マルタ島7日間
2011年6月2日(木) 3日目
3日目 6月2日(木) 午前:コリントスへ。

コリントス観光
◎コリントス遺跡
○コリントス運河

午後:◎【世界遺産】ミケーネ遺跡観光。
♪♪通常ツアーでは訪れることの少ないアトレウスの宝庫にも!!♪♪

○リカビトスの丘からの夕景又
【宿泊地:アテネ泊】
CANDIA
カンディア

ペロポネソス半島
時差ぼけも解消したところで今日はコリントス運河、コリントス遺跡、ミケーネ遺跡の見学に向かった。
天気は快晴だが少し湿気があるようだ。(日本よりはカラッとしているが)

ホテル前の景色、右方向にラリッサ駅、正面の建物はなにか分からない(廃駅のペロポネソス駅?)
アテネ国鉄の線路は狭軌と広軌の両方があり、狭軌が広軌に統合されている。
ペロポネソス駅は狭軌で以前はコリントス方面への始発駅となっていたが、広軌に統一されラリッサ駅に統合された。

ホテルの部屋の主電源板

ホテルの近くの地下鉄駅の入り口、屋台のパン屋
鍵が重しになっていて、置くとその重みでスイッチが押される。極めてシンプルな仕掛けである。

橋からバンジージャンプをする設備がある

グーグルアースでのコリントス運河の画像

コリントス運河を行く船 Korinthos canal in Greece Jun 2 2011

せっかくの運河だが幅が狭くて大型船は通行できない

橋のたもとにある記念碑
  碑文の内容   
  In greatful memory of th Hungarians
ISTVAN TURR(1825-1908) and BELA GERSTER(1850-1923)
Who planned,organized and directed the construction of the Corinth canal, a masterpiece of 19th century engineering.
This successful undertaking stands as a permanent monument to Greek-Hungarian relation and as inspiration to all future generations.
With great honour and respect to those who participated in the construction from 1881 to 1893.
   ハンガリー人の偉大な記念として
イシュトヴァン・タアー(1825-1908)とベラゲルスター(1850〜1923)
彼らは19世紀の土木工事の傑作であるコリント運河を計画し、組織し、監督した。
この事業の成功はギリシャ・ハンガリーの関係に対する永遠の記念碑として、すべての後世の人たちへのアイデアを与えるものとして立っている。1881年から1893年に建設に参加した人々
に対して多大な名誉と尊敬を。

コリントス運河(高さ80m、幅23m、長さ6343m)、エーゲ海とコリンティアコス湾を結ぶ。1893年に完成。
運河設置の考えは紀元前7世紀からあり、ローマ皇帝ネロが最初に考えたと言われている。
コリントスΚόρινθος
 コリントス(ラテン文字表記:Korinthos、ラテン語:Corinthus、英: Corinth)は古代ギリシアの都市国家(ポリス)。
コリント湾とサロニカ湾の間の地峡に位置する港湾都市。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
コリントス運河でトイレ休憩と橋の見学を終えてコリントス遺跡に向かった。
遺跡がアテネと同じようで区別がつきにくい。(もう少し西洋史をまじめに勉強しておけばよかった)

コリントス遺跡入り口

コリントス遺跡、説明を聞かないとただの石の集積場

グラウケ(Glauke)の泉、今でも水が出ている

泉の復元図
グラウケの泉の伝説
 黒海近くのコルキスの女王メディアは英雄イアソンと恋に落ち、故郷を捨てコリントスに移る。
コリントス王がイアソンに王位を譲る条件で娘のグラウケと結婚を承諾させた。
捨てられたメディアは怒り、毒を塗った花嫁衣装をグラウケに贈った。
衣装を着たグラウケは父親といっしょに炎に包まれた。
グラウケは熱さのためこの泉に飛び込んだ。
それでこの泉をグラウケの泉と言われるようになった。
【参考:ギリシャ悲劇王女メディア

グラウケの泉の発掘中の写真(1908年)

アポロン神殿(Temples of Apollon)


遺跡復元図

エウリクレスの大浴場(Eurykles)、ピレーネ(Peirene)の泉

復元図
ピレーネの泉の伝説
 河の神の娘ピレーネは海の神ポセイドンと間に子供が出来た。
生まれた2人の子供は亡くなり、ピレーネは泣き通した。
その涙でピレーネの体が溶けて泉が出来た。
そこでこの泉をピレーネの泉と言うようになった。
そのほかコリントスの王子ベレロポンがこの泉に水を飲みに来た天馬ペガサスを捕まえたという話もある。
考古学博物館の見学に向かったが、かなり時間に制約があるので写真を撮っていると説明を聞き逃す。
詳しくは、後でインターネットか旅行書で確認すればいいだろう。
エジプトのスフィンクスは頭巾を付けたファラオ(王)の顔とライオンの体となっている。神格化したファラオと百獣の王であるライオンを重ね合わせたものと考えられている。
ギリシアのスフィンクスは、体はライオンで女性の顔と鷲の翼を持つ怪物となっている。
オイディプスの神話ではテーバイで旅人を捕まえては「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何?」という謎を出して解けなかった者を食べていた。
しかし、オイディプスが「人間」と正解したため、岩の台座から飛び降りて死んだという。
その後に有名なギリシャ悲劇に続くことになる。

左:シーザー(西暦1世紀) 

酒の神、ディオニソス
(西暦2世紀)

博物館の中庭
ミケーネ遺跡へはコリントスから約30km、ミケーネ遺跡見学の前に昼食となった。

昼食のレストラン キング・メネラオス

レストラン内部

ラザニア?

チキンの串焼き(スブラギ)

デザートのパイ

どこのレストランでも同じようなサラダ
コーヒーはとてもまずい、インスタントのほうがまし。
ミケーネ遺跡に到着した。
快晴で歩くと暑い、遺跡の中は木陰がないので帽子か日傘が必要。それにミネラル・ウオーター。
ミケーネと言えば『トロイ』の神話の中でスパルタ王メネラオスの兄でミケーネ王アガメムノンが有名、映画トロイではかなり悪者にされていた。

ミケーネ遺跡の入り口

獅子の門(Lion Gate)

ライオンの首がない

円形墓地、直径26.5m

円形墓地復元図
有名なアガメムノンの黄金マスクはここで発掘された
ミケーネ文明
 ミケーネ文明またはミュケナイ文明は、エーゲ文明のうち、ペロポネソス半島のミケーネ(ミュケナイ)を中心に栄えた青銅器文明である。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

宮殿跡(王宮Palace)

アトレウスの宝庫
アトレウスはギリシャ神話に出てくるミケーネ王
スパルタ王メネラオスとその兄ミケーネ王アガメムノンの父

上部の三角部分で重量を分散する

日本の古墳と同じようなもの?
アトレウス宝庫
 アトレウスの宝庫(Treasury of Atreus)またはアガメムノンの墓(Tomb of Agamemnon)はギリシャのミケーネにある蜂窩状墳墓で、紀元前1250年ごろに建設された。
入り口の上にあるまぐさ石は120トンの重量がある。墓として使われていた期間は不明。
パウサニアスの著作で言及されており、ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンが1879年にミケーネのアクロポリスのアゴラ地下に竪穴式墳墓を発見したときには既に見つかっていた。
          引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

内部のパノラマ画像
内部は高さ13.4m、直径14.5m

3000年以上前にこのように緻密に
石組みがされているのが驚き!!
しかい内部には何もない・・・。
トロイ戦争
BC13世紀後半、スパルタの王妃ヘレナをトロイ王ハリスが誘惑して自分のものにした。
当然妻を寝取られたスパルタ王ミネラオスは怒る。
それで兄のミケーネ王アガメムノンにたのんで報復としてギリシャ軍をトロイに攻め込ませた。
この話もとにホメロスが叙事詩を作り、後世に伝わった。
シュリーマンはこれを歴史的な事実と考え発掘を始めた。
詳しくは映画の『トロイ』で・・・。
これで本日のメインは終了。
夕食はなし、オプションでリカビドスの丘とシーフードがあるが、一度アテネの地下鉄に乗ってみたいので自分でリカビドスの丘に行くことにした。
ホテルから近いメタクソウルギオから地下鉄に乗り、シンタグマ広場で降り、少し時間を潰すことにした。
地上に上がって驚いた、デモが始まるようで警察官が道路を封鎖している。
西方向のエルムー通りに行くとデモの影響はまったくなく、買い物をしている。
ブランド店が軒を並べている。
『Foli・Foli』という店が目に入った。ブランド品にうといので分からなかったが日本でも知られているギリシャのファッションメーカーらしい。
夕食をしてからリカビドスの丘に向かうつもりだったが、時間がなくなり、先に向かうことにした。
シンタグマから一駅地下鉄に乗ってエヴァンゲリスモ(エヴァンゲリオンのような名前・・)で降りて、徒歩でケーブルカーの駅に向かった。
ケーブルカー駅の手前で階段になる。結構きつい。
しかし駅から15分くらいで到着した。

駅までの階段がきつい

ちょっと駅とは気づかなかった。
『TELEFERIK』という。

ケーブルカーはトンネルの中を走る

丘の標高は273m
リカビトスの丘(ギリシャ語:Λυκαβηττσς)
 《Likavittos》ギリシャの首都アテネにある丘の一つ。
標高277メートルで、市街を一望する展望地として知られる。
頂上部まで地下を走るケーブルカーで結ばれる
引用:Goo辞書

リカビドスの丘からパルテノン神殿を望む

オリンピック競技場

丘の上のレストラン オリゾンテス・リカヴィトウ(Orizontes Lycavitou)

ケーブルカーで降りてきたらもう暗くなっていた

国会議事堂(左の建物)の前のデモ隊が見える、シュプレヒコールが丘の上まで聞こえてくる
右手の屋上に緑が見えるのがホテル、グランド・ブルターニュ、1872年開業の最高級ホテルで第二次世界大戦時ナチスに接収されていたが、戦後は首相官邸としても使われていた。

テレフェリックに乗ってリカビドスの丘へ Likavitos Hill of Athenes
これからプラカ地区に行って食事をすると遅くなるので、階段を下りた付近のレストランに入った。
『IKEIO』という名前だった。
店の女の子に発音を聞いたが忘れてしまった。

店の内部

初めてまともなサラダだった

カルボナーラということだが
どうみてもミートスパゲッテイ

春巻きというのがあるので注文した
ここはいったい何料理なのだ???
もう一品注文したが撮影し忘れた。

地下鉄駅の表示
ちゃんと英語表記もある

エヴァンゲリスモの駅の構内にある遺跡の展示
アテネはどこを掘っても遺跡が出てくる
うらやましいね・・・

切符は時間で料金が変わる
時間内は乗り放題


メタクソウルギオ駅

Subway of Athenes アテネの地下鉄
エヴァンゲリスモから赤ラインの地下鉄に乗り、メタクソウルギオに着いたら10時前だった。
少し、人通りが少なく気持ちが悪かった。
ホテルに着いた後、昨夜は屋上に上がれなかったので上って夜景を眺めた。
同じ、ツアーの2人連れの女性に会った。
彼女らはリカビドスのケーブルカーの駅が分からなかったので往復歩いてリカビドスの丘へ行ったとのこと、元気なのには驚いた。(負けてられん・・・)

ホテルの屋上からパルテノン神殿の夜景が見えました。