夢のイギリス10日間
7月14日(月) 7日目
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7月14日(月) 9:30/ロンドンへ。
午後/ロンドン観光<約4時間30分>(貴重な収蔵品の数々が収められた◎大英博物館、△バッキンガム宮殿、△エリザベスタワー(旧ビッグベン)、ゴシック建築風の国会議事堂世界遺産△ウェストミンスター寺院)。

夕食は人気レストラン「インペリアルチャイナ」にて中華料理

19:30/ホテル着。
ノボテル ロンドン エクセル
Novotel London Exce

ホテルの電子キー

朝食
 
これだけ大きなホテルでも野菜サラダが出ていない

ドライブインのトイレで
 

朝食2.99ポンドから

West Cornwall Pasty
パスティはミートパイのようなもので、もともとはイングランド西部 Cornwall 州産 の肉と野菜を使ったもの言う。
英国で最初のファースト・フードとも言われている。
昔、鉱山労働者の妻が夫のために作っていたそうで、半月のような形でポケットにうまくおさまり、パイ生地を厚くして中身がまだ熱くても手で持てるようにしていた。
West Cornwall Pasty Company は1998 年に出来たまだ歴史の浅い会社である。
ロンドン市内に到着、さすがに観光客が多く、活気がある。 

ネルソン提督の像
ホレーショ・ネルソン(英: Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson KB, 1758 - 1805年
アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。
トラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破り、ナポレオンによる制海権獲得・英本土侵攻を阻止したが、自身は戦闘中に戦死した。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

St. Martin's Church

トラファルガー広場のライオン 
聖マーティン教会はトラファルガー広場の北東側にあり、18世紀頃にに建てられた。
この教会の地下には、Cafe in the Crypt(カフェ・イン・ザ・クリプト)というカフェがある。
そう言えばエジンバラの聖ジャイルズ教会の地下にもカフェがあった。教会も資金難のようだ。 
聖マルティヌス(英語でマーティン)は、ローマ帝国の属州パンノニア(現在のハンガリー)に生まれ、ローマ帝国での兵役に就いたのち、洗礼を受けた。
修道士となったマルティヌスはポワティエ郊外にガリア地方初の修道院を建て、さらにトゥールの司教となった。
兵士の頃、雪の中で凍えていた半裸の物乞いに、自らのマントを半分裂いて与えた話は有名である。
その夜、マルティヌスの夢の中に、半分のマントをまとったイエス・キリストが現れ、こう言ったといわれる。
「まだ受洗もしていないローマの兵士マルティヌスが、私にこのマントをくれた」。
この物乞いはイエス自身であったと言い伝えられている。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

聖マルティネスと乞食(エル・グレコ)
 
ナショナル・ギャラリー

サー・チャールズ・ジェームズ・ネーピア
(1782 - 1853)
サー・チャールズ・ジェームズ・ネーピアは大英帝国の将軍で英国陸軍のインド最高司令官
シンド州(現在のパキスタン)を征服したことで有名である。

英国議会とチャーチルの銅像

Central Hall Westminster
   
昼食はシルバー・クロスでフィッシュ アンド チップス
フィッシュ・アンド・チップス(英語: fish-and-chips)は、イギリスを代表する料理の一つ。
タラなどの白身魚のフライに、棒状のポテトフライを添えたもの。
イギリスではファーストフードとして親しまれ、長い歴史がある。 
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

フィシュ・アンド・チップス(毎日は食えない)
 
 
 
Silver Crossレストランの所在地 引用:Google Map
バッキンガム宮殿へ 

エリザベス女王の異質は右端の2階、時々窓から顔を出すことがあるそうです。

資金稼ぎのため王室一家が避暑に出かける留守に内部が公開
ビクトリア女王の記念碑 
ビクトリア女王記念碑はバッキンガム宮殿の正面でグリーン・パークの南側に位置している。ビクトリア女王の夫のアルバート公記念碑(1872年)が.建てられてから。1世紀後に彫刻家のトーマス・ブロックによって作られた。
 ビクトリア女王は「君臨すれども統治せず」という立憲君主制を貫いた女王でイギリス帝国を繁栄させ、その時代はヴィクトリア朝と称し、政治・経済、文化・技術面で優れた成果を上げた。また、欧州各国と姻戚関係を結び、ヨーロッパの祖母とも呼ばれている。

ビクトリア女王記念碑

てっぺんには黄金の勝利の女神 
ビクトリア女王(1819年-1901年)の記念碑
ビクトリア女王が在位した1837年から1901年頃はヴィクトリア朝といい、イギリスが最も繁栄した黄金時代。 
台座部分の彫像 

ビクトリア女王

慈悲の寓意像
18フィートのポートランド石で作られたビクトリア女王の大きな彫像はバッキンガム宮殿に顔を向け、大きなペディメントに座っている。女王は礼服を身につけ、手にはとオーブ(宝珠)と笏(しゃく)を持っている。 ビクトリア女王の像の反対側(宮殿に背を向けている)には休息している3人の乳飲み子を抱く母の像、これは慈悲とも呼ばれている。
左の画像で、左側に真実の天使、右側に正義の天使の寓意像が置かれている。
真実の天使は鏡を持ち蛇を踏みつぶし、真実の書き物を持っている女性と智天使(cherb)を従えている。 
正義の天使はかぶとと剣を持ち、智天使(cherb)を従え、足下で泣いている裸の女性を助けている。
 ビクトリア女王記念碑の周りには羽の生えたライオンを従えた製造、農業、平和、進歩の4つの寓意像が配置されている。
いづれもニュージーランドから寄贈されたものである。
4頭のライオンはロンドン動物園のライオンがモデルとなっている。

製造(Manufacture)の寓意像

農業(Agriculture)の寓意像
製造の寓意像は、筋肉質のひげを生やしたタフな職人で、エプロンを身に着け、木槌を持っている。 農業の寓意像は女性で乳搾りの服を身につけ、大きなトウモロコシの束と小さな鎌を持っている。
 大英博物館
 大英博物館エントランス、ルーブルのものまねか?

博物館正面

中庭 グレートコート

これがかの有名なロゼッタストーン
世界最大の博物館のひとつで、古今東西の美術品や書籍や略奪品など約800万点が収蔵されている(うち常設展示されているのは約15万点)。
収蔵品は美術品や書籍のほかに、考古学的な遺物・標本・硬貨やオルゴールなどの工芸品、世界各地の民族誌資料など多岐に渡る。
イギリス自身のものも所蔵・展示されている。
余りに多岐にわたることから、常設展示だけでも一日で全てを見ることはほぼ不可能である。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 

メソポタミアの狛犬「マッソス」、アッシリアの宮殿より出土
紀元前865年頃
アッシリアの王のライオン狩り
競技場にライオンを放して、2輪馬車に乗って矢を放ってライオン狩りをする。

帽子をかぶっているのがアッシリアの王様
 
ライオン狩りは王の神聖な儀式だった

ネレイディス・モニュメント
古代ギリシャの神殿ではなく、リュキア人のクサントス(現在のトルコ領)の君主でアルビナスという人のお墓
紀元前390年〜380年頃に作られた。 
ネレイデス・モニュメントとよばれるのは神殿正面に飾られている像が海神ネレウスの娘だからだそうだ。
パルテノン神殿の彫刻群 
パルテノン・スキャンダル
1800年、イギリスの外交官であった第7代エルギン伯爵トマス・ブルース(8代伯の父)(1766-1841)が、オスマン帝国駐在の特命全権大使としてイスタンブルに赴任すると、このパルテノン神殿の調査を始めた(当時のギリシアはオスマン帝国領である)。
神殿彫刻に関心を抱いたエルギン伯は、当時のスルタン・セリム3世から許可を得て、多くの彫刻を切り取ってイギリスへ持ち帰った。
エルギン・マーブルは、パルテノン神殿に彫り込まれていた諸彫刻のことを指す。
エルギン・マーブルがイギリスで公開されると、多くの人々の古代ギリシアへの憧憬を高めさせた。
一方エルギン伯の「略奪」行為を非難する声も大きく、批判が激しくなったことと、長年に渡る彫刻群の輸送で巨額の負債を抱えたため、エルギン伯は1816年にイギリス政府にエルギン・マーブルを寄贈、その後大英博物館に展示されて現在に至る。
1970年代になると、ギリシア政府はイギリスにエルギン・マーブルの返還要求を強めた。
しかしながら、両国の見解はすれ違ったままである。
現在、パルテノン神殿に残っていた彫刻の多くを展示しているアクロポリス博物館では、やむを得ずエルギン・マーブルの精巧な新しいレプリカをオリジナルの彫刻と共に展示している。
エルギン・マーブルを含む古代ギリシャの彫刻はもともと白い大理石の彫刻だったのではなく、極彩色に着色されていたことが判明した。
しかし、1930年に大英図書館職員らに無断で行われた「清掃(cleaning)」作業で表面を強く研磨したため、当時の色を知る痕跡が失われてしまったことが1939年にBBCによって報道された。
引用:引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
濃紺の壺の表面を乳白色のガラスで覆って、さらにその上にカメオを貼り付けた。
紀元前30〜20年頃に作られたと推察されている。
1582年にイタリアのアッピア街道の遺跡で発見された。
それが1785年にポートランド公爵夫人の手に渡り、「ポートランドの壺」と言われるようになった。
 

うずくまるアフロディーテ
紀元2世紀頃(ローマ時代)
アプロディーテーは、愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱である。
美において誇り高く、パリスによる三美神の審判で、最高の美神として選ばれている。また、戦の女神としての側面も持つ。
元来は、古代オリエントや小アジアの豊穣の植物神・植物を司る精霊・地母神であったと考えられる。
アプロディーテーは、生殖と豊穣、すなわち春の女神でもあった。 
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

ラムセスU世(紀元前1270年頃)
【大英博物館の歴史】
英国の医師で収集家のハンス スローンは、美術品、動植物の標本、書籍など膨大な資料を収集していた。
彼は死後にそのコレクションを一般公開する施設を作ることを遺言していた。
モンタギュー ハウスという邸宅を買い取り、彼の資料を1759年に大英博物館として開館した。
無料で一般公開される公共施設としては世界で初めてものだった。
この邸宅では狭くて展示には対応できなくなり、同じ場所に英国の建築家ロバート スマークが新博物館の建設を開始、1847年に完成した正面玄関(ファサード)の部分がもっとも有名である。
正面のファサードは44本のイオニア式円柱が並ぶギリシア様式で作られている。
しかし、英国にはギリシア・ローマ様式はマッチしないという意見もある。

ネコのミイラ

ジンジャーというミイラ(Gleibeinnoミイラ)
ものすごく乾燥した砂漠の砂の中に埋葬されたため、水分が蒸発し自然にミイラになった。 
このミイラはエジプトでミイラ作りが行われる以前の、紀元前3400年頃のものである。
残った髪の毛が赤いことより、ニックネームをジンジャー(しょうが色)と呼ばれる。
CT検査の結果、肩の部分を後ろから刺されて死んだことが分かった。
 

ブリティッシュ・スカル Crystal Skull

ユージン・ボバン
Eugene Boban
アステカの遺跡から発見されたという水晶の「頭蓋骨」だが、まっかな偽物だった。
古代の不思議な治癒能力パワーがあるということで世界中の話題となった。
スミソニアン博物館と大英博物館の調査で近代的な工具で加工された痕跡があり、ヨーロッパで19世紀後半に製作されたことが分かった。
また含有物の調査により水晶はマダガスカル産であることも分かっている。
このどくろはパリで骨董品店を経営していたフランス人古物商ユージン・ボバンが1881年に店で3500フランで売りに出していたが売れず、ニューヨークの宝石商ティファニーに950ドルで売り渡した。
それをティファニーが1898年に大英博物館に売却したものである。  

大英博物館 動画 。
博物館見学の後は、ロンドンでも有名な繁華街のピカデリーサーカスへ向かう 

ピカデリーサーカスのパノラマ画像
この場所は17世紀頃にはポルトガル通りと呼ばれていた。
そこにロバート・ベーカーと言う人が服店を開業し、その店の建物をピカデリー・ホールと名付けた。
18世紀頃に人々はピカデリー・ホールの前の通りをピカデリーと呼ぶようになった。

後の建物はRipley's Believe it or Not

エロスの像(実は弟のアンテロス)
ピカデリー・サーカスのシンボル
シャフツベリー伯記念噴水とエロスの像 
第7代シャフツベリー伯(イギリスの政治家で社会改良運動家)の活動を記念して建造された噴水で1892年から93年にかけて作られた。アルフレッド・ギルバートによって設計された。
噴水の上には翼を広げた天使の像が置かれている。この像をギリシャ神話の愛の神「エロス」と言われているが、設計者のギルバートはエロスの双子の弟のアンテロスとしている。
デザインが裸の像であるため建造当時、裸の像は下品で公共施設にふさわしくないと言われて物議を起こした。世界で初めてアルミニウムで作られた像である。
 ヘリオスの4頭の青銅馬
1992年に彫刻家ルディ・ウェラーによって作られた。
ヘーリオスは、ギリシア神話の太陽神である。その名はギリシア語で「太陽」の意である。その象徴となる聖鳥は雄鶏。
太陽は天空を翔けるヘーリオス神の4頭立て馬車であると古代ギリシア人は信じていた。日本語では長母音を省略してヘリオスとも表記する。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 

リプリーさんの奇妙な博物館
Ripley's Believe it or Not
ロバート・リプリーが世界中から集めた不思議グッズを展示しているミュージアム。
フランチャイズで世界11ヶ国に存在する。(タイムズスクエアが有名)
現在ではさらにいろんなものを収集し、本なども発売している。
 
後ろの建物はリリーホワイッLilly Whites
 
リリーホワイッはピカデリー・サーカスのエロスの像の前にあるスポーツ用品店である。
ヨーロッパで一番の品揃えと格安価格で人気があり、国外からの買い物客でいっぱい。 
Lilly Whites
ピカデリー・サーカスのエロスの像の前にある巨大スポーツ用品店

引用:Google Map

ピカデリーサーカス付近拡大
引用:Google Map

リバティ百貨店Liberty
1875年、アーサー・ラセンビィ・リバティ (Arthur Lasenby Liberty) によって、日本や東洋の装飾品、織物、その他様々な芸術工芸品を販売する店として開業した。
後にリバティ社はその織物によって特に知られるようになる。
初めの頃のリバティ社は様々なスタイルの商品から人気のあるものを折衷的に扱っていたが、根本的に方向を転換し、アール・ヌーヴォーや1890年代の耽美主義に密接な様式の商品を追求し続けることになる。
イタリアではアール・ヌーヴォーが「スタイル・リバティ」として知られるようになるなど、リバティ社の名前はその美術様式と同じ意味を持つまでになった。 
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
内部はハリーポッター的な雰囲気がする 

リバティは花柄模様のデザインを売りにしている
さすがに値段はちょっと高い、高級百貨店
大阪で言えば昔の三越百貨店の雰囲気、ここでアフタヌーン・ティーのセットを食べるとなんだが英国に行ったような気分になりました。しかし、こんなリバティ百貨店がまだ営業が続けられるのが不思議と言えば、不思議・・・。
 
ピカデリーサーカス付近の動画
 夕食は中華街のImperial China London(中国城 大酒家)で
やっとチャーハンが食べられる。
どこに旅行しても中華料理が一番ましであるが、材料が安全かどうか少し不安。
Imperial China London 中国城 大酒家 
まあ普通の並程度の中華料理でした、ジャスミン茶が飲めたので少し落ち着きました 
 夕食後、迎えのバスの所までぶらぶら歩く

韓国料理と日本料理がごちゃまぜ
中華街に和食とは・・・

鍼灸の店が目立つ

散髪屋


ANGUSというステーキショップ

リブステーキが18.5ポンド
 
このレストランは1960年にアメリカからの観光客向けに開業、32店舗まで拡大したが、2001年の狂牛病騒ぎで業績不振となりかなりの店を閉鎖した。 

カフェ・ロイヤル(5つ星ホテル)

ハムリーズ Hamleys 
フランスのワイン商ダニエル・ニコラス・テベノン(Daniel Nicholas Thevenon)は破産して債務者から逃れるため妻とともにロンドンに逃れ、1865年にリージェント・ストリートにカフェロイヤルを開業した。 初めてフランス料理をイギリスに導入し、評判となった。古くはコナンドイル、現代ではエリザベス・テイラーとリチャード・バートンなどの有名人が訪れている。 2008年12月に閉店し、2012年に改装され、ホテルとしてオープンした。 ロンドンのリージェント・ストリートにある世界最大級の創業1760年のおもちゃ屋。
現エリザベス女王がお祖母さんからハムリーズのおもちゃを買い、女王は自分の子供たちにもハムリーズのおもちゃを買ったという店の宣伝がある。

アポロ・ビクター・シアターApollo Victoria Theatre
のチケット販売
 
Apollo Victorua Theatre
 道を歩いていると変な日本料理の店の看板が目に付く

 ラーメン屋 昇竜

Japanese noodleとはうどんか? 
昇竜ラーメンは博多出身のシェフがやっている豚骨ラーメンの店だそうです。 
 
クル・クル? 回転寿司か?
 
 
クリミア記念碑

ナイチンゲールの像
Florence Nightingal

シドニー・ハーバート
Sidney Herbert

クリミア戦争記念碑 
 
i引用:フリー百科事典Wikipedia 
フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820 - 1910年8)
イギリスの看護師、社会起業家、統計学者、看護教育学者。近代看護教育の母。病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
シドニー・ハーバート(Sidney Herbert, 1st Baron Herbert of Lea, PC、1810 - 1861年)
イギリスの政治家、貴族。
保守党、ピール派、自由党と党派を移しながら、閣僚職を歴任した。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
クリミア戦争(Crimean War)
フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍及びサルデーニャとロシアが戦い、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争であった。日本では汎スラヴ主義を掲げるロシアのイデオロギーや南下政策がもたらした対立の一環であるとの見方が定着している。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

BRASSERIE ZEDEL

ピカデリー劇場 PICCADILLY THEATRE
ロンドンの本格的フレンチレストランでもともとはホテルのダンスフロアーだった。
200席ある比較的大きなレストランで、内部は当時のアールデコ調のインテリアがそのままの残っている。
ジャージー・ボーイズ(Jersey Boys ) はボブ・ゴーディオ作曲、ボブ・クリュー作詞、マーシャル・ブリックマンおよびリック・エリス脚本によるジュークボックス・ミュージカル。1960年代、ロックンロール・グループのフォー・シーズンズの結成、成功、解散を脚色したドキュメンタリー・スタイルを採っている。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)はロンドンのウェストミンスター区ウエスト・エンドにある広場の名称である。
「サーカス」は「通りの合流点における円形の空き地」の意味である。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

プリンス オブ ウェールズ劇場
 この劇場は、1884年に開業し、現在も上演が行われている。1934年に内部が改装され新しくモダンになった。座席数は160ある。旅行時は『The Book Of Mormonモルモンの書』というミュージカル上演中
ミュージカルの内容はモルモン教の布教のためにウガンダに派遣される、2人の青年のドタバタ・コメディ・ミュージカルということらしいです。
題名の『The Book of Mormon』とは、モルモン教の聖典「モルモン書」のこと。
 夕暮れのザ・シャード
 
夕暮れのタワーブリッジ
今晩のホテルはノボテル ロンドン エクセル(Novotel London Excel)
ノボテルは以前にドイツで泊まったことのあるホテル・チェーンのはず。
ロンドン中心部から離れているが、大きめのビジネスホテル、部屋は広くて快適。
(1998年に個人旅行でロンドン中心部で泊まったホテルは3つ星だが、とんでもないぼろホテルだった)
 
ノボテル ロンドン エクセル(少し中心部から遠い) 引用:Google Map
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