マルタ島7日間
2011年6月4日(土) 5日目
5日目 6月4日(土) 7:00/トルコのクシャダスに入港。
異国情緒漂うバザール(市場)などの散策

12:00/出港。

16:00/神秘の島パトモス港に入港。
船内オプションや島内散策をお楽しみください。

21:00/出港
【宿泊地:船中泊】
クシャダス港では特にパスポートのチェックなし。
クシャダスからはエフェソス遺跡へのオプショナルツアーがあるが。
すでにトルコ旅行で行っていること、説明は英語とのこと、時間的にかなり短いことより、参加は止めてクシャダスの町を散策することにした。
朝、起きたらクシャダス港に近づいていた。
エーゲ海を挟んでトルコがすぐ近くなのだ。
船内放送(日本語もあり)で進行方向左手がヒオス島、右がトルコのクシャダスと案内があったので一番上の甲板に出てデジカメで撮影した。

前方が船の後ろ、左トルコ、右ヒオス島(ギリシャ)(クシャダス入港直前)

ルイス・マジェスティ号の甲板
クシャダス
 クシャダスはトルコ共和国の西部、アイドゥン県にある都市。
かつて高度な文明を築いた古代都市エフェソスの港として繁栄した、小アジア最大の貿易港。
今ではエーゲ海に隣接するリゾート地。
坂と海の多い景観が美しいとされ、トルコ人にもその他外国人にも観光地として名高い。
 クシャダスは、古代イオニアにおいて、 Pygelaという名のエフェソスの前哨地(外港)であった。
キリスト教初期の時代である紀元前2世紀、ローマ帝国が沿岸部を支配した。
聖母マリアと使徒ヨハネはこの一帯に住んだ。
キリスト紀元(出生)の頃、この地域はAniaとして知られていた。
 しかし実際には、港は海賊の集り場で、高い精神性が養われることは無かった。
その後、ビザンチン、ヴェネツィア、ジェノヴァの商人が海岸で貿易を始めると、島に軍隊が駐屯するようになり、丘にあった町も海岸沿いに移動した。
 1086年より、テュルク人の支配下となり、このエーゲ海の港がオリエントに向かうキャラバンの最終目的地となった。
しかし十字軍によって破壊され、街は再び1280年までビザンチンによって支配され、その後ベイリクのメンテシェ侯国とアイドゥン侯国の支配を受けた。
1413年にメフメト1世率いるオスマン帝国の支配下となる。
オスマンは市壁やキャラバンサライを造った。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

クシャダス港に停泊中のルイスマジェスティ号
乗客がぞろぞろ降りてくる

隣に停泊中のSEABOURN ODEYSSEY
船は小さいが豪華客船のようです

山の上にあるのがアタチュルクの像、右の島が要塞


クシャダス湾の観光船

後ろに見えるのが要塞だがあまり遠くない

クサダシの要塞
Kusadasi in Turkey (No.1 ) クサダシ6月4日 No.1

要塞は閉まっていて入れず

パン屋さん
クサダシ近郊のアナイアなどの考古学的発掘によるとこの町の歴史は5000年前にさかのぼる。
しかし、ラテン系商人達はこの現代のクサダシのある地域を14世紀には発見していた。
その頃にはアナイアやエフェソスはその重要性を失っていた。
商人達は新しい町をSCALANOVA(新港)と名付けた。
SCALANOVAすなわちクサダシはトルコ統治下で重要な港湾都市として続くことになった。
有名なオスマン帝国の放浪者 Eviliya Celebiは港の前の小島に鳥がたくさん降り立つということからこの町をクサダシ(鳥の島)と名付けた。
オスマン帝国の高官Okuz Mehmet Pasa(17世紀のオスマン帝国の重要人物の1人)は旅行者や巡礼者を敵から守るため、城、キャラバンサライ(隊商宿)、海港の建設を行ったことが述べられている。(1612~1613年)
町の壁にはトゥルヌフォール1702年という彫刻が見られ、その他の建物は1612年以前に建てられたものとされている。
ギュウエルジン島(鳩の島:クサダシの名から由来している)の城はこの町のシンボルとなっており、クサダシ新港を守るために要塞化された。
城の真ん中の塔は大きさが15.7×17.35mあり、残りの部分は一部が岩にはめ込まれた水槽になっている。
しかし、一部の研究者はこの塔の内部は Barbaros Hoyrettin Pasa によって建てられたという文章が残っているということで異論を唱えている。
島の周囲を囲む壁は城門の右上部の碑文によると1826年にIlyas Agaによって建造されたということである。

バザール(規模は小さい)

港にはスタバがあった。


クサダシのバザール
Kusadasi in Turkey (No.2 ) クサダシ6月4日 No.2

果物のカービング大会のパフォーマンス

船上のパフォーマンス
PERFORMANCE on LOUIS MAJESTY 船上パフォーマンス6月4日

②パトモス島

パトモス島
船内で昼食を済ませて少し休憩。
午後4時頃にパトモス島に到着。
ここは港に停泊できず、テンダーボートに乗り換えて島に渡る。
テンダーボートは、陸地から船へ、あるいは船同士の間で人員や物資を輸送して船の活動を支援するためのボートである。
交通船、足船、連絡船などと呼ばれることもある。
(引用:フリー百科事典Wikipedia)

テンダーボート乗船券

スカラ港に着いたテンダーボート

パトモス島へのテンダーボート
Tender Boat to Pathomos Island パトモス島へのテンダーボート
パトモス島はローマから追放された聖ヨハネが流された島で、この島の洞窟で暮らしたと言われる。
パトモス島は38㎞平方メートルで山がある。
使徒ヨハネ
 新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。
洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。
ヨハネは兄のヤコブとともにガリラヤ湖で漁師をしていたが、ナザレのイエスと出会い、その最初の弟子の一人となった。
ヨハネは初代教会においてペトロとともに指導的立場にあった。
古い伝承では使徒たちの中で唯一殉教しなかったとされる。
イエスの母マリアを連れエフェソスに移り住んだヨハネは、のちパトモス島に幽閉され、そこで黙示録を記した。
釈放されてエフェソスに戻り、そこで没した。
ヨハネおよび『ヨハネの福音書』はしばしば鷲のシンボルであらわされる。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

パトモス島に停泊中のルイスマジェスティ号

添乗員さんが交渉してくれてタクシー1台をチャーターした。
聖ヨハネの洞窟と聖ヨハネ修道院に向かう。
タクシーは洞窟で私たちを降ろすともどって来る時間をノートに書き込み、別の客を乗せて走っていった。
ピストン運転を行っている。
流しのタクシーよりかなり効率的に稼げる。
(添乗員さんよりの注意:支払いは最後にすること)

聖ヨハネ洞窟修道院(Monastery of st. John Apocalypse)
Apocalypse:ヨハネの黙示録

聖ヨハネの洞窟、岩山の上に建物があり、内部が岩の洞窟になっている

聖ヨハネの洞窟修道院
聖ヨハネの洞窟 パトモス島6月4日.mov
バトモス島
 パトモス島 (Patmos) は、エーゲ海に浮かぶギリシャの小島。
ドデカネス諸島に含まれる。
「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネが、イエス・キリストから啓示を受けたとされる島として知られている。
島内には、そのヨハネが啓示を受けたとされる洞窟が残っており、丘の上の神学者聖ヨハネ修道院やそれを囲む旧市街ホーラとともに、ユネスコの世界遺産に登録されている(登録名は「神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区 (ホーラ)」)。
 島の面積は34.6km2 で、人口は2600人(1995年)。
島のなかで首都に当たるのはホーラだが、現在では港町のスカラの方が大きくなっている
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
クリスチャンではない我々にはここの重要性がもうひとつ理解が出来ない。
比叡山の延暦寺とでもいえばよく分かるのだが・・・。
時間通りにタクシーが来て(かなりアバウトかと気にしていたが・・・)聖ヨハネ修道院に向かった。

聖ヨハネ修道院、まるで外観は要塞のようだ
この近辺は海賊が多く、島の住人は海賊に襲われたとき修道院に逃げ込んで難を逃れたそうだ
そのためこの修道院は要塞のような構造になっているのだそうだ。。

正面が聖堂、ギリシャ正教の聖堂は完全な十字形をしている

聖ヨハネ修道院
Monastery of St.John the Theologian 聖ヨハネ修道院 パトモス島

聖ヨハネ修道院から見える風車(かなり保存状態がよい)

スカラの町の教会

港にある銅像
(碑文が読めないのでだれか分からない)

テンダーボートの中

テンダーボートから本船へ
今夜の夕食はテーブルで食べることにし、船内のコースレストランの4 Seasons Dining Room Atlantic (船内5F)に行った。
確かにフルコースでいいものが食べられる。
ビュフェより豪華な雰囲気で食事が出来る。
船内には有料のアメリカン・ステーキハウスLe Bistroがあり、特別ディナーが提供される。(豪勢に食べるなら日本のレストランがいいだろう)

スープ(内容?)

前菜

リゾット


グリーク・サラダ

スパゲッティ

デザート
メニューがあるが、どれを選んでよいのかよく分からない。
説明ではメインが3品自由にとのことだが、どれがメインの料理かよく分からない。
(この画像は2人分です)

ルイス・マジェスティ号船内のパフォーマンス
番外)2010年3月3日の新聞記事
 地中海クルーズ中だった大型客船ルイス・マジェスティ号が地中海のスペイン沿岸で8mの高波を受け、船正面の船室のガラスが破れ死者2名、14名の負傷者を出した。