エジプト旅行 2008.1.27〜2008.2.3

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3日目 1月29日(木)
午前5時半頃近、くのモスクからアザーンの響きが聞こえてきて目が覚めた。アザーンを聞くとイスラム圏に来たことを実感する。
目が覚めてしまったので身支度を調えて朝食に出かけた。
アザーン
 イスラム教における礼拝(サラート)への呼び掛けのこと。ユダヤ教のラッパ、キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。「神は偉大なり」という意の句「アッラーフ・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。
 一日五回の礼拝の時間の前に礼拝の時間が来ることを伝え、周辺に住むムスリム(イスラム教徒)にモスクに集まるよう呼びかけるために、モスク、あるいはモスクのミナレットから呼びかけられる。現在は拡声器を使って流されることが多い。時計代わりとして、信徒の一日の生活上の節目となっているとも言われる。
 アザーンの習慣と唱えられる内容は、マディーナ(メディナ)時代のムハンマドと教友たちによって定められたとされ、慣行(スンナ)としてイスラム教徒に守られている。必ずしもアラビア語で行わなければならないわけではないとされるが、アラブ諸国以外のイスラム国であってもアザーンはアラビア語によって行われている。トルコではアタテュルクの改革の一環としてアザーンをトルコ語で行うことが定められたが定着せず、ふたたびアラビア語に戻されたほどである。
 ただしアザーンで用いられるアラビア語には、現地の訛りが存在しており、各地のアーンミーヤやペルシア語、トルコ語の影響で、語句の発音等に変化が見られる。
 イスラム教国旅行記ではしばしばアザーンを指して「一日5回モスクから流れるコーランの朗誦」といった記述が見られるが、これは誤解。アザーンは礼拝への呼び掛けであって、コーランの朗誦ではない。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


温野菜なので食べても大丈夫

”KEBA”(ケバブのことか?)と表示されている。肉団子みたい?
添乗員からの説明で生野菜は注意したほうがいいと事前に説明があったので野菜サラダを食べたかったががまんした。

"VERMICELLI"と表示、パスタ入りスープ?
ヴェルミチェッリ Vermicelli
- 名称はミミズやヒルのような長い虫という意味の「ヴェルメ」(verme)の指小形で「小さいヴェルメ」の意。極細のスパゲッティ。
 ナポリでは、スパゲッティやスパゲッティーニはヴェルミチェッリと呼ばれることの方が多い。1.2mm未満。
 英語読みの「ヴァーミセリ」としても知られている。主にスープに使われる
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

午前7時半にアスワンに向けバスで出発する。2泊したので大分体は楽である。エドフのホルス神殿の見学に向かった。
エドフ(Edfu)
ルクソールとアスワンの中間に位置する、ナイル川西岸のエジプトの町。
エドフには、隼の形をしたホルス神に捧げられた神殿、エドフ神殿(別名、ホルス神殿)がある。この神殿は、紀元前237年から紀元前57年の間に建設され、現在、エジプト内でも最も保存状態がよいものである。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ホルス神殿塔門

塔門レリーフ(右)拡大
神殿の塔門の制作者は殺された。理由は窓の位置を間違って造ってしまったためとか・・。

塔門レリーフ(左)拡大

中庭から塔門のレリーフを見る

中庭から第2列柱室を見る

第2塔門の前にあるホルス神の像
ホルス(Horus)
 エジプト神話に登場する天空と太陽の神。「ホルス」はギリシア語であり、古代エジプトでは「ヘル」と言った。
 オシリスとイシスの子で、セトの敵対者である神としての神話が特に有名だが、神話によってはオシリス、イシス、セト、ネフティスに続く5人目の兄弟となる事もある。妻としてはハトホルが有名だが、その他の女神を妻とする事もある。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※ガイドの説明ではラーとヌトの間に男2人(兄がオシリス、弟がセト)、女2人(姉がイシス、妹がネフェティス)の子供が出来た。セトは兄のオシリスをねたみ暗殺する。イシスが死んだオシリスを復活させ冥界の王となる。その後オシリスの息子ホルスがセトを倒して父の仇を討つ。


太陽神ラー
エジプト王はこの神の子供とされた。

オシリス神
冥界の神様で再生と復活を司る。

ホルス神
頭が隼の天空の神様。オシリスとイシスの子供。

イシス神
オシリスの妻でホルスの母親。死者の保護を司る。

トト神
書記と学芸の守護者で、ヒエログリフの発明者。トキの頭を持つ。

ホルス神殿見学の後、70km走り、約1時間半でコムオンボの到着した。ここでコムオンボ神殿の見学に向かった。少し、気温は上がっているが湿気もなく、かなり快適な天気だった。
コム・オンボ(Kom Ombo)
 農業が盛んなエジプトの町。ナイル川沿いにアスワンから北50kmに位置する。町の名は、古代ギリシア人が”オンボス”と呼んだことに由来する。
 現在は、サトウキビやトウモロコシの生産が盛んである。ワニの頭のセベク神と隼の頭のハロエリス神(ホルス神の地域名)に捧げられた、珍しい二重構造をもつコムオンボ神殿がある。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コムオンボ神殿

門の上部には当時の彩色が残っている

石を積み上げるだけでは崩れると思っていたら、セメントや漆喰が出来るまでは柱の石の真ん中部分に木のくさびを入れていた。この神殿にはその木のくさびが残っている。本物なのか疑いたくなるが・・・。

左画像拡大、処方箋、波形は液体の薬を示す

左画像上の拡大画像で当時の手術道具、ミイラ作りにも使われた。4500年前にすでに手術が行われていたことが分かる

イムホテプのレリーフがある。(レリーフの真ん中に座っている)イムホテプはコムオンボ宮殿の設計者で医者ではなかったが、いつのまにか医学の神様にされてしまった。ミイラ作りに使うメスなどの医学用道具や、薬の服用の服用法が彫り込まれている。
レリーフの左の座っている人は妊婦とのことです。

左のトト神(学問の神)と右のホルス神が王に香水をかけている。

2人の女神から王冠を授かっている。顔の形から王は男性ではなく女性、女王である。

ホルス神から支配者の棒をもらう女王(スカートをはいているから女性)

左のカルツーシュの文字を解読すると、女王の名前は”クレオパトラ”、しかし、このクレオパトラは美女のクレオパトラZ世ではなくクレオパトラV世との説明だった。

5千年前の古代のカレンダー

コムオンボ神殿のワニのミイラ
農業用として作られた。当時は1週間が10日、1年が480日。季節はタイル川の氾濫、種まき、刈り取りに分かれていた。しだいにずれが生じるため50年間で修正が行われ360日となった。昔の暦を記念して彫られたレリーフ。






ソベク神
 セベク (Sebek) は古代エジプトの神。ソベクとも。鰐または鰐の頭を持ち、角・太陽円盤・羽を組み合わせた頭飾りを付けた男の姿で現される。
 第12王朝や第13王朝の時代には特に熱心に信仰され、ソベクネフェル(セベクは美しいの意味)やソベクホテプ(セベクは満ち足りる)と言った王名の由来ともなっている。
 後の時代にはラーと習合しソベク・ラーとなり太陽神として崇拝された。プトレマイオス朝時代にはギリシア神話のヘリオスと同一視されている
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


コムオンボ神殿を見学後、アスワンに到着、13時半頃昼食のホテル(本日の宿泊ホテルではない)に到着した。

昼食を食べたサラというホテル

アエーシ、ピーマン、ライス、スパゲッティ、野菜のスープ等あまり変化のない料理でした。

デザートはめちゃ甘のエジプトケーキとライスプリン

普通のパンとアエーシ

昼食後、本来のホテル、イシス コルニシュにチェックイン。荷物を置いてからファルーカでナイル川セーリングに出かけた。ホテルがナイル川に面して建っているのでホテルの桟橋から船に乗った。セーリングの途中、ヌビア人のダンスが始まった。

乗船するファルーカ

ナイル川に浮かぶファルーカ
ファルーカ(falucca)
エジプトのアスワンやルクソールなどのナイル川で利用されている帆船。近年は、生活の足というよりも、観光目的で使用されつつある。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヌビアの船頭さんのヌビアンダンスのパフォーマンス

ダンスの後、おみやげの販売が始まった。スークで買うより2倍くらい高かった。パフォーマンス代が含まれていると思えばだまされた気分はしないだろう。

ヌビアンダンス動画
ヌビア (Nubia)
 エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方。古代エジプト語のヌブ(金)から古代ギリシア・ローマ人がそう呼んだのが始まり。アラビア語ではヌーバ。ハム語族を主体とする。
 もともとエジプトとヌビアはそれぞれ独立した別の国であった。ヌビアは古代から、金などの鉱物資源に恵まれ、奴隷や黄金の供給地として、エジプトにとって重要な役割を担ってきた。 現在でもヌビアの人々は、独特の文化やエキゾチックな風貌などエジプトとは異なる独自性を残している。現在は北部の一部がエジプト領、残りはスーダン共和国領である。 ヌビア遺跡群は1979年に世界文化遺産に登録された。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アスワンのマクドナルド。
夕食までに時間があるので近くのスークに見物に行ってみた。ここの客引きはルクソールほどひつこくはなかったのには助かった。今度は声をかけられる前に『一個1ドル。見るだけ』と言ってやったら相手は苦笑いしてそれ以上ひつこくは声をかけてこなかった。『山田花子』と言って近づいてくるやつもいた。だれがこんなことを教えたのだ・・・

スークは歩行者天国になっている。ルクソールほど客引きはひつこくなかったのでゆっくり見物できた。

ほとんどが観光客相手の店

外国人客がかなり多い
スパイスを売る店が多い

街頭で靴を縫っている(靴修理屋?)

魚を売っているのだが、なにか分からない?

左画像拡大、魚を瓶詰めにしているるようだ。
どんなものか聞いてみないと分からない
上記の魚はインターネットで調べてみるとフィシーク(塩漬けの魚)というものらしい。日本の「くさや」のような醗酵食品とのことである。昔から風邪の予防や治療に効果があるとされている。古代エジプト人は、シャーム・ナシーム(春の香りをかぐ日)の祭りに塩漬けの魚、レタス、卵を神々に捧げたとのことである。ヨーロッパで行われているイースターの源とも言われている。

道ばたでパンを売っている
スーク(suq)とはイスラム世界の市場。定期市と常設店舗とがあるが、特にイスラム都市にある大規模な常設の市場を指す。
(広辞苑より)
水タバコ屋、少年が用意をしている。袋に積まれているのがハイビスカスの乾燥させたもの(お茶にする)。観光客向けか安くはない。

せっかくエジプトに来たのだから、エジプトらしいもので買って帰ろうと思った。ネコの置物でも思って冗談で『made in china?』聞いたら、『そうだ』と返事が返ってきたので買うのを止めた。

 ガラベーヤ(左の画像のおじさんが着ている服)の店があったので入って値段を聞いたら、85ドル(約8500円)と言う、いらないといったら40ドル(4000円)、あまり欲しいとも思わなかったので店を出たら、追いかけてきて20ドル(2000円)でと言うので買ってしまった。

いったい、いくらくらいが相場なのかさっぱり分からない。

ガイドさんの話では100円と言えば30円くらいだそうだ。

タンドリー・チキンを売っているレストラン

観光用馬車が客待ちをしている。

スークの外れにモスクのミナレットが見える

モスクでは夜の礼拝が始まっていました

スークのモスク、夜間は電飾でカラフル

スパイス屋に石灰石を売っていた。何に使うのか分からない?まさか食用にするのではないだろう。


スークで珍しく公衆トイレを見かけました。英語表記があるので観光客向けのものかもしれません。

夕食はホテルから船で川のなかにある小島のレストランに向かった。店の看板を見ると『ヌビア料理レストラン』とある。
昨日と違ってメインは魚料理だった。ガイドにナイル川で捕れた魚かと聞いたら紅海で捕れた魚だそうだ。
料理の内容でなにがヌビア料理なのかよく分からない。(??)

ヌビア料理レストラン

店内

ヌビア人のパフォーマンス

モロヘイヤのスープ、わかめスープのような外観
オリーブオイルが入っているようです
シマツナソ(縞綱麻、Corchorus olitorius)
 シナノキ科の一年生草本。別名をタイワンツナソ、ナガミツナソ、ジュート。近年はアラビア名のモロヘイヤ (Molokheiya ) でも知られる。モロヘイヤの語源は、古代エジプト語の「王様の物」の意味のムルキアという言葉から来ている
 エジプト周辺で多く栽培される緑黄色野菜のひとつで、カルシウム、カロテン、ビタミンB、ビタミンCに富み、抗酸化作用のあるクエルセチンを多く含む。日本に入ってきたのは1980年代と言われ、ほとんどが食用とするために栽培される。日本各地で栽培されており、宮城県大郷町などが有名。
 葉部を食用とし、刻んだりゆでたりするとムチンによる特有の粘りを呈する。中東と北アフリカでは、刻んで肉(羊肉、鶏肉など)と煮込むことが多い。お浸し、スープ、天ぷらの他、パンやクッキーの材料にもなる。
原産地はインドまたはエジプトと推測される。
引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一番左はエジプト・ピクルスでかなり塩辛い

白身魚のフライとライス

アエーシ(アラビアパン)が初めて出ました

フルーツジュースのカクテル(層状に入れている)

【宿泊:イシス コルニシュISIS CORNICHE】 
コテージタイプで建てられているが、少し古い。部屋は改装されているが、水回りが悪い。2人目がバスに入っていたら徐々に湯が出なくなってしまった。このあたりは高級ホテルとは思えない。とにかく水回りについては日本の格安のビジネスホテル以下である。

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