夢のイギリス10日間
7月11日(金) 4日目
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4 7月11日(金 9:00/世界遺産エジンバラ観光<約3時間>(◎エジンバラ城、○ホーリールード宮殿)。

14:30/観光後、詩人ワーズワースゆかりの地として知られる湖水地方へ。

20:00/ホテル着。
ハイドロHydro
ヴィンダミアWindermere
 
朝のエジンバラ城(右手)

今日の朝食
朝食前にもういちどホテルの近くを散歩してみた。
フランスやイタリア同様、英国も銅像が多い。 
 セントジャイルス教会近くにある銅像

ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット

ヒューム
第5代バクルー公爵ウォルター・フランシス・モンタギュー・ダグラス・スコット(Walter Francis Montagu Douglas Scott, 5th Duke of Buccleuch、1806 - 1884年)は、イギリスの貴族、政治家。ガーター勲章勲爵士、アザミ勲章勲爵士(後に返上)、枢密顧問官。
保守党に所属し、サー・ロバート・ピールの下で王璽尚書や枢密院議長(英語版)を務めた。(第5代バクルー公爵)。スコットランド・ミッドロージアン州ダルキースのダルキース・ハウスで生まれる。フリー百科事典Wikipedia【詳細
デイヴィッド・ヒューム(David Hume、1711- 1776年)は、スコットランド・エディンバラ出身の哲学者である。イギリス経験論を代表する思想家であり、歴史学者、政治哲学者でもある。
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朝のカールトンホテル

朝のスコット記念塔
朝食後、ホーリールード・ハウス宮殿に向かった。
内部を見たがったが、ツアーには組み込まれていなかった。 

メアリ−女王の風呂

城の中は火災の危険があるため風呂はなかった

ホーリールード宮殿の門

門の飾り『聖なる鹿』
ホーリー・ルート(Holyrood)、"holy"は『聖なる』、"rood"は『十字架』の意味である。
デイヴィッド1世(スコットランド王:1080 - 1153年)が森で狩りの最中に災難に困っていたとき、光り輝く十字架を頭に載せた鹿が現れ命を助けたという伝説がある。そこに僧院を建て、後にここに宮殿が建てられた。エジンバラ城が岩山にあり、居住性が悪いためホーリールードハウス宮殿で住むようになった。 
 この宮殿の北側の小塔の部屋で、1566年3月9日エリザベス女王のライバル、スコットランド女王のメアリー・スチュアートの目の前で ,寵愛する秘書リッツィオを嫉妬した夫ダーンリー卿らによって殺される事件が起こった。
ホリールード宮殿(Palace of Holyrood)
スコットランドのエディンバラにある宮殿。
正式名称はホリールードハウス宮殿(The Palace of Holyroodhouse)である。
1128年にデイヴィッド1世によって建てられた寺院が前身である。
15世紀から、スコットランド国王夫妻の住居として使われてきた。
現在、宮殿はエリザベス2世の夏季の滞在地として使用されている。
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現地のガイドさん(英語圏のツアー)
一角獣(ユニコーン))と赤いライオンをあしらった
スコットランド 王家の紋章。花はアザミでスコット
ランドの国花。イングランドを象徴する獅子とスコ
ットランドを象徴するユニコーン。
 
この銘板の拡大
”IR5”はジェームズ5世を意味する。
”IR5”は”Jacobus Rex 5”の略で、Jacobus(ヘブライ語のヤコブ)は英語では『ジェームズ』、"Rex"は『王』、で『ジェームズ王5世』ということになる。
ロイヤルマイルをエジンバラ城に向かう(途中バスなので迂回) 
 

ジェームス1世の紋章 / フランス王の紋章

ウィリアム・ウォレスの銅像
スコットランド女王メアリー・スチュアートの長男スコットランド王ジェームス6世(1567-1625)がエリザベス1世の死後、イングランド王ジェームス1世(1603-25)となった。
そのため、スコットランド王とイングランド王とを兼ねることになり、王家の紋章も合体してこの紋章になった。 
ユニコーンとライオンがデザインされている。
”IACOBVS”="Jacobuヤコブ"=英語ではジェームズ
REX=王
サー・ウィリアム・ウォレス(英語: Sir William Wallace、1270 -1305年)
スコットランドの愛国者、騎士、軍事指導者。
イングランド王エドワード1世の過酷なスコットランド支配に対して、スコットランド民衆の国民感情を高めて抵抗運動を行い、1297年のスターリング・ブリッジの戦いでイングランド軍に勝利をおさめた。
この戦功で「ジョン王のスコットランド王国の守護官」に任じられるも、1298年のフォルカークの戦いでイングランド軍に敗れたため、職を辞した。
その後も反エドワード活動を継続したが、スコットランド貴族の裏切りにあってエドワードに捕らえられ、残虐刑で処刑された。
しかし彼の刑死によりスコットランドの国民感情は鼓舞され、ついにはエドワードのスコットランド支配を崩壊させるに至った。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
※映画メルギブソン主演の『ブレイブ・ハート』の主人公だが、この映画では少しでたらめが多い。ウォレスが野蛮人のようないでたちでイングランド軍と戦う場面。それはないだろう・・・ 。
この広場で多くの女性が魔女として処刑された。
それを悼んでこの泉が作られた
 
エジンバラ城 動画
 
タツーフェスティバルの会場設営中(画像の合成に失敗!!)
"Tatto"は入れ墨という意味もあるが、主に英国で(軍隊での夜間の催し物 (音楽・行進)という意味もある。
このときは『トム・ジョーンズ』のライブの準備ということでした。(まだ現役だったのか・・・)
Tom Jones concert Edinburgh Castle, July 20tb
 エジンバラ城見学の後は、自由行動で昼食なし
時間がないので教会の中のレストランに入った。
最近は信者が少なくなり、教会の財政もきびしく、レストランにテナントを貸しているとのことだ。

昼食に入った教会 St. John Church

レストラン内部
外にテラス席がある
 
アフタヌーン・ティーを注文しようとしたツアー客もいたが残念ながら午後3時からだった。 
メニューがよく分からないので困っていたら、日本人の女性のウエートレスが(バイトらしいが1人でがんばっている) 日本語のメニューを持ってきてくれたが、よく分からない。
説明を聞いたが勤め始めて間がないということで要領を得ない。
無難なところでサーモンのサンドイッチを注文した・・・・
出てきたのはハンバーガーのパンに酢漬けの大根とサーモンを挟んだもの、三角のパンではなかった。これではハンバーガーじゃないか???
 セント・ジャイルス教会
聖聖ジャイルズ St. Gilles
ラテン語で聖アエギディウス, フランス語で聖ジル、英語で聖ジャイルズと呼ばれる。
アテネで生まれ南フランスで亡くなったと言われている。
鍛冶屋・乞食の守護聖人。
祝日は9月1日。

Lands Endというパブ
このあたりが地の果てということか?

Tavern:居酒屋

Gladstone's Land(商人の館)
17世紀の商家グラッドストーン・ランド

家の前には豚と鶏
旧市街にある17世紀の高長屋住宅でナショナル・トラストが修復したものである。
Landはもともとは1550年に建てられたものだが、1617年にエジンバラの市民で裕福な商人のThomas Gledstanesによって購入して改築し1620年に完成した。 
 『豚とにわとり』の意味
この家が建てられた当時は汚物の排水設備なかった。決められた時間(夜間)にみんな一斉に汚物を路上にぶちまけた。これはナポレオンがパリ改造を命ずるまでパリの町で同様の状態だった。そのため、路上の汚物を踏まないためハイヒールが、においを消すため香水が誕生したという話もある。
このぶたとにわとりは捨てられた汚物を食べるために飼われていた。
すなわち、この家の前は清潔ですよというサインだった。
 

ウイリアム・ブロディ
(通称ディーコン・ブロディ)

ブロディを記念して名付けられたカフェ
ブロディはジキルとハイドのモデル
ウィリアム・ブロディ(1741 - 1788年)
通称ディーコンブロディで知られている。スコットランドの家具職人、取引ギルドの社長、エジンバラ市会議員だが、裏家業としてスリルを味わうためとギャンブルの資金のため強盗をやっていた。.カギ職人としても活躍し、セキュリティに詳しかった。取引先の家のカギの鑞型を密かにとり、カギを複製していた。強盗仲間が捕まってしまい、身の危険を感じ、ロンドンに逃亡、その後米国に渡るためオランダに逃げたところで逮捕された。1788年10月1日彼と仲間のスミスは、40,000人の観客の前でハイストリートのトールブース刑務所で絞首刑にされた。一説にはブロディは絞首刑時に細工をして生き延び、ロンドンに逃げたという話もある。
また、彼は『ジキルとハイド』のモデルだとも言われている。作者のスティーブンソンの父親はブロディに家具の製作を依頼している。
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エジンバラ市内 動画 
簡略スコットランドの歴史 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
・紀元前10世紀頃、大陸よりケルト系ピクト人が到来。
・紀元前43年よりローマ軍が侵入し、ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城などを築く。
・ローマ軍は、ピクト人との戦いに勝利したが、スコットランド全域を支配することは出来なかった。
・407年のローマ軍が撤退し、隣のアイルランド島より、ケルト系スコット人が到来。
・スコットランド北西部をスコット人、北東部をピクト人、南部をブリトン人が支配し、12世紀頃まで群雄割拠の時代が続く。
・1071年、ブリテン島南部イングランド王国を支配するウィリアム征服王が、北部のスコットランドへの侵攻を開始。
・両王家には婚姻関係も生まれ、しばしば和睦が図られるが、イングランドとスコットランドは長期にわたり抗争を繰り返す。
・1603年、スコットランドのステュアート朝のジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となり、イングランドと同君連合を結ぶ。
・1707年にイングランド王国と合同して、グレートブリテン王国:となる。
・1999年、スコットランド議会が設置された。
スコットランドの食べ物に関する雑学
○ショート・ブレッド(Shortbread)
カロリーメイトのアイデアのもとになったと言われるスコットランドの御菓子。
小麦粉、バター、砂糖、塩の4種類の材料のみで作られる。
赤いチェック柄のパッケージで製品化されているものが有名。一般的な形状のものは長方形で、表面に小さな窪みが並んでいる。紅茶と良く合うとされる。
〔short〕は、食感がサクサク、あるいはポロポロすると言う意味の形容詞で、〔bread〕は、いわゆるパンのことであるが、この2つの単語が合わさるとひとつの名詞となり、『バタークッキー』(油分のたくさん入った、分厚いもの)を指す
フリー百科事典Wikipedia〔詳細
 
カロリーメイトと形が似ている
○ ハギス (Haggis)
羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたスコットランドの伝統料理。
スコットランドでは一般的な食べ物で、既製品を肉屋で購入できる。
近年では動物の胃袋の代わりにビニールで包んだ商品や、缶詰などもあり、ベジタリアン用の野菜で作られたハギスも存在する。
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ハギスはスコットランドでは昔から存在すると信じられている架空の生物。
カモノハシのような、くちばしを持ち全身が毛で覆われて丸い形をした動物。
 

こんな形 フリー百科事典Wikipedia【詳細
 
エジンバラからヴィンダミア 引用:Google Map
 
宿泊したホテルHYDRO
内部はまるで迷路のようで階段や通路が複雑に入り組んでいる。

夕方のヴィンダミア湖(午後7時)
夕食はホテルのレストランで 

ローストビーフ?
これが『ロースト・ビーフ』?  
まるでハムステーキのようだった。
日本でローストビーフと言えば外側に焼け目をつけ、内部はレアーなのが相場と思っていたが、英国では中までしっかり火をいれるようだ。
 これがロースト・ビーフだろうが・・・
フリー百科事典Wikipedia【詳細

昔のホテルのイラスト、あまり変わっていない
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