エジプト旅行 2008.1.27〜2008.2.3

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5日目 1月31日(土)
今朝も早く目が覚めたので6時半には朝食に出かけた。今日はかなりゆっくりとした午前9時出発、これくらいの時間だとずいぶん楽だ。

おかゆのようなもの?

ブロッコリーの唐揚げ(これはよかった)

マッシュ・ポテト

なにか分からない

シチューのようなスープ?

朝食は文句を言いながら、少し食べ過ぎ・・

コテージなどで外で人が歩くとよく響く

部屋はちょっと狭い

停泊中のクルーズ船、このような船が10隻以上停泊していた。

ホテルのテラスからナイル川を望む

アスワンハイダムの見学に向かう。黒部ダムのようなものを想像していたのだが、まるで違っていた。まるで淀川の土手のような低い構造物だった。少しがっかりした。

ダムから下流を見る

左がダム湖、ダムはどう見ても土手に見える

アスワンダム建設記念碑(旧ソ連が建てたもの)
アスワンハイダムの説明図
アサワンダムから戻る途中で黄色い砂漠の砂があるところでいったん停車、砂を記念に袋に詰めてきた。家に小樽の土産のガラス容器があったのでそれに入れることにした。非常に細かいサラサラした砂だった。
アスワン・ハイ・ダム (Aswan High Dam)
 エジプトの南部、アスワン地区のナイル川に作られたダム。アスワンダムは2つあるが、現在ではアスワンダムと言うとアスワン・ハイ・ダムを指すことが多い。
古いアスワンダムは、アスワン・ロウ・ダムとも呼ばれる。1901年に完成し、以降数度にわたって拡張された。
アスワン・ハイ・ダムは、アスワン・ダムの6.4km上流に建設され、1970年に完成した。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アスワンダムを後にして切りかけのオベリスクの見学に向かった。ここは古代の石切場の跡だ。

大きな岩を切り込んでオベリスクを作っている

反対方向から見る、右上は監視所、こんなところまでテロの影響が出ている。

オベリスク(obelisk)
 古代エジプト(特に新王国時代)に多く製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。
 オベリスクの呼称自体は後世のギリシャ人達がオベリスコ(串)から名付けたものであり、元来は「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。
 ほとんどは花崗岩の一枚岩で作られており、四角形の断面をもち、上方に向かって徐々に細くなった、高く長い直立の石柱である。
 先端部はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっており、創建当時はここが金や銅の薄板で被覆され、太陽神のシンボルとして光を反射して輝くようにされていたらしい。
 側面には王の名や神への讃辞が刻まれ、王の威を示す象徴とされた。大きいものではその重量が数百トンにも及ぶ。
 起源はヘリオポリスにかつて存在し崇拝されていたというベンベン石を模式化したものと考えられている。
 後に戦利品として略奪の対象とされた。それは古代ローマ時代から行われており、4世紀に首都となったコンスタンティノポリスの競馬場にもオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブルにも残っている。その後も略奪は続き、欧米の公園や広場の装飾品とされた。
 例えば、フランスのコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるものは、よく知られている。エジプト国内に残されているものは、カルナック神殿やルクソール神殿など、わずかである。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


帰りには例のごとく、土産物屋へ金製品の店、政府も認めているちゃんとした店と言うことだが金の含有量がはっきりと分からないところが少し問題、店の人にどこでそれが分かるのかと聞いたがはっきり答えられない。大体は刻印があって分かるようになっているらしい。(刻印がニセならどうしようもないが・・・)
昼食は昨日の昼と同じホテルのレストランだった。予定では魚料理とのことだった。

また出ました、タヒーナ。これは絶対に出てくると思ってよい

野菜のスープ(まあ、まあ・・・)

メインの魚料理

午後のイシス神殿のオプショナル・ツアー参加しなかった。これだけ似たような石の神殿を見ても仕方がないだろう。少しは違ったものが見たいので自分で動いてみることにした。時間があまりないので向かいの島(エレファンティネ島)に渡ってアスワン博物館をみることにした。

渡し船を間違って乗ってしまったようで博物館が見えない。(上の画像の白い矢印)
どうしようかなと思っていたら子供が寄ってきて案内してやるという、村の中の道を歩いてやっと博物館にたどり着いた。当然、バクシーシを要求された。

島の船着き場、往復の料金を請求された。片道3ポンド(60円)


案内してくれた子供、ヤギがうろうろしている。

日干しレンガの塀が続く村の道

ヤギがいる

アスワン博物館
表に座っているのはガイド、ボランティアではないので、当然バクシーシが必要
砂ぼこりの中、10くらいでアスワン博物館に到着した。表に立っている男性が何も言わないでも付いてきて英語で案内を始めた。エジプトなまりの英語で聞き返さないとよく分からないところがあった。彼の仕事を聞いたら『ファルマー』と言う。もう一度聞き返したら『ファーマー:農業』だった。週に1〜2回カイロに帰るということでそこにもう1人奥さんがいるということだった。(ほんまかいな・・・)

頭部がなくなった座像

Sandstone Capital in imitation o palm tree

孫の手

ギリシャ・ローマ時代の砂岩の祭壇
THE EGYPTION BELIEVED THAT THE GIFTS DISPLAYED ON  ITS FLAT SURFACE WOULD MAGICALLY  TRANSFORMED REAL FOOD AND DRINK COULD BE ENJOYED PERPETUITY(不滅) BY THE GOD.
THE OFFERNG INCLUDE、BREAD− FLOWERS − VEGETABLES AS CUCUMRERS  &  LETTUCE(チシャ、レタス),MEAT− BIRDS,SOME OF THEM HAS TWO TALL LIBATION(献酒) JARS SPOUTING(噴出する) STYLIZED STREAMS OF WATER THAT FLOW  FROM THE SPOUT AT THE TOP OF THE TABLE.OTHERS HAS INSCRIPTIONS(碑文) ON THE FRAME.
収蔵物はあまりめずらしいものはなく、マイナーな博物館でした。博物館を出てナイロメーターと遺跡に案内してもらった。


ナイロメーターのある川岸に出る階段

川に降りる階段にナイロメーターがたくさんある
古代エジプトの農業はナイル川の氾濫の時期や規模で大きな影響を受ける。そのためその時期を正確に予測することが重要であった。ナイロメーターは水位計測のために造られた観測施設である。 ナイル川に降りる階段の壁に目盛りが彫り込まれている。

ヘンナの木、この実を搾ると白い乳液状の液体が出てくる。これがヘンナの原料らしい。(ガイドの説明によれば)

川の向こうにオールド・カタラクトが見える

『ナイル殺人事件』の映画でのオールドカタラクト
それほど川の水面の高さは変わっていない。この映画は1978年製作、アスワンハイダム建設は1946年なので水面は現在とあまり変化ないはず。
雑学:映画『ナイル殺人事件』
 原作はアガサクリスティの『ナイルに死す』で、ジョン・ギラーミン監督、ピーター・ユスチノフ主演(エルキュール・ポワロ)の1978年制作米映画。  映画にアスワンの有名ホテル『オールド・カタラクト』が登場する。ここからナイルクルーズに出る船中で殺人事件が起こり、名探偵ポワロが事件を解決する。
ソフィテル オールド カタラクト ホテル アスワン (Sofitel Old Cataract Aswan Hotel)
 アスワン空港からは20キロ 、131室。 
※ガイドさんの話では現在改装中で休業中とのことです。

ソフィテル(Sofitel)
 フランスに拠点を置くアコーホテルズの最上級ブランドのホテル・チェーン。
 1964年に創設され、1974年にフランスのストラスブールに最初のホテルを開業。1997年にアコーホテルズ・グループの一員となった。現在、世界各国に192のホテルを展開している。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ナイロメーターを見学後、南側にあるクヌム神殿遺跡に向かった。廃墟といった様子で現在発掘作業中であった。

アガ・ハーン廊
アガ・カーンはイスマイール派の最高権力者。

クヌム神殿遺跡の全景(クヌムとはナイル川の神様)
エレファンティネ島、エレファント(象)と言うか、それは古王国から新王国時代にこの島の市場で象牙やアフリカ象の取引が行われていたからだそうです。英語の elephant はこの島の名に由来するということである。
クヌム神殿はラムセス時代の建築物の上に建てられたギリシア・ローマ時代のもの。

クヌムは牡羊の形、これか?

足だけの石像

アレクサンドロス2世のレリーフ
(有名なアレキサンダー大王はアレキサンドロス3世 BC356 -BC323)

ローマ時代の遺跡もあるようだ

ドイツ人の考古学者が発掘中とのことです。
ガイドは『ジェルマン』と言ったのでなにか分からなかった。

ハトホルス神?(牛の女神)
帰りがけに石段を踏み外して転んでしまった。下が砂地でデジカメを落としてしまった。砂がレンズの間に入り込んで収納できなくなってしまった。こんなことあろうかともう一台予備機を持参していた。デジカメは砂に弱い。
 もと来た道を引き返したら、船が戻ってきた。それに乗り込んで対岸に戻り、ホテルのプールサイドでカフェオーレを注文して一服した。カフェオーレの味は一番まともだった。
バクシーシ
もとはイスラムの助け合い精神からきており、”喜捨”と訳される。経済的に裕福な人が貧しい人にお金や物を与えるという考え方で、日本でも托鉢中のお坊さんにやっている行為と同じだろうと思います。しかし、外国人にとっては”チップ”との違いがよく分からない。イスラム流には『さりげなく』やるのが粋なやり方のようです。

 

アスワン駅

何のためにやっているのか分からないいい加減なセキュリティチェック

アスワン駅構内

プラットホーム

ナイルエクスプレスと名前はいいが車体の塗装はところどころはげていて窓ガラスも汚れている。日本のJRの車両と比較するととてもオンボロ列車

売店でビールを買ったらよく見たらノンアルコールビールだった.
アスワン駅に午後4時半に到着した。添乗員より車内で出る夕食はしょぼいと説明あり、みんな駅の売店でスナック菓子や飲料水を購入した。しかし、ビールを買った人は表示がノンアルコールということに気づき店員に交換をしてくれと言ったら、駅の構内ではノンアルコールしか売っていないと言う。車内では販売しているという。これはあらかじめガイドか添乗員から説明しておくべきだ。どっちにしても下戸には関係ないが・・・

列車が発車すると車掌が食事が6時に出ることと、飲み物の注文がないか尋ねに来た。時間通り、午後6時に夕食が運ばれて来た。

ご飯はサフランライス(もう一種類、豆入りのライスあり)

出されたときは機内食のようでいけるかと思ったが、食べてみるとどうもよくない。肉の味付けがいまいち、野菜がまったくない、パンがおいしくない、ヨーグルトは酸味もないし、甘くもない。ホテルの朝食で出たオレンジを持ってきたのでそれをデザートにして食べた。食事の片付けが終わった後、午後8時にベッドメーキングをしてくれた。その後、15分程してまた車掌がやってきて朝食時の飲み物、コーヒーか紅茶どちらにするか尋ねに来た。コーヒーはまたインスタントのネスカフェだろうと思って紅茶を選んだ。


コンパートメント

座席の向かい側

戸を開けると洗面台がある。しかし、水はちょろちょろ、とても洗えない

ドアの左のパネルに部屋の照明、温度、音楽のスイッチ。

ベッドメイキング後

通路

ルクソール駅を発車したら突然音楽が鳴り出した。慌てて音楽のマークの付いたつまみを反対側に回した。ほかの部屋からも音楽が聞こえる。みんな慌てて ボリュームを落としていた。

ルクソール駅

トイレは洋式、レバーを踏むとそこのふたが開いて糞便は線路に落ちる。水が流れることになっているが出なかった。

便器の向かい側に洗面台。やはり水はちょろ、ちょろ。

途中で速度を上げたり、下げたり、止まったりとややこしい運転だったが、疲れていたのでぐっすり眠ってしまった。寝台が広いので日本の寝台車より快適なことは確かだ。車窓よりの動画(ここをクリック
【宿泊:ナイルエクスプレス】

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