エジプト旅行 2008.1.27〜2008.2.3

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6日目 2月1日(日)
朝の朝食が運ばれて来た。予想通りかなりしょぼい、下の画像のとおりパンと紅茶だけ、パンだけ4個もあるのには理解に苦しむ。

ナイルエクスプレスの朝食は非常にシンプル。前日他のツアーの添乗員がホテルの朝食のくだものかなにか内緒で持って行ったほうがいいとアドバイスしていた。

食事はいいとしてトレーを置く台が木というのはどうにかならないものか。トレー台の板を壁の穴に差し込んで使う。

列車は定刻に着くこくとはまずないそうでこの列車も1時間遅れでギザ駅に到着した。ひどいときは2〜3時間遅れるそうだ。この日はまともに着いたほうらしい。
駅に降りるとかなり涼しいというより寒い。セーターとジャンパーを着てちょうどいいくらいだ

駅のプラットホーム

カイロのギザ駅正面

ギーザ (アラビア語: al-Jiza)
 アラビア語エジプト方言:eg-Giza, 英語: Giza/Gizeh)は、エジプトの都市。ナイル川中流の西岸に位置する。
 同国の首都であるカイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。
 人口はおよそ200万人。日本語表記はギザ、ギゼーなどとも。

 古代エジプト以来の町であり、クフ王のピラミッドをはじめとするギザ三大ピラミッドと、ギザの大スフィンクスがある遺跡の町として世界的に有名である。その一帯からダハシュールにかけてのピラミッド地帯は、メンフィスとその墓地遺跡として1979年に世界文化遺産として登録された。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


クフ王のピラミッド、高さ146m(現在は137m)


てっぺん部分の塔は避雷針ではなく本来のピラミッド高さを示している

マイクロバスの上のくぼみが盗掘穴

左画像の盗掘穴の拡大

左からクフ王、カフラ王、メンカフラ王のピラミッド、この位置からはカフラ王のピラミッドが一番大きく見える。
ピラミッドは堅い岩盤の上に建てられている。
クフ(Khufu)
紀元前26世紀、在位紀元前2589年 - 紀元前2566年、古代エジプト・古王国時代のファラオでカフラーの父。「クフ」と言う名は「クヌム神に護られしもの」を意味する「クヌム・クフ・ウイ(khnum - khufwy)」を簡略化した物とされ、ギリシア語ではケオプス(Cheops)と称される。ギザの三大ピラミッドのうち最大の大きさを誇る、いわゆるクフ王のピラミッドを造営したことで知られる。

ただ、近年の吉村作治等の研究により、クフが造営したとされるピラミッドについて、王墓であったのか、本当にクフが造営したのか等について疑問が投げかけられている。

ヘロドトスの『歴史』によれば、国民の苦しみも顧みずに大規模な土木事業を繰り返した暴君とされるが、実際には、この事業がナイル川の氾濫で一時的に職を失った国民のための失業対策であったとされる。しかし、この大事業が代々繰り返されたことで、国力は弱体化し、古王国時代は終焉を迎えることとなった。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カフラー王(KhafraまたはKhafre)
 ?-紀元前2480年、エジプト第4王朝のファラオで、メンフィスを首都とした。ハフラーとも言う。クフの兄弟で後継であるとする歴史家もいるが、クフの息子ジェドエフラーの兄弟、後継者とする説が一般的である。
 彼の名前のKhaf-Raとは、「ラーのように現れる(上る)」という意味であり、おそらく初めてヒエログリフで王冠とともに描かれた名前である。
 スフィンクスとともに作られたカフラー王のピラミッドは、ギザの三大ピラミッドの中で2番目に大きい。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一番形がいいのがカフラ王のピラミッド

先端部分に化粧漆喰が残っている

スフィンクスを囲む土手には縦の亀裂がある。これは雨の水が流れた跡だそうだ。雨がかなり降った時期もあったことを示している。

カフラ王のピラミッドの入り口

ガイドの説明によると出来た当初のピラミッドは表面が漆喰で化粧されてつるつるだったそうだ。さらにその表面に絵が描かれていてさらに金で覆われていたとのこと。
 クフ王のピラミッド入場は出来ないので隣のカフラー王のピラミッドに入った。腰をかがめないと歩けない通路を行くと玄室に到達する。石棺が1個あるだけでなにもない。蒸し暑くてあまり気分がよくない。

手のひらにのるピラミッド
ピラミッドの語源 
 ギリシア語で三角形のパンを指すピューラミス(ピラミス、ピラムスとも)に由来する、という説が最も有力。
 古代エジプト語ではギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」という言葉を当てていた。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


スフィンクスの顔、ひげは大英博物館にある
スフィンクス(Sphinx)
 エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物。漢字で「獅子女」と書く。
 古典ギリシア語ではスピンクス(Σφ?γξ, Sphinx)といい、スフィンクスとはこの英語読みである。古代エジプトにおける本来の名は不明だが、ギリシア語名は古代エジプト語シェセプ・アンク(szp 3nh, シェセプ=姿・形 アンク=再生・復活の神 「アンク神の像」の意)に由来するのではないかとする説がある。ただしこの語は神あるいは王の像に対してのみ使われており、合成獣に使われた証拠はない。
 スピンクスは女性名詞なので、ヘロドトスはエジプトの合成獣を描写するときにこの名詞を男性化した(Androsphinges)。これが男性スピンクスの唯一の例である。
 本来はエジプト神話の生物であるが、非常に古くからギリシア神話にも取り入れられていた。エジプトのスフィンクスは王家のシンボルで、ギザのピラミッドにある、いわゆるギザの大スフィンクスは王の偉大さを現す神聖な存在である。対してメソポタミアやギリシャのスフィンクスは怪物として扱われていた。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スフィンクスの後方にカフラ王のピラミッド
オシリス・シャフト
 カフラー王のピラミッドへの参道のちょうど中間付近にある。50年以上前に発見されていたものだ。
地下に掘られた穴で三層構造になっている。最下部まで40mあり、最下部に石棺が地下水に浸かっている。この石棺にはミイラは入っていない。オシリスが入るものとされている。(オシリスの墓)
このシャフトよりそれぞれのピラミッドに向けてトンネルが掘られている。
オシリス(Osiris)
古代エジプト神話に登場する神の一柱。イシス、ネフテュス、セトの4兄弟の長兄とされる。
 王冠をかぶり,体をミイラとして包帯で巻かれて王座に座る男性の姿で描かれる。
 同神話によれば、生産の神としてまた、エジプトの王として同国に君臨し、人々の絶大な支持を得たが、これを妬んだ弟のセトに謀殺された。尚、この際、遺体はばらばらにされて、ナイル川に投げ込まれたが、妻であり妹でもある、イシスによって拾い集められ、ミイラとして復活。
 以後は、冥界の王としてここに君臨し、死者を裁くこととなった。その一方で、自身の遺児・ホルスをイシスを通じ後見して、セトに奪われた王位を奪還。これをホルスに継承させることに成功。
 以降、現世はホルスが、冥界はオシリスがそれぞれ統治・君臨することとなった。
引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スフィンクスの反対方向を見るとピザ・ハットの看板が見える

ピラミッドが屋上から見られるKFC、2階がピザハット

もっとピラミッド見学で時間が欲しかった。旅の思い出にKFCでコーヒーでも飲みたかった。
土産物屋に案内するため早々に出発し、パピルス店に連れて行かれた。
パピルス(Papyrus)
 カヤツリグサ科の植物の名。または、この植物の地上茎の内部組織(髄)から作られ、古代エジプトで使用された文字筆記のための媒体をも指す。パピルス紙と呼ばれる場合があるが,一度分散した繊維を絡み合わせ膠着させてシート状に成形したものではないため正確には紙ではない。ただし、これは、中国で発明された「紙」を基準に、紙の定義が後に定められたからで、英語などの言語で紙を意味する「paper」や、フランス語の「papier」などは「papyrus」に由来する。
本物のパピルスは折り曲げても折れて割れないが、ニセのパピルス(バナナの葉っぱで作る)は割れてしまうと説明があった。しかしニセのパピルスも折ってもなかなか割れなかった。要するに街頭で売っている安ものはすべてニセと言うことだ。

この店で買ったパピルスの絵で、アブシンベル宮殿のレリーフが原板で、ラムセス2世がシリア軍と戦う場面を描いている。馬の足が何本もあるのは躍動感を表現している。

レストランの看板

昼食のレストラン

アエーシを焼いている女の人、レストラン中庭でのパフォーマンス

レストラン内部

野菜スープ

このアエーシは焼きたてでおいしかった

常番のタヒーナ、ピクルス、ひよこ豆etc
旅程表ではミックスグリルとなっているが・・・

コフタ(細長いミートボール)とターメイヤ(豆のコロッケ)
少し黄色く写っているのは黄色のステンドグラスの光で照らされているため

レストランの中庭で、砂絵の土産物売り
シリア、レバノンではかなり見かけたおみやげだが、このエジプト旅行では初めて見た。

午後のサッカラ、ダハシュールのオプションはやめた。カイロ市内に行ってみようと思った。ホテルから市内まではタクシーで行くと道路工事の影響で何時間かかるか分からないというので、地下鉄で市内に行くことにした。地下鉄は全線均一2エジプトポンド(40円)かなり安い。
 しかし、タクシーは交渉で料金(観光客にはボッタクリ)が決まる。相当慣れないとこれは日本人には無理、いつまでもこんな状態では国の発展は難しいだろうと思った。世界のスタンダードに無理に合わせる必要はないが、ある程度整備をするべきだろう。しかし、このアバウトさが好きという人もいるので仕方がないのかも・・・。

地下鉄の中でのことだが、かなり混んでいて牛詰め状態だった。席が空いたのだが誰も座ろうとしない、離れたところに立っている私の妻に乗客が次々座れと声をかけてくれる。外国人に対して親切な態度には感心した。観光地でのエジプト人を見ているとあまり好感をもてなかったが一般の人はかなり親しみやすい人たちだった。やはり、町の中を見ないと人柄は分からないものだ。

地下鉄、イルムニーブ駅

地下鉄アタバ駅を上がったところにある本屋の店

アタバ駅近くの路上販売、主に衣料品を売っている。拡声器で商品の宣伝、店同士でけんか腰で大声を上げている。にぎやか・・・。

水売り

椰子の実ジュース売り(これがDOOM?か)

日本と同じ焼き芋屋

アエーシを担いで歩く人

ここはハンハリーリ・バザールよりかなり離れた地下鉄の駅に近いので地元の人の行く商店街のようだ。

夕食は『園山飯店』という店で中華料理だった。特にエジプト料理ではないので詳細は省く。店の前が道路工事中で砂埃がもうもう、環境的にはあまりいい場所ではない。

園山飯店
あまりうまい中華料理ではなかったが、毎日ワンパターンの昼食と夕食だったので少しほっとした。しかしこの店はアルコール類なし。日本的に考えるとアルコールを出さないともうけにならないだろうと思うのだが・・・。
宿泊:カタラクト・リゾート・ピラミッド
 ギザに近い場所にあり、カイロ市内からはかなり離れている。ホテルの前は運河で汚い、ゴミが浮いている。近くに高速道路(?)の工事をしているので渋滞がはげしい。ホテル内部はコテージタイプの部屋がならびずいぶん立派なホテルだった。しかし、カイロ市内から遠いので星の数よりは格落ちのホテルらしい。

庭からホテルのエントランスを見る

マンションタイプの部屋と1戸建のようなのが庭を取り囲んで建てられている。

ホテルの部屋には有線LANのコネクターが備えられていた。しかし、インターネット接続は有料で24時間140エジプトポンドとある。円換算で2800円。日本の利用料よりかなり高い。ぼったくり・・・。日本ではサービスで無料のホテルがほとんどなのに・・・。
 後で聞いた話だが、バスルームに入ってドアを閉めたらノブが抜けてしまい出れなくなった人がいた。旦那さんを大声で呼んで外から開けてもらったそうだ。その後は用心してトイレに1人で入るときはドアは半開きで入ることにしたそうだ。
 このホテルも高級ホテルにしては水回りが悪い、ある人の部屋ではバスタブのカランが動かず湯が出せなくてクレームを言っていた。私たちの部屋でも湯の栓をひねったら茶色の湯が出てきたどうも配管がさびているようだ。その後、バスの水を流したら排水穴から排水が逆流してトイレの周辺の床が水浸しになっていた。それとシーズンオフのため掃除をしていないのかベッド下にほこりが貯まっていた。(清潔さでは日本のビジネスホテル以下・・)

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