2003年9月4日、5日
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関空からドバイ |
初めてエミレーズ航空を利用した。飛行機は新しくて機内は快適であった。
また夜の11時出発であったので仕事を済ませて出発できて楽だった。
約10時間でドバイ空港に到着した。
この空港は24時間免税店が開いており、関空と違って活気のある空港であった。
トランジットで待っている客が待合いの椅子の後ろで横になって
寝ているのはホームレスを連想させて少し変な感じだった。
金ショップがあるが、値段は重さで金相場で値段が変動するとのこと、
デザインは二の次というのは理解に苦しむ。 |
エミレーツ機内 |
ドバイ国際空港 |
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ドバイ国際空港 |
空港内のマック |
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ドバイからダマスカスに向けて出発
ダマスカス空港に到着、入国審査も終わり、空港を出た。
特に警備も厳重でなく銃を持った兵士でもたくさんいるのかと緊張していたが
警備兵の姿もまったくなく拍子抜けだった。
タクシー乗り場も閑散としており、やはり社会主義国からかと感じた。
それは間違いであることに気づいた。イスラムの日曜日は金曜日なのだ。
翌日はうって変わって活気のある町になっていた。
ホテルからの迎えのタクシーを探したが着いていない。
ホテルに電話を入れたら夜の9時到着と勘違いしていたとのこと・・・。
どうもたよりにならない話だ。
仕方がないのでタクシーでホテルに向かう。
今日の宿泊はヒジャーズ駅の近くのSULTAN(スルタン)ホテルだ。
つぶれかけた3階建ての建物の前、ビルの2階からホテルになっていた。 |
ホテル向かい側の潰れかけたビル |
SULTANホテルこのビルの2階から上 |
扉式のエレベーター、ちょっと危ない |
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ダマスクスの市内を見物することにした。
スルタンホテルに荷物を置き、チャーターした運転手さんと打ち合わせをする。
彼は20歳代の青年だった。
英語がほとんど出来ないのでホテルのフロントの英語の出来るマネージャーに通訳をたのんだ。
今回の旅行を手配してくれたK先生(アラビア語も少しOK・・・)が料金と行程について相談する。
>今回チャーターした車はHYUNDAIのミニバン(デイーゼル)で7人乗り、こちらは全員で4人なので十分な広さだった。
早速彼の自動車で市内見物に出かけた
ウマイヤドモスクとアゼム宮殿などを見物することにした。
金曜日のため車の数も少なく、モスクに着くまでは人が少なく閑散としたダマスクスの市内であった。 |
女性はスカーフを被るだけではだめ。ガウンを借りて被ると『ジェダイの復讐』の皇帝のような格好になります。
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金曜日はイスラムでは日曜日、
モスク正面の道路は閑散としている |
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モスクの中庭
タイル張りで裸足で歩くと気持ちがいい。 |
ウマイヤドモスクの『聖ヨハネの墓』
なぜここにヨハネの墓があるのか
疑問 |
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★ヨハネとサロメの話★
パレスチナ(当時はガリラヤ地方と言った)を治めていたのがユダヤ王、ヘロデだった。
妻の王妃の名はヘロデヤ、娘がサロメであった。
キリストに洗礼をしたヨハネ(その頃は青年)は、布教をしながら各地をまわていた。
彼の説教がヘロデ王の怒りを買って捕らえられ幽閉された。
ヘロデはヨハネを恐れていて殺しはしなかった。
ヨハネは、ヘロデ王の行状について人間の道に背いていると批判したのが原因だった。
ヘロデ王は兄の妻と結婚したため娘のサロメは義理の娘で姪という関係であった。
ヨハネはこれ不道徳としてヘロデ王を批判したため捕らえられてしまった。
サロメはヨハネを気にいって誘惑しようとするが、彼は相手にしない。
ヘロデ王の誕生日の宴会で、ヘロデ王はサロメ(踊りの名手)に踊るように言ったが従わない。
それでヘロデ王はサロメに、舞を舞ってくれるなら望むものをやると約束した。
サロメは踊った後、「約束通り私の望むものを下さい。私はヨハネの首が欲しい」と言った。
ヘロデ王は仕方なくヨハネの首を切らせお盆にのせてサロメに与えた。
この場面は絵画の題材として有名である。 |
イマームの説教壇『ミンバル』
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モスクの正面
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モスク中庭 |
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モスク中庭の『清めの泉』、
日本の神社の手洗いと同じ |
『宝物殿』
モスクに寄付された金銀財宝を保管する |
『ミフラーブ』
メッカの方向を示す。 |
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とにかくモスクの中では寝転がってもよし、本を読んでもよし、祈りをあげてもよし、
服装以外はかたくるしいことはなにもなし。 |
ウマイヤドモスクを見学した後、聖アナニヤ教会に向かった。 |
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まっすぐな道と聖アナニヤ教会
パウロ(当時はサウロと言った)はトルコに生まれたユダヤ人でローマの市民権も持っていた裕福な人であった。
彼は厳格なユダヤ教信者でキリスト教信者の弾圧のためシリアに向かっていた。
シリアの国境付近で強い光を当てられ、彼の目が見えなくなった。
そこにイエスが現れて『なぜ私を迫害するのか』と問いかけた。
イエスはパウロにダマスカスのまっすぐな道に行って聖アナニア(シリアのキリスト教会の長老)に会うように言われる。
アナニアがパウロの目に手を置くと目からうろこのようなものが取れて視力が回復する。
その後、彼はキリスト教に回心するというお話。
実際のところは視力は完全には回復しなかったようです。
(ある本にこれが目から鱗が取れたという語源になったというが、本当のところはどうなのか・・・・)
光を当てられたパウロの壁画 |
聖アナニヤ教会の後、聖パウロ教会に向かった。
イスラム圏だがイスラム教の前はキリスト教が占めていたため
キリスト教関係の施設が今もたくさん残っている。 |
パウロが弟子たちによってこの教会の地下にかくまわれたことになっている
聖パウロ教会 |
つりかごの復元模型
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パウロのつりかごのレリーフ |
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パウロはキリストの弟子なるまでは熱心なユダヤ教徒であった。
キリスト教に回心し、逆にキリスト教の伝道を熱心に行うようになった。
したがって、パウロはユダヤ教徒から見れば裏切り者であり、ユダヤ教徒は彼を許さなかった。
ダマスカスのユダヤ教徒が裏切り者としてパウロを暗殺しようとしたため、聖パウロ教会の地下に身を隠した。
その後、彼の弟子たちがマスカスの城壁からかごを吊し、城壁外にパウロを逃がしたそうです。 |
午後からどこか行くところはないか、ガイドに聞いたがバザールも金曜日でお店はほぼ閉店しているとのこと。
そこでガイドさんの提案でマアルーラに案内してもらうことになった。
ダマスクスからほぼ1時間くらいのところにある。
住民のほとんどがギリシア正教でイスラム教ではないという地域で、
さらに珍しいのはアラム語(イエスが使っていた言葉)という古い言語を使っている地域だとのことでである。
マアルーラとはアラム語で「入口」の意意味だそうです。
小高い山の上で車を降りた。横に石作りの建物があり、入口が小さく、背を屈めなければ入れない。
内部を見学していたらあごひげを蓄えた神父さんがにこにこしながらやってきた。
K先生とこの教会について話をしていた。
その後、この教会について日本語で解説してくれた。 |
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「神父と牧師の違い」
カトリックでは神父さん、プロテスタントでは牧師さんになる。
カトリック教会では、司祭は父の如く信者の霊魂の世話をするので神父と言う。
イタリアでは父を意味するパドレ(padre)と呼ばれる。
プロテスタント協会では、「我が羊(信徒)を牧(か)え」というイエスの言葉から、牧師と言われそうです。
カトリック教というと正統教義を重んじるキリスト教でローマ・カトリックとギリシア・カトリックに分けられる。
16世紀の清教徒革命後に出来たのがプロテスタント。 |
セルジオ教会 ギリシャ・カトリックの教会だそうです
入口が小さく、高さが低い。日本の茶室に入るような感じである。中に土産物屋がある |
セルジオ教会入り口 |
教会内のお土産屋 |
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気さくなセルジオ教会の神父さん。隣が今回案内してくれたK先生。
K先生が詳しくアラム語について解説してもらった。
ルジオ教会の横に岩山がある。あとでこの岩山の隙間を下っていく。
途中でシートをしいてキャンプファイヤーをしているグループに出会った。
なんでこんな殺風景な所でキャンプファイアヤーをやっているのかよく分からない。
岩山を下ったところに聖テクラ教会が岩山にへばりつくように建っていた
テクラ教会の上から向かい側の岩山を望む |
聖テクラ教会 |
聖テクラ教会は聖女タクラを記念して建てられたそうだ。
タクラはパウロの教えで回心したが異教徒の父が彼女を迫害したため、父を逃れてここまで来た。
しかしこの岩山のため進めなくなった。
しかし彼女が祈ると岩が裂けて道が開けたいう話。
セルジウス教会から下ってきた岩の割れ目がこの話に出てくるところだろう。 |
聖テクラ教会内部 |
聖なる祠 |
礼拝堂から階段で登ったところには、迫害された女性をかくまったという言い伝えのある祠がある |
この広場がロータリーになっていて、バスが止まっていた。
周りには1軒コンビニ風の土産物屋があった
マアルーラの土産見物屋
民族楽器も売っていた |
乗り合いバスが待っていた。
満員になるまで発車しない |
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夕暮れになりダマスクスに向けて出発する。
ダマスクスについて、今夜はアラブ料理と言うことになった。
旅行書に載っているアリババレストランに向かった。しかし、閉店していた。
運転手のファイーズさんの話ではここの経営者夫婦が離婚したため廃業したのだそうだ。
そのため隣にあるアラブ料理のレストランのアブ・カマールに入った。
アラビア料理の老舗レストラン アブ・カマール
ホンモスというのを初めて見た。 |
初めてのアラブ料理で何が出てくるか楽しみだった。どかっと一度に何皿も出てくる。
野菜サラダピーマンは切らずにそのまま出てきた。これには少し驚いた。
黄色の少し大きめのシシトウのようなものが盛りつけてあった。
これは相当辛いので囓らない方がいい。
これがアラビアパンのホブス |
これが強烈に辛い |
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ホンモスのない朝食はみそ汁のない朝食と同じ・・と言ってもいいそうだ。
とにかく食べ方が分からないがアラビアパンのホブスがどさっと出てくるので
これに付けて食べれば良いのだろう。
ホンモス(野菜のペーストだろう)は味というものがあまりなく、
見た目には材料が何か分からない。 |
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