2003年9月14日(日)-15日(月)
   
K先生の知人のインド人のI氏のお宅でインド式の朝食に招待された。
I氏の家はドバイの郊外の高級住宅地、かなり広い日本では豪邸という感じであった。

手で食べるのがインド流ということでK先生は器用に食べていましたが、我々はだめ、
さすがに外国人とのつき合いが長いのかI氏の奥さんがスプーンとフォークを用意していてくれた。
インドの習慣で息子さん、娘さんなどはキッチンの方で別に食事を摂っていた。
カレーの辛さは日本人向きに少し控えておいてくれたようだ。

彼はヒンズー教徒とかと思ったらキリスト教徒だった。これは意外だった。
I氏は南インドのケララ州の出身ということであった。
ケララはインドでもキリスト教徒が多いので有名なところだそうだ。
ケララには老後のための家を建てているとの話だった。

アラブ首長国連邦では建国後は外国人には国籍を与えないとのことであった。
それで当地で仕事をしなくなったら同国を去らなければならないようだ。
(このあたりは正確ではないかもしれないが・・・)

それでドバイで成功した人は出身地でリタイア後のための生活基盤を
確保しているとのことだパキスタン人のJ氏もそのようだ。
インドのケララ州について
 日本の約十分の一の面積、人口三千万人。 
50%がヒンズー教徒、20%がイスラム教徒とキリスト教徒がしめ、残りは少数民族。
キリスト教会については、十二使徒の一人トマスがこの地に来て宣教したという伝説が
古くから信じられており、鳩が上についている「聖トマスの十字架」があちこちに見える。
フランシスコ・ザビエルもこの地に足を踏み入れている。
現在はカトリック教会、オーソドックス教会、マルトマ教会、そしてプロテスタント諸教派(南インド教会連盟)。
ケララ州の教会は活発であり、全インドのキリスト教徒人口の40%を占めており、
海外にも多くの宣教者を送る注目すべき地域となっている。
 朝食後、今度はパキスタン人のJ氏がドバイを案内してくれることになった。
ホテルで市内観光のデスクがあったので聞いたが客が少ないのでかなり値段が高かった。
それを聞いたJさんが私の車で案内してやろうということになった。

7つ星ホテルの超高級ホテルアラビアンタワー
この暑さの中で泳いで いる人がいる。
  アラビアンタワーが見える浜辺に行ってみた。

アラビアンタワーは入場料がいるとのことだった。
ただし、金券になっていてホテルの飲食代に充てることができるのだそうだ。

一人だけ海岸で泳いでいた。空も海もブルー、泳いでみたかった。
この付近の海岸には同じような貸別荘が軒を連ねていた。
 ここで1時間も泳いでいたら、おそらく日射病か日やけでやけど状態になってしまう。
やはり少し日が落ちないと無理だろう。
  ワイルド・ワディという急流下りとプールが一緒になったテーマパークが出来ていた。
砂漠の中でこれだけ豊富な水を作れるというのは大したものだ。
  その後最近出来たという吹き抜けのある大ショッピングセンター(Lamcy Plaza)で一服することにした。
おなじみのコーヒーチェーン店のスターバックスがあった。
ドバイの人も日本人と同じで新しもの好きと見えて若い人がたくさんコーヒーを飲んでいた。
若い男性たちのアラブ装束が少し、年配の人達と違う、
聞いてみると若い人たちのおしゃれなのだそうだ。

ただ気づいたのはアラブ伝統の服装はみな同じに見えるが、
持っているもので差を付けるのだそうだ。
カフスボタンに高級品を使ったりして差を付けているとのことだ。
しかし、この服装でトイレに行くときはどうするのだろうか・・・?

スタバがありました

アラブ装束の若い男性たち
男女のカップルがいないので、なんだが日本と雰囲気が違う。
やはりイスラムの影響なのか・・。
男性着ている白布の衣装は「ディスターシャ」というらしい。
 ショッピングセンターを後にしてドバイ博物館に向かった。
とにかく暑い、博物館の中に入ってほっとした。
ジオラマ形式でドバイの歴史を展示している。
規模は大したことはないがドバイの歴史が少しは分かるだろう。

ドバイ博物館

展示されているダウ船

ダウ船の建造風景

アラビアのカフェ風景
ドバイ博物館を見た後、UAEの古い町並みを保存している町に案内してくれた。
ドバイ近郊の町サルージャ(Sharjah)に向かった。
ドバイから車で20分くらいで現在はドバイのベッドタウンとなっており、
ここからドバイに多くの人が通勤している。

3車線の高速道路並みの整備された道路でドバイとつながっている。
途中には大きなショッピングモールが見える。
最近、急速に開発が行われている町だそうだ。
(サルージャはホテルでもアルコール厳禁だそうだ。)
空港もあるが主に東欧とかの航空会社の便が多く、料金は安いとのことだ。

しかし、その反面古い町並みを保存するため博物館の周りに
古い町並みをそのまま保存している。
その町の中にイスラム博物館があり、古いコーランの写本、
イスラム文様の陶器のフイルターのコレクション、メッカ巡礼の歴史などが展示されている。

イスラム博物館

壁に囲まれた中庭、熱風が遮られ涼しいとのことだ
 日本に戻ってNHKの日曜美術館で素焼きのフイルターのコレクションが紹介されていた。
このフイルターはコップの上に置き、コップに口を付けたときこの文様が見えるようになっている。
要するに粋な感じなのだ。
初期の頃は稚拙なデザインだったが後期にはアラビア文字をデザインしたりかなりの出来になっている。
日本の急須のように注ぎ口の下の部分に使っているのかと勘違いしていた。

メッカにあるカーバ神殿(サウジアラビア)
巡礼月(イスラム暦12月)に行う巡礼は、大巡礼(ハッジ)と言われる。
ハッジでは、まずカーバ神殿に向い、
「アッラーフンマ・ラッバイカ(神の御前に)」と唱え、
神殿の東隅にはめこまれた黒い石に接吻しながら
時計と逆周りに7周する(タワーフ)。
3日間のハッジには、世界中から約300万人のイスラム教徒が
ここにやってくる。
この黒い石は天から神様が降りてきもので、
神が宿るとされて神聖視されている。

巡礼の道筋の図

古い町並みの壁にはランプが等間隔に
つり下げられている

高層建築の中に古い建物が保存されている

帰る頃は日が暮れていた
 帰りの飛行機は明日9月15日午前1時頃出発なのでまだ時間がある。
デイラ・シティ・センターに夕食を兼ねて行ってみた。
ピザ店があったので食事をすることにした。また、また量が多すぎる。
注文してからとなりのテーブルに並べられたピザを見て2人に1枚の注文で良かったと後悔した。

シティセンターの中にカルフールというフランス系のスーパーマーケットがあった。
これはかなりの広さ(ダイエーよりかなりでかい)であった。
先頃、大阪の箕面にも出来たフランス系の大手スーパー・チェーンだ。

カシューナッツが安かったので買い込んだ。
日本に帰ってから食べるのに1週間くらいかかった。


ここにもマックが

カルフールの香辛料の売り場
随分いろんなものがある


ショッピングモールには金売り場もありました

有料くじで車が当たる

ドバイのタクシー、トヨタ車でした

ドバイの救急車
K先生は仕事のことでもう1日ドバイにとどまるということで
私たちだけ先に日本に戻ることになった。

 帰りの飛行機ではダブルブッキングになって、座席がビジネスクラスに変更になった。
やはり帰りはビジネスだと疲れ方が随分違う、ラッキーだった。
イスラム圏は日本の文化圏とはずいぶん違うのが分かった。
我々のほうが、宗教に無関心すぎるのか、
しかし、イスラム圏のように宗教に縛られたくないのも実感だ。
しかし、、意外だったのはイスラム圏にはイスラムの遺跡は少ない。
ローマかキリスト関係の遺跡がほとんどだったことだ。