夢のイギリス10日間
7月10日(木) 3日目
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3  7月10日(木) 9:15/ナッツフォードへ。◎タットンパーク観光<約1時間>

その後、エジンバラへ。
19:30/ホテル着。
やはり、時差ぼけで朝早く目が覚めてしまった。
朝食までに少し時間があるのでホテルの周辺をぶらついた。
とくにこれといってなにもない。 

朝のホテル、クラシックだがレンガの壁が汚れている

イギリスの郵便ポストも赤かった

ビルのあちこちにこの看板
”TOILET”の”I”が抜けているのではない
英国では”FOR RENT”を”TO LET”と言う 

レンガの壁が汚れた汚いビル
少し洗えばきれいになるのに・・・ 

朝食は5〜15ポンド(1000〜3000円)

野菜は温トマトだけで野菜サラダがない・・・
パンは自分でとってくるのもあるが
ボーイさんが別にトーストを持って来た。
このあたりはイングリッシュ・ブレックファストのよう・・・

食堂はかなり豪華、クラシック、リッチな気分になる

ちょっとパーフェクトとは言いにくいですが?
朝食を食べた後、ナッツフォードのタットンパークに向かう 
 
マンチェスターからナッツフォード 引用:Google Map
 
ナッツフォードからタットン・パーク 引用:Google Map
タットンパーク(Tatton Park)
もともとタットン(エガートン家)さんという金持ちが住んでいた大邸宅で、彼は旅行好きで世界中で集めた植物を自分の庭に植え、各国の庭園を自分の庭に再現した。
タットンさんが亡くなり、敷地が広すぎて、手入れが出来ず、1958年にナショナル・トラストに遺贈された。
約50エーカーの敷地内には、イタリア庭園、ローズガーデン、日本庭園などある。
日本庭園は約100年前にEgerton(エガートン)家の領主が、日本から職人を呼んで造園したもの。 

タットンパークの入り口の建物
 

RHUBARBとは大黄、漢方薬の下剤として有名だが
かなり、大きい。
アニメ『トトロ』に出てくる葉っぱとよく似ている。

大きな大きな葉っぱ
 
バラ園
ほとんどバラが咲いていない。
中之島バラ園のほうがはるかにまし・・・
このバラ園はアラン・タットン・エガートンの妻のために1913年に作られた。
エガートン夫人が座っているのを邪魔しないよう、毎日午前10時までにガーディニング終わるようにしていた。
この庭はエガートンの家族がレクレーションに使っており、庭にあるライオン・プールで水浴びをしていた。
ポリアンサというバラのいろんな品種が植えられている。
エドワード王朝時代の典型的な形とにおいをもつ古い品種の改良品種が作られている。
入り口の鉄製の鋳物の壺は1880年代のものである。
隔てている壁の向こうは野菜畑がある。
 
Polyantha-Rose
フリー百科事典Wikipedia【詳細

アフリカの小屋
そんなに珍しいか??

1896年にエガートン伯爵がアフリカで撮影した写真
タットン・パークの最後の持ち主モーリス・エガートンはアフリカを気に入っており、この小屋の製作させた。
第2次世界大戦中でアフリカを訪問することが出来ないため、この小屋を作らせたとされている。
彼は狩猟に興味があり、最初にエガートン伯爵をアフリカに連れて行っている。
また、彼はケニヤで紅茶とコーヒーのプランテーションを作り、1939年に農業大学として土地を寄贈している。
キッチン・ガーデンでケニヤの野菜を新しい野菜を栽培していた。
1958年に彼が亡くなった後、彼の残したものの一つは商業農場となり、エガートン大学と改名されている。
 
日本庭園、茶室、池、石橋、灯籠など
 
日本庭園の横によく分からないが、コーラス記念碑がある
おまけに鯉のぼり・・・、意味が分からん?
古代ギリシャのコーラス指導者リュシクラテスのコーラス記念碑を模してチェスターのウイリアム・コールが1820年に作った。
ウィルブラハム・エガートンがヨーロッパ旅行した時の記念に建てさせたもの。
古代ギリシャ・アテネのギリシャコーラスの指導者リシィクラテスの記念碑が発想のもとになっている。エガートンの家族はピクニックによくここに出かけていた。

リュシクラテス記念碑】Monument of Lysikrat's
アテネに現存する古代ギリシアの記念碑。
紀元前 334年のディオニュソス祭の競技にリュシクラテスの合唱団が優勝したのを記念して建てられたもの。
正方形の高い台座の上に,ディオニュソス神話の浮彫のあるエンタブラチュアを支える6本のコリント式半柱をもつ円筒形の建物を置き,その上に円錐形屋根がある。 引用:Kotobankより
 
日本庭園
 
睡蓮の池、モネの絵画のよう
 
タットンパーク 動画 Tatton Park in UK 10 Jul 2014
 あまり、庭には見るべきものがない、やはり屋敷のほうを見学させるべきだろう。
今回のツアーの企画はよくない・・・

タットンパーク見学後、エジンバラに向かう、途中のランカスターで昼食となった。
Keysというレストランでローストチキンの昼食となった。

タットンパークからランカスターのKeysレストランへ 引用;google map

レストラン”Keys”


味ではランカシャーで最も高品質と保証された

英国人は犬好き

レストランの内部
 The Keys, Main Road, Slyne, Lancaster, Lancashire, LA2 6AU

スープ

ロースト・チキン
イギリスなので料理にはあまり期待していなかったが、このチキンはうまかった。 

デザートのアイスクリーム

トリップアドバイザーで4つ星
 エジンバラまで行く途中にサプライズでグレトナ・グリーンに立ち寄ってよいかと添乗員さんが言い出した。
※まあ、これは行程表には書いていないが、はじめから計画済みのようだ。
客を喜ばせるにはいいアイデアだ。 
 
ランカスターからグレトナ・グリーンへ 引用Google Map
グレトナ・グリーン(Gretna Green)
スコットランドに入って最初の町で、駆け落ち結婚がされた鍛冶屋が有名である。
1753年当時の法律で、イングランドでは両親の承諾を得た21歳以上の男女のみに結婚が許される。
しかいこの法律はスコットランドで適用されない。
また、イングランドの法律では一定期間に結婚に対して異議申し立てができ、結婚に反対する人があれば結婚を妨害することができた。
駆け落ちカップルが結婚するためにスコットランドに入って最初の町のグレトナ・グリーンへと向かい、そこの鍛冶屋の主人ともう1人、合計2人の立ち会いで結婚式が行われた。今日でもグレトナ・グリーンは結婚式の開催地として世界的に有名である。 

復元した鍛冶屋
 
グレトナ・グリーン(Gretna Green) 動画
 
結婚式をやっていました。飛び入りでいっしょに記念撮影しました。
花嫁さんは香港から来たと言っていました。
 ここも特に見るべきものはない、エジンバラに直行して市内を見物するほうがよかった。
まるで、日本の道の駅・・・(日本のほうがまし) 
 
グレトナ・グリーンから夕食の”MERCHANTS”レストランへ 引用GoogleMap

夕食のレストラン

サラダ(やっと新鮮野菜が食べられた)

サーモンとじゃがいも
 
夕食のレストランからカールトンホテルへ 引用:Google Map
 昨日のパレスホテルと違って、外側はクラシックだが内部は近代的に改装されている。
部屋は少し狭いがバスタブもきれいでこっちのほうが居住性はよい。
クラシックがどうしても好きならパレスホテルがおすすめ。(個人的にはカールトンホテルが好み)

カールトンホテル(リッツ・カールトンとは全く関係ないホテル)

ハリーポッターに出てきそうな、バルモアホテル
もう午後9時に近いが夕方のようでまだ明るい
 
スコットランド公文書館

King's Own Scottish Borderers Memorial 
North Bridgeの真ん中あたりにある
以下の戦闘で命をささげた下士官とKing's Own Scottish Borderers連隊(エジンバラ連隊)を記念して
アフガニスタン1878年〜1880年、エジプト1888から1889、CHIN LUSHAI(ミャンマー、バングラディシュ付近)1889年から1890年、チトラル1889年、TIRAH1897-1898、南アフリカ1900年〜1902年。  

公文書館の前のウェリントンの銅像
ウェリントン公爵(英: Duke of Wellington)
1814年5月11日、初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー陸軍元帥が叙位されたことに始まる。
彼はナポレオン戦争において軍功を重ね、後にワーテルローの戦い(1815年)でナポレオン・ボナパルトを破った人物で、初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルなどと共にイギリスの歴史上屈指の軍人と考えられており、単に「ウェリントン公」といった場合しばしば初代公を指す。 フリー百科事典Wikipedia【詳細】 

ウォルター・スコット (1771〜1832 年

スコット記念塔
287段の階段で上ることが出来る
スコットランドの有名な作家、ウォルター・スコット (1771〜1832 年) を記念して建てられた。
ビクトリアン ゴシック様式で建てられ、高さは 60.9 mある。
作家を記念した記念碑としては世界最大とのことである。
スコットの死後、1840 年着工し、1846 年に完成した。 
プリンシス・ストリート・ガーデンズ にある
サー・ウォルター・スコット
スコットランドの詩人、作家。
1771年、エディンバラに生まれる。エディンバラ大学で法学を学び、父の跡を継いで弁護士となる。
25歳より文筆活動を始め、当初は詩人として、後に歴史小説作家として名声を博す。
イギリスの作家としては、存命中に国外でも成功を収めた、初めての人気作家といえる。
代表作として歴史小説『ウェイヴァリー』(1814年)、『ロブ・ロイ』(1817年)、『ランメルモールのルチア』の原作となった歴史小説『ランマームーアの花嫁』(1819年)、『アイヴァンホー』(1820年)、叙事詩『湖上の美人』(1810年)など。
ウォルター・スコットの肖像はスコットランド銀行発行のすべての紙幣に使用されている。
ペンネームで執筆することを好み、"The Great Unknown"と呼ばれた。
スコットを「現代のシェークスピア」と慕っていたワシントン・アーヴィングも、スコットに倣ってペンネームを多用した。
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スコット記念塔のそばにあるリヴィングストンの銅像
デイヴィッド・リヴィングストン
(David Livingstone、1813 - 1873年)、スコットランドの探検家、宣教師、医師。
ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した。
また、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもある。
1971年からスコットランドでのポンド紙幣発行権を持つ銀行の一つ、クライズデール銀行が発行する10ポンド紙幣に肖像が使用されていた。 
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地下ゴーストツアー 午後10時頃

Radisson Blu Hotel Edinburgh
 スコットランドの首都エジンバは美しい町だが、昔は魔女狩り、拷問、殺人など残忍な歴史が存在する。このツアーはクロースと言われる細い路地裏を見たり、心霊現象で有名な地下都市「ブレア・ストリート・ヴォールト」を歩いてまわり、幽霊話を聞いたりする。
「ブレア・ストリート・ヴォールト」は、昔は数千人の人々が生活していた。1985年に発見され、ワイン貯蔵庫、皮革工場、ウイスキー製造所、居住区見つかっている。その他、医学校に売るため墓から掘り出した遺体の保管所にも使っていたらしい。

North Bridgeからエジンバラ城(右)を望む

左手にバルモアホテル、右手にスコット記念塔

North Bridge,

左が泊まったカールトンホテル

カールトン・ヒルのネルソン記念碑(右)
ホレーショ・ネルソン(英: Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson KB, 1758 - 1805)
アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。
トラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破り、ナポレオンによる制海権獲得・英本土侵攻を阻止したが、自身は戦闘中に戦死した
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2014年に140年ぶりに市内にトラムが復活)

ロイヤル・マイル 前方へ行けばホリルードハウス宮殿へ向かう

Tron kirk(トロン教会)
観光シーズンには観光案内所として使われている
1636年に建築を開始し、1647年に完成した。その後、オリジナルの木製の尖塔は火災で焼失し、1829年に再建された。
Kirkはスコットランドでは教会の意味 
 

聖ジャイルズ大聖堂とアダムスミスの銅像
スコットランドの宗教改革を進めたジョン=ノックスの墓がある。
 アダム・スミス(Adam Smith、1723 - 1790年)は、スコットランド生まれのイギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・神学者・哲学者である。主著は『国富論』(または『諸国民の富』とも。原題『諸国民の富の性質と原因の研究』An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。「経済学の父」と呼ばれる。
2007年よりイングランド銀行が発行する20ポンド紙幣に肖像が使用されている。過去にはスコットランドでの紙幣発行権を持つ銀行の一つ、クライズデール銀行が発行する50ポンド紙幣にも肖像が使用されていた。
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エジンバラ市内 動画 午後9時〜10時
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