クロアチア

スロベニア

ボスニアヘルツェゴビナ
2011年11月11日(金) 4日目
クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ 3カ国周遊10日間
4日目 11月11日(金) 9:00/古代都市が残る町【世界遺産スプリット観光】<約3時間>
(華麗なるローマ遺跡◎ディオクレティアヌス宮殿、○青空市場)。

昼食はスプリット市街にて各自お取り下さい。
その後、ドブロヴニクへ。

19:30/ホテル着。
【宿泊地:ドブロヴニク泊
GRAND VILLA ARGENTINA
※日本語

ホテルの位置
 朝、ホテルの付近をぶらついてみました。
思っていたより、新市街は都会でした。

スプリットで泊まったホテル”ATRIUM”

やたら胴体の長いバス

郵便局でしょうね?

コンピュータの宣伝(75000円くらい)

ビルの屋上に象
  7世紀にローマ帝国が滅亡後、異民族がスプリット地域に押し寄せてきた。
そのため近郊の住民がデイィオクテアヌスの宮殿に避難してきた。
 これは頑丈な城壁に囲まれているためだった。
 宮殿内に建物を増築し、町を造っていった。
そのためローマ時代の建物と中世の建物が複雑に入り交じった町並みが形成されてしまった。

スプリットの港、右にディオクレティアヌスの宮殿 
①銀の門(東)Srebrna vrata 
②鉄の門(西)Zeljezna vrata
③青銅の門(南)Mjedena vrata
④金の門(北)Zlanta vrata
※金とか銀とか言われているのは
材料が由来ではなく使われている頻度で
このように表現されている。

地下宮殿内部は土産物屋になっている
もともとは地下宮殿というのは倉庫として利用されていたものだが、
現在は一部が土産物を売るモールとなっている。 

正面が発掘される前の状態
地下宮殿はがれきで埋められていた
この地下空間は住民が住み着く頃からゴミ捨て場と使われていた。
その証拠が右上のアーチ状の奥にがれきが埋まっていたことから分かった。 
 
 ローマ皇帝ディオクレティアヌス
 元は軍人で軍人皇帝とも言われる。
紀元3世紀、在位284~305年
同僚のマクシミアヌスを共同の皇帝にして分割統治し、
その後、さらに2人皇帝を増やし、4人でローマ帝国を分割統治した。
 303年にキリスト教徒に対して大迫害を行い、弾圧した。
彼の引退後の313年にミラノ勅令が出されてローマ帝国でキリスト教が公認された。
詳細
 
天井から水漏れしていた

これはローマ時代の木の柱で、
これは左の壁に見られる穴に差し込まれ、
天井の梁になっていた。

金貨のレリーフ
この宮殿の主ローマ皇帝ディオクレティアヌスを
彫刻した金貨を大きくしたレリーフのプレート
 

入り口の上にはめ込まれた石、表面にギリシャ風のレリーフ

デイオクレティアヌスがエジプト遠征の時に
持ち帰ったスフィンクスで、その頭部は欠けている。
 
左上の石の拡大
 

デイオクレアティアヌスが野菜作りを
していた中庭
キャベツを作っていたとか

生け贄用の石台

洗礼室(ユピテル:ジュビター神殿)

地下宮殿のスフィンクスと同じ頃にエジプトから持ってきたもの
同じように頭部が欠けている。
ユピテル神殿はキリスト教が公認されてから、
聖ヨハネの洗礼室に改築された。
キリスト教を弾圧したディオクレティアヌスを
排除しようとしていることがうかがわれる。
 
遺跡の壁に接してホテルが作られている

グルグール・ニンスキの像
 
像の左足の親指に触れると幸運が訪れる
グルグール・ニンスキ
10世紀にスプリットで宗教会議が開かれ、教会でスラブ語を使うのを禁止した。
それを撤回するよう運動したのがこのグルグール・ニンスキ司教である。
 
金の門、現在改修中

遺跡の中に勝手に家を建てている。日本ではとんでもない・・・。 

銀の門、ここを抜けると市場がある

大聖堂の周りの列柱

左手に銀の門

正面方向がペリステル、正面の建物がカフェ”ルクソール”

大聖堂と鐘楼

キリスト教としては珍しい八角堂をしている

大聖堂の入り口の獅子

神社の狛犬のようだ

大聖堂の内部
 もともとはデイオクレティアヌス皇帝の霊廟だったが、
キリスト教徒が聖堂に作り変えてしまった。
ここにあった皇帝の石棺も行く不明になっている。
そのため、キリスト教としては珍しい八角堂の形態をしている。

聖スタシュの祭壇

殉教したサロナの司教で聖ドムニウス
スプリットの守護聖人
 

ディオクレティアヌス帝の霊廟は4世紀の初めに宮殿の4つの
神殿の一つとして建造された。
7世紀になり、ラベンナの主教ジョンが大聖堂に改築した。
このようにして聖Dujam(ドムニウス)の聖堂が出来上がった。
キリスト教を弾圧した皇帝だったので石棺は破壊されて残っていない
 
鐘楼の上に登ってみました 動画

聖Roche(ロクス)教会、現在は案内所となっている
聖ロクス(1295-1327)はペストに対する守護聖人
 
鐘楼の上からスプリットの港を眺める。

鐘楼の上から
 
ディオクレティアヌス宮殿、びっしりと宮殿内に建物があり、宮殿とは思えない

宮殿の前庭、天井に穴が開いている
 これがクロアチアの男性コーラス『クラッパ』ということが、
インターネットで検索するとアカペラの男性コーラスとなっており、
こんな風に伴奏はないはずだが・・・???

昼食には添乗員さんおすすめのピザ屋さん、”NONE”
イタリア語で『おばあさん』の”NONNE”のNが一文字抜けている

ピザが焼き上がるまで椅子に座って待っていた

ピザ屋の内部
ピザに入れる野菜はダルマチア地方でよく食べられる野菜”ブリトバ”。
これはほうれん草に似ているが苦みはあまりない。
ブリトバとオリーブオイルを使ったシンプルなピザだが焼きたてを食べると意外にうまい。
ちょっと食べるときオリーブオイルが垂れるのが具合が悪い。

”Lvxor:ルクソール”
昔の柱廊の後ろにカフェが建築されている

カフェ内部
この辺りをペリスティルという。
ペリスティル(Peristil)は柱廊のことで柱と屋根のあるロビーまたは廊下のことである。
これを境界として皇帝、兵士、宮殿の召使いの居住区域が分かれていた。
音響効果がいいので現在ミュージカル、音楽演奏のステージとしても使われている。

この石段に座ってコーヒーを飲みことが出来る
カフェの外の石段に座布団が敷いてあってそこで座ってコーヒーを飲んだ
 
建物の間を見ると建物が倒れないよう梁で梁で支えている
コーヒーで一服した後、青空市場を覗いてみた。
銀の門を抜けた所から、青空市場、そこから向こうに常設の市場が広がっている。 

ザクロ

キャベツの酢漬け(この辺りの常食)

干しいちじく

オレンジ

生ハムが店頭に並べてある

なし?
 スプリット観光後、今回のツアーのメインのドブロブニクに向かった。
途中バスはネレトバ川沿いを進む、この辺りはかなり流れは緩やかである。
 
ネレトバ川対岸の集落
 1回目のトイレ休憩はBrelaというところだった。
観光案内板によるとこの辺りはリゾート保養地のようだ

google mapより引用

トイレ休憩のレストラン”SAMPION

ネウムの場所(google erathより)
スプリットからドブロヴニクまで(204km)に一部ボスニア・ヘルツゴビナ領がくい込んでいる
途中でボスニア・ヘルツェゴビナ領を通らなければならない。
国境を越えたところでネウムという町でトイレ休憩となった。
ドライブインになっていてその地下がスーパーマーケットになっていた。
少し、クロアチアより値段が安いとのことでばらまき用のお土産を買っていた。
 
クロアチアとボスニアとの国境

ネウムのドライブインの駐車場からアドリア海を望む

ネウムのドライブイン

クロアチアの味の素”ヴェゲタ"
 ドブロブニクに着く頃は日が暮れていた。
夕食にドブロブニクの旧市街に向かった。

夕食のレストラン”RAGUSA2”

レストラン内部

スープ

シーフードのリゾット
リゾットにカニの代わりにカニカマが入っていたのには驚いた。(ちょっと手抜き・・・)

夜のドブロブニク

照明がうまい

オフシーズンなのでレストランは少し閑散としている
今日の泊まりのドブロブニクのホテル『ARGENTINA』はかなりバスも広くこの旅行中では一番高級だった。
快適でした・・・。
このホテルのWiFi(無料)はかなり高速で試しにYouTubeに動画を転送したがエラーなし、優秀でした。

Wikipediaより引用

ダルマチア地方
(Wikipediaより引用)
ダルマチアとダルメシアン
 百一匹わんちゃんで有名なあの白と黒の点々のある犬は
クロアチアのダルマチア地方原産と言われている。
【詳細