7月9日(水) 2日目 |
||||||||||||
|
||||||||||||
ドーハからマンチェスター 動画 |
||||||||||||
マンチェスターに着いたが、気候はちょうどいいくらい。 寒いかと思ってパッチを持ってきたが、必要なそうだ。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
引用:Google Map |
||||||||||||
リヴァプール (Liverpool) イギリス、イングランド北西部マージーサイド州の中心都市。 ザ・ビートルズ誕生の地として名高い。 市域面積は111.84平方キロメートル、2005年の人口は447,500人。 2008年の欧州文化首都の一つ。 最初に記録に現れるのは1195年、"Liuerpol"または"dirty pool"としてである。 それから12年後、1207年にジョン王が都市建設に勅許を出し、まだ村だったリヴァプールに自由都市の特権をあたえた。 とはいえ、しばらくは小さな港で、16世紀中ごろの人口は600人程度であった。 しかし17世紀末に近郊のチェスター港が泥の堆積によって衰退、チェスターに代わってイングランド北西部商業都市の代表格にのし上がり、郊外では製造業が成長し、アメリカおよび西インド諸島との貿易が増大するにしたがい町は繁栄した。 1715年、イギリス初の係船ドックが建設される。 植民地との貿易が盛んになった18世紀当時のイギリスは、ヨーロッパからアフリカへ日用品や火器を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを持ち込む大西洋三角貿易において、ほぼ独占的な地位を築いていた。 リヴァプールは、この北アメリカ、西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たし、おもに奴隷貿易で急速に発展したという負の歴史も存在する。 フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
||||||||||||
最初にリバプール大聖堂の見学 別名アングリカン大聖堂と呼ばれている
|
||||||||||||
この教会は比較的新しく建築されたもので古いものではないのが残念・・・。 | ||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
次に、アルバート・ドックに行きました。 大したものはありません、横浜のほうがはるかにましでした。 ちょっと期待はずれ・・・・・・ |
||||||||||||
アルバート‐ドック 【Albert Dock】 英国イングランド北西部の港湾都市リバプールにあるドック(船渠)の一つ。1846年に開設。 世界初の耐火性倉庫を有し、水圧を利用した貨物用昇降機が設置された。 1920年代以降は物流の主役を陸運にゆずり、倉庫としてのみ使われた。 1980年代に再開発が進められ、現代美術館テートリバプール、マージーサイド海事博物館、博物館ビートルズストーリーなどが集まる観光スポットになった。 海港としての歴史を伝える他の地域とともに、2004年に「リバプール海商都市」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。 引用:デジタル大辞泉より |
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
ライヴァー・ビルディングのてっぺんの鳥
|
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
アルバート・ドックを見学後、かの有名なビートルズに関係するマシュー・ストリートへ | ||||||||||||
リバプール動画 |
||||||||||||
|
||||||||||||
マシューストリート(Mathew St.) 引用:Google Map |
||||||||||||
|
||||||||||||
ビートルズで有名なカバーン・クラブ Cavern Club Liverpool カバーンクラブ リバプール 2014 |
||||||||||||
残念ながらビートルズにはあまり興味がないので このカバーンクラブの見物はどうとも言えないものだった。 マンチェスターにもどり、ホテルに着く。 |
||||||||||||
マンチェスター (Manchester) イングランドの北西部、グレーター・マンチェスターに位置する都市。 北部イングランドを代表する都市であり、イギリスで9番目の都市である。 1853年に市制が布かれ、2011年の時点で、マンチェスター(都市と都市バラ)の人口は49万人である。 2011年の近郊を含む都市圏人口は224万人であり、同国第3位である。 マンチェスターという名の由来は、古代ローマの領土だった時代のラテン語名「マムシアム(Mamuciam)」(ケルト語の地名「mamm」をラテン語風に読み替えたものであり、元の意味は「胸」「乳房のような丘」ではないかと思われる)と、古英語の「ケステル(ceaster)」(ラテン語で駐屯地や城を意味する「castra」から来ており、町という意味)を合わせたものである。 1世紀、古代ローマ帝国によってマンクニウムとよばれる前哨地が一帯に築かれ、その砦がマンチェスターの起源である 第二次世界大戦の際には、マンチェスターもドイツによる激しい空襲を受けた。 1940年12月に22日から24日にかけて行われた2回に渡る夜間空襲で、376人の死者を出し、30000の家屋が破壊された。 これらの空襲で、マンチェスター大聖堂は大きな損害を被り、復旧に20年を要した。 マンチェスター都心市街地は、19世紀の産業革命期に街が急発展した際に整備された運河や製粉所のネットワークが残っており、イギリスはこれを、ユネスコの世界遺産委員会に提出した世界遺産候補の「暫定リスト」に掲載している。 今後の審査によっては世界遺産に登録される可能性がある。 フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
||||||||||||
ホテルに着く前にTHE VICTORIA HOTELのレストランで夕食をとったが、内容がもう一つなので載せないことにした。 | ||||||||||||
パレスホテルの位置 引用:Google Map |
||||||||||||
パレスホテルの外観はかなりクラシックなおもむきで重厚な印象だった。 古い会社のビルを改築してホテルにしたそうだ。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
パレスホテルのフロント、とてもクラシック |
||||||||||||
|
||||||||||||
部屋は広いがなんとなく殺風景 窓が木枠でかなり傷んでいる、クラシックだが居住性はよくない。 |
||||||||||||
今日はこれで終了、寝る・・・・ | ||||||||||||
|