ハンガリー・チェコ・オーストリア 2005年

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2005年9月22日(木) ブタペスト
 
ブタペスト市内地図
 午前中にくさり橋と国会議事堂を見に出かけた。天気は快晴、
気温もウイーンほど寒くなく、ちょうど良いくらいだった。
ブタペストカードでトラムに乗ってみた。
何回でも乗り換えれるので間違った乗り換えればいいと適当に乗ってみた。
 
くさり橋のライオン像
 
くさり橋、
あまりどこといって特徴はないのですが・・
 セーチェーニ鎖橋(セーチェーニくさりばし)
全長380メートル[1]。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋であり、
西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいる。
単に鎖橋とも呼ばれる。

イングランドの技師ウィリアム・ティアニー・クラーク(William Tierney Clark)が設計し、
建設はスコットランドのアダム・クラークの監督と
ハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の支援のもとでなされた。
19世紀初頭には、ネックレスチェーンのような鉄輪をつなぎ合わせた
リンクチェーンを使った吊橋も複数建設されたが、
強度の問題などからあまり建設されなくなっていった。
これに対して、アイバー(eyebar)と呼ばれる両端に穴の開いた細長い鉄板を
つなぎ合わせて鎖状にしたアイバーチェーン(自転車のチェーンに近い)がこの橋に使われている。
引用;Wikipediaより
 
ハンガリー独立運動の闘士『コシュート』
コシュートは、今日でも最も人気のあるハンガリーの英雄で、
ハスプブル家支配下で徹底的に楯突きハンガリーの独立を画策しを独立運動を行った指導者である。
しかし亡命のトリノで祖国を思いながら客死した
  国会議事堂のツアーに向かった。国会議事堂の前にテントを貼って看板を立てている。
抗議の様だが書いてある内容は分からない。
議事堂の前に警官が立っており、議事堂の方へは行けない。
地球の歩き方には警官に入場券を買いたいと言えば中に入れてくれるとのこと、
その通りにして売り場に入れてもらった。
券売り場で1人の女性が受付の女性と話をしている。
よく見ると自分か友達の結婚式の写真を見せて話をしている。
券を売らずにさぼっている。
やっと話をやめて券を売ってくれたが、
客をそっちのけで私事を話しする神経が分からない。
まだツアーの時間まで30分あるので公園のベンチで腰をかけて待つことにした。
正面にコシュートの銅像が立っている。
 
国会議事堂
前に見えるのはガイドツアーを待っている人たち
 
国会前にピケを張っている
 
国会議事堂のガイドのお姉さん
ハンガリー人は意外と小柄
 
  議事堂は1885年に建築開始し10年かかって完成した。
意外とハンガリー人も気が長い。
ドナウ川沿いに建てられている。
全長268m、高さ96m、部屋数は691室、敷かれた絨毯は総延長20km。
議場はあまり広くないが金ぴか、議場というよりは教会の雰囲気である。

国会議事堂の議会場 
 
 
議事堂の廊下

イシュトバーンの王冠
第二次世界大戦後、アメリカに保管されていた。
1978年カーター大統領により返還された
 
 
 国会議事堂の見学の後、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)を見学に行く。
このシナゴーグはヨーロッパ最大のものと言われている。
ユダヤの紋章があるのでユダヤ教だというの分かるが、
内部にはキリスト教の教会と違って像がなく、まるでイスラム教の寺院のようだ。
教会内部に入るとき男性は帽子をかぶらなければならない。
入り口で紙製のを貸してくれる。意外と頭に載せにくい。
帰りに売店で本物を土産で売っていた。
買うほど珍しいものではないと思ったので買うのは止めた。
 
教会外の庭から撮影
 
教会内部、偶像がまったくない。

ダビデの星
 
教会内部
 ダビデの星は小説『ダビンチ・コード』によればこの2つの三角は男と女を示すものだそうだ  
 
これがユダヤ帽
クリントン大統領が葬儀でかぶっていたのに日本の総理が持参せず問題になった物。
 シナゴーグと はギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来するユダヤ教の会堂の事である。
聖書には「会堂」の名で登場し、ユダヤ教会と俗称されることもある。
キリスト教の教会の前身であるが、役割はやや異なる。
もともとは聖書の朗読と解説を行う集会所であった。

現在では祈りの場であると同時に、各地のディアスポラのユダヤ人の礼拝や結婚、教育の場となり、
また文化行事などを行うコミュニティーの中心的存在ともなっている。
引用;Wikipediaより
 このシナゴーグでリストがオルガン演奏したと旅行書に書いてあった、
また正面入り口にヘブライ語で旧約聖書の『出エジプト記』の一節『彼らに私の聖所を作らせなさい。
私が彼らのうちに住むためである』という言葉が刻まれているとあるが見るのを忘れた。
どちらにしてもヘブライ語では分からない。
シナゴーグを出てデアーク広場に向かう。
 
デアーク広場を北に向かって進むとビルの向こうにイシュトバーン大聖堂のドームが見えてくる。
ハンガリー建国1000年を記念して建てられ、予定では1896年であったが
工事が遅れて1905年に完成した。
聖堂の中にイシュトバーンの右手のミイラが置いてある。
イシュトバーンはハンガリーをキリスト教化し、初代国王となった人物。
 
イシュトバーン大聖堂正面

正面の塔の回廊までエレベーターで上れる 
 
大聖堂内部
奥に主祭壇が見える
 
大聖堂内部
中央の主祭壇に聖イシュトバーン像がある
 

ドームを内部から見上げる
建築中に嵐でドームが崩壊する事件があり、
大幅に工事が遅れた
 
ドーム回廊から外を望む

ドーム上からブタペスト市街を望む
 
聖堂以外に高い建物がないので見晴らしは抜群
イシュトバーン大聖堂のドームは直径22m、高さ96m、
ドームの天井はセメント作りで上は鉄骨でくみ上げられており、かなり近代的。
かなり古いものだという先入観があったので少し拍子抜けの印象だった。
 
市場の近くの通りの飲食店

中央市場 
中央市場(Vasarcsarnok)はどちらかというと観光客向けで
大阪の黒門市場か札幌の2条市場のようだ。
外観はレンガ作りで外からは市場のようには見えない。
中にはいるとかなりにぎやかだった。
地下にはスーパーが入っていた。
二階には土産物屋、立ち食いのスタンドがあってごった返している。
スタンドの軽食はあまりうまいとは言えない味だった。
 
パプリカの種類も多いそうです

ハンガリーは肉製品が有名だそうです。 
 
唐辛子?

 馬肉屋さんか馬の首がかけてある?

中央市場の地下のスーパーMATCH
 
 
スーパーの肉屋
  夜はオペラを見に行くことにした。
今度はバルコニー席ではなく正面の席にした。
内部を撮影しようと思ったが、携帯電話の電源が切れてしまった。
ホテルに戻ったとき充電しておけば良かった。

国立オペラ劇場(絵葉書)

オペラ劇場内部(絵葉書)
 オテロの舞台は回り舞台を使用しており、冒頭の嵐の場面はなかなかよかった。
椿姫から比べると舞台装置はこちらのほうが格段上である。
帰国してからドミンゴのオテロのDVDを見たがこちらはかなり長かった。
ドミンゴの方は最後の寝室の場面がの舞台装置がかなりしょぼい。
休憩時間に観客達の服装を眺めると正装した人、ラフな人とプラハと同じでまちまちであった。
若い女性はすらりとして美型が多いが年のいった女性はビヤ樽タイプが多い、なぜなのだろう。

6800フリント(3400円くらい)

オテロのパンフレット

オテロの配役
『オテロ』について
 シェークスピアの「オセロ」をイタリアのヴェルディがオペラ化した作品。
最初の嵐の場面、出迎える民衆たちの合唱、
オテロとデズデモーナのデュエットに、イヤーゴのアリア「クレド」、
デズデモーナの白鳥の歌「柳の歌」などが有名。
あらすじ
 15世紀、ヴェネツィア共和国統治下のキプロス島の総督はムーア人のオテロ。
彼はヴェネツィア貴族の娘・デズデモーナと親の反対を押し切って結婚している。
(この事情についてはオペラでは省略されている)
 オテロの部下イヤーゴは副官のカッシオをねたんでいる。
デズデモーナに気のあるヴェネツィアの紳士ロデリーゴを使ってカッシオを
酔わせて前総督・モンターノとけんかをさせる。
剣での決闘になり、モンアテ−ノにけがをさせる。
そのためオテロは、カッシオを罷免する。
 酔いのさめたカッシオのところへイヤーゴがやってきて
デズデモーナにとりなしてもらうようそそのかす。
カッシオが、デズデモーナにとりなしをたのんでいるのを、
オテロは見て妻が浮気をしてるのではと疑う。
イヤーゴはオテロにあらぬ話をでっち上げ疑惑を増強させる。
そんなこととは知らないデズデモーナは、
オテロにカッシオを許すように頼むがオテロは怒り出す。
オテロはデズデモーナが差し出したハンカチを振り払う。
落ちたハンカチを侍女のエミーリアが拾い上げる。
そのハンカチをエミーリアの夫のイヤーゴが取り上げて持ち去る。
そのハンカチをカッシオに渡し、
カッシオがハンカチをもっているところをオセロに目撃させる。
イヤーゴにまんまとはめられたオテロは嫉妬に狂い、
デスデモーナを殺そうと考える。
 ヴェネツィアからの特使が突然訪れてオテロを本国召還し、カッシオを後任にすると言う。
それを知って浮かない気持ちのデズデモーナを見て
オテロはカッシオと離れるのを悲しんでいると誤解し、ますます疑惑を深める。
 オテロの様子に心配しながらデズデモーナは、寝室 で髪を解き、
アヴェ・マリアを歌い、ベッドに横たわる。オテロは扉の陰に隠れていたが、
しばらくして目覚めたデズデモーナに、「ハンカチはどうしたのだ」と
問いつめ、ついに言い訳をするデズデモーナの首を締めてしまう。
侍女のエミーリアがやってくるが、
デズデモーナは「私が悪いの・・・」と言って事切れる。
エミーリアが「ハンカチは、イヤーゴが私から無理やりに取り上げた」と言うのを聞き
オテロは驚き後悔する。
オテロはデズデモーナのそばに近 寄り、
短剣で我が胸を刺して命を絶つ。

最初の場面の舞台(1994年、パンフより)

回り舞台で回転するとこんな風になる
(1994年、パンフより)、
個人的には、日本の回り舞台のほうがましか・・・
公演が終わって一斉に地下鉄のオペラ駅に向かう。
この路線(M1)の地下鉄車両はかなり古い、レトロな感じの車両である。
旅行書の解説によるとこの路線はヨーロッパで
ロンドンに次いで2番目に古い地下鉄で1896年に開通したとのことである。
どうりでレトロなわけだ。
かなりぎゅうぎゅう詰めになって乗り込んだ。
デアーク駅でM2に乗り換えて南駅に着いたら11時前だった。
駅はさすがに閑散としていたが、物騒な感じはなかった。

ホテルへ戻って夕方に買っておいたサンドイッチとビールを飲んで寝た。
オペラを見てからだとかなり遅くなり食べるところを探すのに苦労する。
あらかじめ夕食は用意しておくか、食べていくのがいい。
オペラ劇場で軽食をとるのはごった返していてほぼ不可能だ。

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