で,17自治体での成績から,結果の評価が不十分で精度管理面の問題が多く,有所見率が高い割には患者発見率(0,02%)が低いとの評価もある。

 喀痰のみによる結核検診の問題は,喀痰採取率の低さにある。一般に健康な者は痰が出にくい者が多いうえ,高齢者では自己排疾困難な者も多い。喀痰採取率は特対事業報告書をもとに調査した結果で13〜19%),ある自治体の6年にわたる取り組みで特別養護老人ホームが10〜30%,ケアハウスが50〜90%であった。

なお,後者では315検体のうち塗抹陽性1例,培養陽性35例が発見されたが,いずれも同定検査の結果,非結核性抗酸菌であり,結核菌は検出されなかった。喀痰のみの結核検診で非結核性抗酸菌が多く検出されることは,他の特対事業でも報告されている。菌の同定検査までが喀痰のみによる結核検診であると考えると,コストパフォーマンスの点でも検討すべきことが多い。

 また,発病予防のために高齢者へ無料の予防投薬が示された時期があったが,対象者の選定の過程で多くが対象外となり,実施できた少数の高齢者も,副作用等で中断することが多かった。実際,特対事業として実施した自治体は少ない。現時点では,早期発見による早期治療に重点をおいた対策が重要である。

 最後に,結核リスクマネージメントの視点で結核検診について考えると,胸部]線の検診は,精検まで予算が担保されたうえで多くの者が受診できる高齢者対応の結核検診が準備され,検診成績について評価が行われるのであれば,勧められる。その場合,老健施設でも結核検診成績の記録を残し,さらに,検診で撮影された画像を必要な場合には利用できる体制を作ることが望まれる。高齢者の胸部]線読影は熟練者でもかなり難しく,医療機関を受診しても肺炎として見逃されることもある。陳旧性の陰影の場合,不活動性のままか活動性に変化したのかを1枚の写真で判断することは難しく,比較読影ができなかったC施設で要精検率が高くなった理由となっている。入所時あるいは健診で撮影された]線を,症状や異常の発現で医療機関を受診する際に有効に利用できる体制が整えられれば,それは早期診断に大いに寄与するであろう。

 また,結核検診以外のリスクマネージメントとして施設で日常とるべき行動としては,結核発病のハイリスクが既往歴,陳旧性陰性,糖尿病,腎機能,悪性腫瘍,胃切除,痩せ,有症状(咳,痰,微熱,食欲不振,体重減少等)などから,次のことが求められる。まず,入所時結核発病の有無の確認として,
@入所前3カ月以内の]線の記録を残す。できれば]線フイルムの添付を要求する。
A結核発病ハイリスク要因の情報収集に努め記録する。
特に入所者の既往歴・治療歴は,本人(本人が困難な場合は家族)から詳しく問診する。それでも問診が不可能な場合には,]線の陳旧性陰影の有無から推測する。
B結核発病ハイリスク要因保持者の一覧表を作成し,該当者には毎日の巡回時に呼吸器症状・全身症状の発現に特に注意する。
C結核発病ハイリスク者で,呼吸器症状あるいは,微熱・食思不振などの全身症状がみられ医療機関を受診させる場合には,医療機関に結核ハイリスク者であることを文書で伝えるとともに,結核を疑った検査を依頼する。
D高齢者では肺炎とされて診断が遅れることが多い。肺炎を疑い医療機関を受診させる場合には,必ず結核菌検査も同時に依頼する。


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