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ずっこけフランスドライブ旅行 
2002.9.13
フージェール Fougeres
モンサン・ミッシェル Mont St. Michel
サン・マロ Saint Malo

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ホテルを午前8時に出発し、カーンを経由してサン・マロに向かった。 
 
(fu0.jpg)
 途中で道を間違えてしまったのか標識がフージェールとなっている。
翌日に行くつもりだった場所なので引き返すのもじゃまくさい、そのままフージェールに向かう。城の脇の駐車場に車を止め見物する。
フランスに来て初めて見る城だが、ヨーロッパの他の国の城とどこが違うのかよく分からない。
とにかく日本の城と違って石でくみ上げているので何百年となく朽ち果てず残っているのだろう。

内部はあまり見るものはない(fu1.jpg)
 
右向こうに見えるのが駐車場、右手前にレストランとその駐車場(fu2.jpg)
 
城壁からフージェールの町を望む。左手がレストラン。(fu3.jpg)

お城の中にある水車(fu4.jpg)
 
 ここで、拾い読みのうんちくを述べる・・・
フージェール城はレンヌの北東48kmにある。ブルターニュ公国の国境付近の城塞の一つである。
この城の厚さ3mの城壁の堅牢さは西ヨーロッパで一番とのことだ。
バルザックの『ふくろう党』の舞台となったところだそうだ。(文学に疎いので読んだことはない)

フランス史を読むと昔のフランスは日本の戦国時代によく似ている。
このブルターニュ公国も1491年女性侯爵アンヌ・ド・ブルターニュがフランス王と結婚してブルターニュ公国はフランスに併合されてしまった。
ブルターニュ公国は9世紀では最初の統一国家でその後はイギリスとフランスの間に挟まれながら独立国家として歩み、海運国として繁栄した。
 フージェールを後にモンサンミッシェルに向かう、今度は標識通りに進む、今度は間違いなく行き着いた。
モンサンミッシェルが左手前方に見えてきた。
なるほど写真の通り、岩山の上に教会の尖塔が見える。ある意味では異様な光景である。
2車線の道路を進む。
途中で今夜の泊まりのルレ・サン・ミッシェルが見えてきた。
   
 右が一般車、左が観光バスの駐車場になっている。十分に車を止める駐車スペースがある。有料でした。(mm1.jpg)  海岸は遠浅で砂州になっている。海岸線に二車線の道路が走っている。左側の一部が牧草地になっており、羊が道路を横断する。そのため車が停車して渋滞していた。(mm2.jpg)
 来るまではモンサン・ミッシェルの対岸には町でもあるのだろうと思っていたが。
ホテルが4〜5軒ほどしかない。上記の画像の通り、閑散とした場所だ。
モンサン・ミッシェルがなければ特に景色もよくないし、なにも取り柄のない場所だ。
モンサンミッシェルの駐車場に車を置き、モンサンミッシェル内に入る、狭い石畳の坂道を人をかき分けながら進む。
階段を上ると僧院への入り口が見えてくる。

白人の腹の出たおばさんが足を引きずりながら登っている。
なぜあんなに太ってしまうのか、若い人はスマートなのに・・・。
肥えているのに足が細いあれでは体重が支えられないだろうなと、つまらないことを考えてしまった。
モンサンミッシェルとは綴りMont saint Michelをみれば分かるが、聖ミカエルの山という意味。モーパッサンが『花崗岩の宝石』と言ったそうだ。 

Grande rueグランド・リュー通り
モンサンミッシェル内右手があの有名なオムレツ屋のはず。評判ほどおいしくないとのことだが・・腹がへっていなので食べなかった。(mm3.jpg)

聖ミカエルのレプリカ像だろう
右手に剣、左手に最後の審判で天国と地獄を分ける魂の秤を持つち、足で悪魔を踏みつけている。(mm8.jpg)
この塔のてっぺんに聖ミカエルの像が立っている。(mm4.jpg)

僧院の回廊、127本の石柱が並んでいる。
(mm5.jpg)

(mm6.jpg)

(mm7.jpg)
 教会内部は迷路のようで、狭いと思ったが以外に広い、上下の何層かに分かれているため以外と広い空間を確保している。
ぐるぐる回ってやっと出口にたどりつき、車にもどり今夜のホテルにチェックインした。
 
朝靄の中のモンサンミッシェル(mm9.jpg)
 
ホテルの食堂から見える朝のモンサンミッシェル(mm10.jpg)
モンサンミッシェルからサンマロまでは快調に飛ばして、午後5時頃に到着した、港町で城壁に囲まれている。
狭い門を入って石畳の道路を走る。内部は第二次世界大戦でドイツ軍との戦闘で破壊されたそうだが、完全に修復され、まったくその傷跡はない。
遠くから全景を見る方がきれいだ。 

 サンマロという地名は6世紀にキリスト教の布教に訪れた修道士サンマロに由来する。
サンマロ港は17〜18世紀にはフランス国王公認の海賊(コルセール)の根拠地であったとのことである。

狭い道路の片方に駐車してよいことになっている。
駐車スペースを見つけられなかったので仕方なく城壁の外の駐車場に車を止め、まずは城壁の上を歩く、海は引き潮で小さな岩礁が3―4ヶ見え、なかなか景色がよい。

カルチエ(カナダを見つけて、フランスの植民地にした人だそうだ)の銅像を見て、夕食を摂ることにし、人のたくさん入っていそうなレストランに入った。
話の種にムール貝を注文した。ボールに山盛り出てきた。
ワインで蒸しただけだが、少し塩味が利いてうまかった。
残念ながら車で来たのでワインは飲めなかった。
仕方がないのでペリエで我慢した。  
 

サンマロの市庁舎と博物館で城壁内にある。(sm1.jpg)

城壁から内部を見る
この城壁は12世紀頃から作り始めたものだそうだ。第二次大戦中もこ城壁だけは戦火を免れたとのことである。城壁の前の海は引き潮で遠浅の砂浜が広がっている。
絵はがきを見ると嵐の時は城壁を越えて波が打ち寄せている。(sm2.jpg)

グラン・ベ島

シャトーブリアン広場、正面の建物はシャトーブリアンホテル
 サンマロの海岸にある島で、この付近の潮の干満の差が著しく、引き潮の時は島は陸地とつながってしまう。
この島にはサン・マロ出身の作家シャトーブリアンの墓があるとのことである。
シャトー・ブリアンホテルはシャトーブリアンの生家で現在はホテルになっている。
彼は1768年にここサンマロで生まれたロマン派文学者で名文家として有名とのこと。
代表作は『墓のかなたの記』(どんな内容か知らない・・興味のある方は読んでください)
 また彼は外務大臣、駐英大使として活躍した有名な人のようです。
有名なフランス料理牛のフィレ肉のステーキ『シャトーブリアン』彼のおかかえコックが考え出した料理だそうです。 

ジャック・カルチエの銅像
シャトーブリアン 夜景
カナダを見つけフランス領にした人物。
彼はサンマロの港を出てカナダのセントローレンス川を見つけた。
海の向こうにイギリスがある。(sm3.jpg)
サンマロで夕食を摂ったレストランシャトーブリアン。
上部はホテルになっている。(sm4.jpg)
帰りはとんでもないことに・・・・・(教訓:帰り道は必ず確認しておこう!) 
外は少し暗くなりかけたのでモンサンミッシェルに引き返すことした。

もと来た道を引き返したつもりだったが暗くなると方向感覚がはっきりしなくなる。
分岐点を間違えレンヌの方向に進んでしまった。

途中でUターンしようとしたが、出来るところがない。
へたに道をそれるとまた道が分からなくなる、仕方がないのでレンヌまで走った。

周回道路に入ってフージェール、モンサンミシェルの標識がありそれに向かって進む。
真っ暗の中を140kmで突っ走る。

途中で標識がなくなりどっちに行ったらよいか分からない、午後10時・・・。
ドライブインがあった、そこに駐車していた人に地図を見せて尋ねる。
あっちだと教えてくれた。当初走っていく道とはかなり違っていた

あとで地図で確認したら、迷走もいいところだ。
夜間の走行の難しさを痛感した。(sm5.jpg)
まあ間違いないだろうと細い道路を進む。
T字路にぶつかった。ホテルの少し手前の道に出てきた。

午後11時半、ホテルのドアが閉まっている。
どうしようかと思っていたら、中でアメリカ人の団体が食堂で騒いでいた、その中の何人かがホールに出てきた。
中の何人かが気づき、ドアを開けてくれた。
やっとホテルにたどり着いてほっとしてどっと疲れてしまった。

夜景のモンサンミッシェルを見る予定だったのに・・・・・。

やはり夜の走行は止めた方がよい。
やっとのことで元にもどれた。
サンマロまで50kmなのに帰りに100kmくらいかかってしまった。
 

泊まったホテル、ルレ・サン。ミッシェルの看板(sm6.jpg)
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