エジプト旅行 2008.1.27〜2008.2.3

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4日目 1月30日(金)
今朝の出発は午前8時で少しゆっくりした時間であった。やはり時差ぼけのため昨夜も午後10時過ぎに眠たくなって寝てしまった。そのため5時頃に目が覚めてしまった。
アスワン(Aswan)
シエネ(Syene)とも言う。エジプト南部、ヌビア地方の都市。エジプトの国家の一大事業であったアスワン・ハイ・ダムの近く。
市内には、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞台となったことで知られる名門ホテル「オールド・カタラクト」がある。フィラエ神殿は、世界文化遺産に登録されている。
アブ・シンベルへの観光拠点でもある。
1951年〜1978年にかけて、世界最少の平均降水量(0.5mm)を記録した。
また、エラトステネスは、この都市とアレキサンドリアとの太陽の南中高度の違いから地球の全周の大きさを求めた。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝食はビュフェスタイルだがあまり食べるものがない。エジプト風シチューのようなもの、バターライス、パン(種類は多いが菓子パン風のものが多い。クロワッサンあり)、オムレツのオーダーメイドサービスあり。ジュースはオレンジ、グアバとエジプトの果物のジュースあり。

左からカルカデ(karkade)、オレンジ、タメレンディ(TAMERHENDY:Blended Nubian Spice Drink)のジュース

オムレツ作りのパフォーマンス、具は入れるが、塩などの調味料は入れないので入れてもらっていた。
カルカデハイビスカスのがくの部分を乾燥させたものでこれをジュースにして飲む。クレオパトラも飲んだと言われる。ハイビスカスは古代エジプトの美の神ヒビスに由来する。

他にDomジュースとのもあった。これはインターネット検索すると” Palm Fruit Drink”(椰子の実ジュース?)とあった。

朝食を済ませ9時頃にアブシンベルに向け出発した。『地球の歩き方』には午前3時出発と書いていたので困ったと思っていたが、これは他の場所もいっしょに回るツアーバスだろう。

出発すると途中で警官を1名を同乗させた。これはルクソールで起きた銃撃事件の後のセキュリティ対策とのことだ。
以前はコンボイと言って観光バスが何台か集まって先頭と後尾に1台ずつ警察車両が護衛についてアブシンベルまで走行していた。現在はセキュリティポリスが乗り込んで単独で走行していいことになっている。そのため出発時間の制約がなくなったとのことだ。

やはり昨日と同じく、検問所が何カ所かあり、そこで一旦停止する。添乗員の話では以前はもっと監視がきつくバスの中まで入って検査を行っていた時期もあったのことだ。

アブシンベルへ向かうまで数カ所ある、検問所

ノンストップでアブシンベルまで突っ走る。制限速度は90Kmだが120Kmくらいは出しているようだ。舗装が悪いのかよく揺れる。時々、なぜか反対車線を走る(舗装が悪いためか?)ので対向車が猛スピードでやってくるのでひやっとする。バスは『YUDON』という中国製のものだった。

バスを降りたが、意外と涼しい、薄いジャンパーくらい着てもいいくらいだった。しかし、空には雲ひとつなく、日差しは強い。ダム湖にはクルーズ船が何台か停泊していた。ここから湖を回るクルーズがあるとのことだ。
神殿の裏から正面に回るようになっている。裏側は砂山だった。この下にセメントで作った巨大ドームが埋まってあり、そこに神殿が移築されている。

正面から見るとさすがにでかい。2番目の像は頭部が崩れて地面に落ちている。破壊したわけではなく地震で崩れたそうだ。巨大な4体の像はすべてラムセス2世のものだが顔の形がすこしずつ違う。年齢に合わせて変えているのだそうだ。
神殿内部の撮影は禁止で撮影できず。以前は撮影は出来ていたようだ。

やっぱりでかい、古代では侵入者に対してはインパクトがあったのだろう。
2番目が欠けているのは地震で崩れたため

真ん中の像は太陽神ラー、足の間には王の子供像

日の出を喜ぶヒヒの像(全部で22体)
上部のひひの像、日本の見ざる、言わざる、聞かざるのような印象をうける

王妃ネフェルタリ像

ラー神拡大

下にハヤブサ(ホルス神?)の像が並んでいる

ラムセス2世を示す、像の右腕のカルトゥーシュ
ラムセス2世像の顔が少しずつ違うのは年齢変化を示している
カルトゥーシュ (cartouche)
 古代エジプトで使われていたヒエログリフの文字(記号)の1つで、ファラオの名前を囲む曲線。古代エジプトではシェヌと呼ばれる文字であり、シェンを細長く伸ばしたものである。現在でも壁画などに描かれたファラオの名にカルトゥーシュを確認することができる。
 カルトゥーシュは小銃の実包を意味するフランス語で、英語ではカートリッジ (cartridge) にあたる。形状が似ていることからこのように呼ばれるようになった。
 カルトゥーシュは、もともとロープの象形文字であり"取り囲む"を意味していた。周りを取り囲み保護することからファラオの名前を囲み、保護しているのである。棒状の部分が結び目をあらわしており、名前は結び目の反対側から読み始める。
 カルトゥーシュでファラオ名を囲み始めたのはエジプト古王国第4王朝のスネフェルからとされる。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戦争捕虜のレリーフ、首に縄を付けられている

アブシンベル小宮殿、ラムセス2世像4体、ネフェルタリ像2体

足が前に出ているのは生きていることを示す

神殿の裏から見ると小高い砂山、この下がコンクリートのドームになっている。

ラジエターに水を補給している。中国製のバスで比較的新しいが、この程度の走行でラジエター水が不足するのか。帰りにエンストしないか心配になった

アブシンベル神殿では内部での説明は出来ないとのこと(狭いからか?)、それで外で解説をうけた。途中でスペインの団体がやってきてそのガイドの声がやたらでかい。少し、離れてやってくれればいいのに・・・。ガイドの説明はここをクリック(風きり音で少し雑音が多い)

昼食はアブシンベルのネフェルタリホテル

バイキングですがあまり変わりばえしないしない内容でした。マックのハンバーガーが食べたくなってきた。

コーヒーのムースを液体状にしたようなデザート、

めちゃ甘のエジプトケーキ
コーヒーはやはりネスカフェ、やめた・・・。朝食のコーヒーもまずい、もう少しうまいコーヒーが飲みたい。

同じツアーで2組が自分でアブシンベルまで行ったそうだ。一組は日本からインターネットで予約、もう一組はタクシーをチャーターして行ったそうだ。ここでタクシー運転手と交渉するのは正直しんどいし、狭いタクシーでこの距離は少し疲れるだろう、とてもロートルには出来ない。ガイドも英語だったそうだ。日本語でも聞き取りにくいのに疲れただろう。
ナイル川(Nile River)
 アフリカ大陸東北部を流れ地中海に注ぐ世界最長級の河川である。
延長:6,650 km
水源の標高:1,134 m
平均流量:2,830 m3/s
流域面積:2,870,000 km2
水源:ルヴィロンザ川
河口、合流先:地中海
流域:タンザニア、 ブルンジ、 ルワンダ。、ウガンダ、コンゴ民主共和国
ケニア、エチオピア、スーダン、エジプト
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

引用 フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

午後4時半頃にホテルに戻った。片道3時間半は少し疲れたが早く戻れたので夕食まで少し一服できた。夕食はホテルから歩いてすぐのナイル川沿いのレストランだった。タジンというエジプトのシチューのようなカレーのような料理がメインだった。少しスパイスがひつこくてあまりうまいものではないというのが正直な感想だ。

夕食はSALAHED-DINN(アラブの英雄、サラディンのことか?)
サラディンは1187年に十字軍との戦いに勝ち、聖都エルサレムを奪還した。その際、十字軍のように虐殺を行わす、エルサレムで降伏したキリスト教徒を海岸方面に退去させた。この話は映画『キングダム オブ ヘブン』に出てくる。

スープ

タジン(壺焼き)、シチューに近い

生野菜

ライスは日本米に近い

左端が塩気の強いエジプト・ピクルス、オリーブオイル炒めの野菜(なすび等)、タヒーナ

夜のスーク
昼間よりにぎやかだった。店員が『バザールでゴザール』、『ぼちぼちでんな』など日本語のギャグで引き込みをする。

金製品の店、ここは重さで値段を決めていないようだ。ドバイや免税店ではデザインは関係なく金の重さで値段を決めていた。

ナッツや飴などを売っている店のようだ。

サトウキビでしょうか?

水たばこ屋、喫茶店のようなものなのでしょう。

昨日も見た石灰岩の塊

スパイス屋の棚、ずいぶんいろんな物がある

日本でもおなじみのケバブ屋

コンビニのようなのもありました

肉屋さん、肉をつるしている

街頭タバコ売り

タバコ売り

アブシンベルのトイレにあったタンク式湯沸かし器
悪名高いしろもので、スイッチを入れて1時間くらいしないと湯が沸かない。

【宿泊:イシス コルニシュISIS CORNICHE】

ホテルはコテージタイプの平屋

ホテルのロビー、向こうに見えるのがホテル・メーベンビック
《ガイドから聞いた雑学》
アラビア語で『おはよう』は『サバーヒルヘール』という、日本人には発音しにくいので『サバ・ハラヘール』と言えば通じるとのことでした。

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