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2011年11月13日(日) 6日目 | |||||
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出発は8:30なので早朝の旧市街に散歩がてら行ってみた。 まだ、ほとんど観光客はおらず、静かだった。 |
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早朝のドブブロクニク旧港 |
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これでドブロブニクは見納め、天気がよくて堪能した。 モスたるに向け来た道を引き返す。 再度、ボスニア・ヘルツェゴビナに入り、ネウムでトイレ休憩。 30分しか時間はなかったが、地下のスーパーに行ってどんなものを売っているかもう一度見に行った。 |
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カキの養殖いかだ(ストンの辺りだろう) |
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再度、ネウムのドライブインからアドリア海 |
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スーパーの入り口、日本の旗と”おおきに”のステッカー |
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ドブロクニクは地図で見るとボスニア中に飛び地のような形で存在する。 本によるとドブロクニクがベネチアの侵略を受ける懸念があり、 オスマントルコに領土の一部を割譲し、 緩衝地帯としたためこれが現在まで残ってこのような国境線になったとのことである。 |
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メトコヴィツェで国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナ領内へ、とてもこの辺りはややこしい。 | |||||
モスタルに着いたが、予想と反して普通の町?? もっと山の中にあると思っていたが大違い。 |
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下を流れるのがネレトバ川 |
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橋の上から |
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モスタル( Mostar) ボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市およびそれを中心とした 基礎自治体で同国を構成する構成体のうちボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属する。 また、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都でヘルツェゴビナ地方の 最大の中心都市で、ボスニア・ヘルツェゴビナでは5番目に大きな都市である。 市内をネレトバ川が流れている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争期には 事実上独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都であった。 モスタルの地名は町でもっとも目立つランドマークである スタリ・モストにちなみ「橋を守る人」を意味する。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 ※スタリ・モストについては『古い橋』という意味という記載もある |
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橋を渡ったらまるでイスラム圏、モスクのミナレットが見える |
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橋の上から |
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内戦時に橋が破壊されていく写真と再建されていく写真が記念館に展示されていました。 |
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焼き肉のたれをつければおいしく食べられるだろう。 パンはうまいが、肉はちょっと私には合わない。 |
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集合までに時間があるのでモスクに入ろうと思ったが、2つのモスクとも閉まっていて入れなかった。 礼拝の時間しか開けていないようだ。 |
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モスタルからプリトヴィツエに向かう。 その玄関口の町コレニッツアが今日の宿泊地。 |
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このドライブインで売っていたおみやげで目を引いたのがアロマ類。 クロアチアはハーブが豊富に採れ、アロマがよく売られているそうです。 |
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カウンターで飲むかこのような自動コーヒーメーカーで買って飲むようです。 日本でもこのタイプの自動販売機はあることはあるが数は少ない。 ここのドライブインはコーヒーを自分で作ってカウンターで支払う形式でした。 |
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コレニツァに着く頃は日が暮れて真っ暗、バスから出るとかなり寒い。 海岸部と内陸部ではずいぶん気温に差がある。 |
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