7月15日(火) 8日目 |
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ホテルから見える景色、ドックだったのを改装して家が建てられている |
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今日は終日自由行動、オプションには参加せずロンドンの市内を歩いてみることにした。 しかし、このホテルのある場所は地下鉄の終点、大阪で言えば南港のようなところ。 ホテルの設備はいいいが、中心部まではかなり時間がかかる。 |
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時間があるので近くのコンビニによってから、エミレーツ・ラインというゴンドラに乗ってみることにしました。 | |||||||||
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テムズ川の両岸を結ぶロープ・ウェイは2012年夏のロンドン五輪で、テムズ川の両側にある施設をどう結ぶかとという問題だった。 そのために作られたのがこのロープウェイ「エミレーツ・エア・ライン」 エミレーツ航空が出資、運営してくれることになった。 そのため、このロープウェイの名称が「エミレーツ・エア・ライン」となった。 オリンピック後も使用されています。 エミレーツとしては大きな宣伝効果を期待しているようです。 |
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ヨーロッパ地域開発基金の出資の一部によって行われたロンドンのユニークで画期的な再生計画です。 | |||||||||
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ミレニアム・ドーム(Millennium Dome) イングランドのロンドン南東部グリニッジ半島にある世界最大のドームの旧称。 現在は複合施設「The O2」となっている。 ドームは12本の黄色いマストからケーブルによって吊られている。設計者はリチャード・ロジャース。 イギリスのミレニアム記念事業の一環で「Millennium Commission」が開発の支援をしており、2000年1月1日に「ミレニアム・ドーム」という名称で一般公開された。 このドームは当初、展覧会「ミレニアム・エクスペリエンス」の開催を主な目的としていたが、プロジェクトには収益の悪化など相当な問題があり、同年12月31日、展覧会終了と同時に一時閉鎖となった。 2005年にアンシュッツ・エンターテイメント・グループが命名権を取得、投資プログラムの一環で命名権は同年、イギリスの携帯電話会社O2に売却して当ドームの再開発を行い、大規模娯楽施設「The O2」として2007年6月23日に再開業している。 施設内ではジェム・ファイナーが作曲した「ロングプレイヤー」(Longplayer)という、「演奏時間が1000年かかる曲」が2000年1月1日に演奏を開始した。 上述のドーム閉鎖中および「The O2」再開業後も継続されており、人類が存続していれば、2999年12月31日に終了する予定である。 フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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ドックランズ・ライト・レイルウェイ (Docklands Light Railway: DLR) ロンドン東部ドックランズを走るライトメトロまたはライトレールの形態の鉄道。 ロンドン中心部と、カナリー・ワーフ、ロンドン・シティ空港、エクセル・エキシビション・センターなどの東部の主要箇所を結んでおり、年間8千万人以上の乗客を輸送している。 鉄輪式の鉄道で小型車両を用いた自動運転の高架鉄道(地下区間も持つ)であり、非常時を除き無人運転で運行されている。 ゆりかもめなどに並び、自動運転技術の進んだ世界で有数の路線である。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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それでは、ウェスト・ミンスターに向け出発 | |||||||||
ホテルからウェストミンスター寺院へ地下鉄で 引用:Google Map |
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トムソン・ロイター(Thomson Reuters) アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークに本社を置く国際的な大手情報企業である。カナダのウッドブリッジカンパニー傘下。 カナダに本拠を置く大手情報サービス企業であるトムソンがイギリスに本拠を置く大手通信社のロイターを買収することにより、2008年4月17日に設立された。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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ブーディカ(Boudica)(生年不詳 ? 60年/61年?) 現在のイギリス、東ブリタンニア、ノーフォーク地域を治めていたPケルト言語圏域のケルト人イケニ族の女王である。 夫プラスタグス王の死に乗じて王国を蚕食し、あまつさえ彼女と娘たちを辱めたローマ帝国の侵略軍に対し、数多くの部族を纏め上げ大規模な反乱を起こした故事で知られている。 ローマ皇帝ネロは軍の撤退を決断したが、最終的にブーディカはワトリング街道の戦いでスエトニウスの戦略の前に敗れた。 ビクトリア朝の時代には当時の女王ヴィクトリアと同じ意味を有する名を持つ伝説の女王としてブーディカの伝記は広く知れ渡った。それ以降、ブーディカはイギリスの重要な文化的象徴として認知されている。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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ビッグ・ベン(Big Ben) イギリスの首都ロンドンにあるウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計台 の大時鐘の愛称。 在では、転じて『時計台全体』・『大時計そのもの』の名称として使われている。 時計台の正式名称は「クロック・タワー」 (Clock Tower)であったが、エリザベス2世の在位60周年を記念して「エリザベス・タワー」(Elizabeth Tower)に改称されることになった. 文字盤の下には金文字のラテン語で "DOMINE SALVAM FAC REGINAM NOSTRAM VICTORIAM PRIMAM" (主よ、我らが女王ヴィクトリアに御加護を)と刻まれている。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 どうしてビッグ・ベンと呼ばれるようになったのかについては、時計塔建設の工事責任者で国会議員のベンジャミン・ホール卿の名をとった、もう1つは当時人気のあったボクサー、ベン・カウントにちなんだとする説である。 ビッグベンは時計塔を指すのではなく、時計塔の中にある鐘を指す。 |
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ロンドン・アイ(London Eye) イギリス・ロンドンにある観覧車。 ミレニアム記念事業により、1999年末に開業した。 直径135m、カプセル1個当たり定員(25人)は共に開業当時世界一であったが、2008年3月1日から営業開始したシンガポール・フライヤー(直径150メートル、カプセル1個当たり定員28人)にその座を奪われた。 なお、開業に際しては観覧車の駆動方式に関する特許が切れた直後に営業を開始する(特許に抵触する物を作っても営利目的で稼動させなければ抵触しない)、という、法の穴を付いた手段をとっている 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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Golden Jubilee Bridege ゴールデンジュビリー橋 |
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エリザベス女王の在位50周年を記念し、ゴールデン・ジュビリー(50年記念)と名付けられた 斜めの塔から張られたケーブルで橋桁を吊っている非常に複雑な構造をしている。 詳しくはここをクリック(英語版です |
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昼食にテイク・アウトで中で食べるコンビニのようなところに入りました | |||||||||
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日本食がブームのようで日本食のチェーンレストランがかなり目に付きました。 | |||||||||
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ゴールデンジュビリー橋を渡ってEMBANKMENTという地下鉄駅で地下鉄に乗り、セントポール大聖堂に向かった | |||||||||
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引用:Google Map |
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セント・ポール大聖堂(もしくは聖パウロ大聖堂、St Paul's Cathedral) ロンドンの金融街、シティ・オブ・ロンドンにある大聖堂である。 イングランド国教会ロンドン教区の主教座聖堂で、聖パウロを記念する。 1666年のロンドン大火の後、建築家クリストファー・レンにより再建され、1710年に完成した。 再建されたセント・ポール大聖堂はバロック建築に分類され、大ドーム及び西側正面にある2つの塔の特徴を持ち、高さ約111m、幅約74m、奥行き約157mである。 地下の納骨堂には、セント・ポール大聖堂の再建者であるクリストファー・レンのほか、アレクサンダー・フレミング、ジョン・エヴァレット・ミレー、ホレーショ・ネルソンといった著名人が眠る。 またウィンストン・チャーチルの葬儀はエリザベス女王臨席のもと、セント・ポール大聖堂にて行われた。 1981年にはチャールズ王太子及びダイアナ元妃の結婚式が行われた場所としても知られる。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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ロンドンアイに乗れなかったので、 セントポール寺院の屋上からロンドン市街を望む | |||||||||
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ザ・シャード(The Shard)、またはシャード・ロンドン・ブリッジ(Shard London Bridge) イギリスの首都ロンドンのロンドン・ブリッジ駅の南西側に建設中の超高層ビル。 2008年9月に着工、2012年7月5日に外構が竣工した。 地上87階建て、尖塔高310m。EUで最も高いビルである。 通称ロンドン・ブリッジ・タワー(london Bridge Tower)とも呼ばれる。 また、タワーに隣接して、17階建てのザ・プレイス(The Place)又はロンドン・ブリッジ・プレイス(London Bridge Place)と呼ばれるオフィスビルも建設予定である。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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パタノスター広場再開発記念碑 ロンドン証券取引所は2004年7月、スレッドーニードル通りからセント・ポール大聖堂のすぐそばであるパターノスタースクエアへ移転。 2003年に三菱地所がパタノスタースクエアの再開発事業に参入している。 再開発された広場に高さ23mのセメントで作られたパタノスター広場記念碑がある。 先端部には金箔で覆われた黄金の羽がデザインされている。夜には光ファイバ照明によって照らされる。 記念碑は建築家ホイットフィールド·パートナーズによって設計され、広場の下から道路用の換気シャフトとしても機能している。てっぺんの形から「パイナップル」と呼ばれている。 |
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三菱地所のCM |
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セントポール大聖堂とミレニアム・ブリッジ 動画 |
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大聖堂を出てミレニアム・ブリッジを渡って対岸に向かう | |||||||||
ミレニアム・ブリッジ付近の地図 |
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ロンドン大空襲(Blitz)時の消防士の活躍を描いたブロンズ像でセントポール大聖堂からミレニアム・ブリッジに通じる道路に置かれている。 もともとこの記念碑はCyril Demarneの構想に基づき、消防士記念公益信託によって1990年に製作を依頼されたものであった。 この像はJohn W. Millsによって第二次世界大戦時のロンドン大空襲(57日間の夜間爆撃)の火災に対して勇敢に対処した人々へのオマージュとして彫刻された。 1991年5月4日にエリザベス女王の母が戦争中の消防士の活躍の記念碑として追悼した。 1998年に第二次世界大戦で亡くなった消防士、英国で職務中に亡くなった消防士を追悼する国立消防記念碑に決められ、Old Change Courtから現在の場所に移された。 亡くなった消防士の名前を追加するため台座が1mずつ、上昇している |
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セントポール大聖堂から地下鉄のロンドンブリッジ駅まで徒歩で |
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ロンドン・ミレニアム・フットブリッジ(London Millennium Footbridge) ミレニアム・ブリッジの愛称で親しまれている、ロンドンのテムズ川にかかる歩道橋。2000年6月に完成した。 歩道橋はミレニアム記念事業にひとつとして1996年にサザーク議会によるコンペの結果、アラップ、フォスター・アンド・パートナーズ、アンソニー・カロによる設計案が当選した。 2000年6月10日に開通したものの大きな横揺れの発生(歩行者が原因)により3日後に閉鎖、2002年2月22日に再開通となった。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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このパブは800年以上の歴史があるとされている。 ミシュランの旅行ガイドでは、1666年のロンドン大火で消失し、1676年に再建されたと書かれている。 別の本では最初に建てられたのは1770年と書かれている。 パブの後ろがこのパブが運営するするアンカー醸造所の建物がある。 |
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ゴールデン・ハインド号 |
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ウィンチェスター宮殿 ウィンチェスター(イングランド南部)の司教のロンドンのタウンハウスで、十二世紀に造られた宮殿である。 ウィンチェスターの司教は大きな荘園を持ち、伝統的に財務担当として王に仕え、強大な権力を持っていた ウィンチェスター市はイングランドのサクソン王国の首都であった。 司教の多くは、同様に、ロンドンにランベス宮殿、カンタベリー大主教の住居などの宮殿を建てている。 宮殿は17世紀には借家や倉庫として使われていたが、1814年に火災で大部分が破壊された。 14世紀にホールが拡張され、バラ窓も造られた。 宮殿の大ホール(1136年に建造)の大部分、バラ窓を持つ西の切妻は19世紀の火災で分からなくなっていたが、20世紀の再開発で見ることが出来るようになった。 大ホールの下はワイン貯蔵庫になっており、テームズ川に直接行き来がきるようになってiいた。 宮殿は2つに分かれており、片方の建物には刑務所、醸造所や肉屋があった。 宮殿の近くには、庭園、テニスコート、ボーリング場もあった。 イングランド内戦(チャールズ 1 世と国会との争い.)中にトーマス・オッジ卿が投獄されていた。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 ※チャールズ1世は王権神授説を信奉し、議会と対立した。1628年、議会に「権利の請願」が提出され、課税には議会の承認を得ることを求められた。これに対しチャールズは、一旦は請願受託の署名を行うが、翌年議会を解散、議会の指導者を投獄し、専制政治を行った。 |
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クリンク刑務所博物館はクリンク刑務所のもとあった場所に建てられている。 1144年頃には英国で最も古く、最も悪名高い刑務所の一つであった。 600年以上にわたって債務者、異端者、酔っぱらい、遊女など多くの罪人が数収容された。 |
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サザーク大聖堂は、ロンドン橋の近くに位置し、キリストと聖マリアOverieを祀っている。 サザークの聖公会の教区の母教会であり。 この大聖堂は、1000年以上、キリスト教の礼拝所となっているが、聖堂のうちひとつは1905年に造られた物である。 現在の建物は、1220年と1420年の間にゴシック様式で建てられたものである。 その南側にバラマーケットBorough Marketがあり、ガラス製作のWorshipful 会社のホールが入っている。 |
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Brough Market バラ マーケット 食品市場として有名で屋台もたくさん出ている |
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そろそろ、ホテルへ戻ろうと思ったが、どこかで夕食を摂ることにした。 ピザが食べたくなった。 PIZZA EXPRESSという店が見えたので入ってみた。 |
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ベルファスト (HMS Belfast, C35) イギリス海軍のタウン級軽巡洋艦。艦名は北アイルランドの首府ベルファストに因む。 退役後の1971年に陳列艦として大英帝国戦争博物館分館となった。 引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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ロンドンブリッジ駅から地下鉄に乗り、Cannning TownでDRLに乗り換える。 | |||||||||
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Canning TownでDLRに乗り換え | |||||||||
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なんとか迷わずにホテルにたどりつく | |||||||||
テムズ川周辺 動画 |
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