マルタ島7日間
2011年6月5日(日) 6日目
6日目 6月5日(日) 7:00/ギリシャ文明の発祥地クレタ島に入港。イラクリオンの街の散策。

11:30/出港。

16:30/サントリーニ島に入港。
白い家々に青い教会が印象的な街並みの散策

21:00/出港。
【宿泊地:船中泊】
クレタ島
 クレタ島はギリシャ共和国で最も大きく、地中海ではシチリア島、サルデーニャ島、キプロス島、コルシカ島についで5番目に大きな島である。
ギリシャはもとより、地中海の代表的な観光地でもある。
面積は8,300平方キロメートル、海岸線の長さは1,040キロメートルであり、北側の海はクレタ海とも呼ばれる。
人口は50万人以上。島全体で一つのペリフェリエス(地方)であり、ハニア(Hania)、レティムノ(Rethimno)、イラクリオン(Iraklion)、ラシティ(Lasithi)の4つの県(ノモス)からなる。
イラクリオンのニコス・カザンツァキス空港とハニアのダスカロギアニス空港という2つの重要な空港がある。主要な都市は、イラクリオン、ハニア、レティムノ、アギオス・ニコラオスである。
観光スポットとしては、クノッソス宮殿やフェストス遺跡、ゴルティス遺跡などの考古学上の遺跡、またヴェネツィア人がハニアに建てた城といった史跡や、サマリア渓谷やアギア・イリニ、アラデネなどにある渓谷など自然景観が有名である。
なお、ギリシャ共和国の主要宗教はアテネに大主教座を置くギリシャ正教会であるが、クレタ島だけは同じ正教会でもトルコのイスタンブルにあるコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にある。
                     引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
クレタ島
クレタ島に入港したが、クノッソス宮殿へのオプショナル・ツアーには参加しなかった。
クレタ文明のことは昔々に世界史で習ったことはあるが、英語で説明されても分からないのでやめた。
イラクリオンの町の散策と考古学博物館を見学することにした。

Seven Seas Dining Room Atlanticでの朝食(船5F)

イラクリオンの港に停泊中のLOUIS MAJESTY号

オールドハーバー、左側の四角い建物がヴェネチア時代の要塞

城壁の一部

要塞(Rocca MareあるいはCastello a Mare)

アイオス・チトス(Ayios Titos)教会
最初の聖チトス教会はビザンチン時代の西暦962年頃に建てられた。
トルコ占領時代にはモスクに改築され、1856年の地震で破壊された。
その後、再度トルコの手でモスクになり、独立後の1923年に教会に戻された。
教会には聖チトスの黄金の頭蓋骨が1966年ベネチアから戻され安置されている。
1669年この島がトルコの手に落ちた時ベネチア人が頭蓋骨を持ち出した。

モロシニ(Morosini)の噴水

噴水自体は1629年にベネツィア人が造ったが、ライオン像は14世紀に造られたと言われている。
イラクリオンは13世紀初頭に十字軍の勢力下にベネチアが支配していた。
この泉は総督フランチェスコ・モロシニがイラクリオンには飲料水を供給するために造ったものである。
14ヶ月かかって完成し、ベネチアの守護神聖マルコを祝って1628年4月25日に落成式が行われた。
噴水の上部にはポセイドンの大理石像があったが現在それは失われている。
水は15Km離れたArchanesから導水管で引き、地下の貯水槽に貯めてからこの噴水にひかれている。
トルコ支配時代にこの噴水はイスラム教徒の手足洗い場に改築されていたが1900年にもとの状態に復元された。

ベニゼル(Venizelou)広場

左がオリジナルの小さな聖ミナス教会で1735年に建造された。
地元では”ミクロス・オスミナス”と呼ばれている。

聖ミナス教会(Agios Munas)
聖ミナスはイラクリオンの守護聖人である。
イラクリオンΗΡΑΚΛΕΙΟΝ
 イラクリオン (Iraklion) は、ギリシアの第5の都市。
クレタ島第一の港湾都市としての役割を果たす。
ヘラクリオン (Heraklion) とも呼ばれる。
イタリア語およびトルコ語での呼称は カンディア (イタリア語:Candia 、トルコ語:Kandiye )。
これは、ヴェネツィアおよびオスマン帝国がこの都市を支配していたときの呼称でもある。
約5キロ南東にクノッソス宮殿が位置する。
人口は約14万人。
            引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

イラクリオン散策
今日は日曜日でクレタ博物館は休館、考古博物館は開いているので見学することにした。
入場券売り場に行くと今日は『労働者の日?』ということで入場料は無料だった。

入場券には”FREE”と印字されています

雄牛の頭をした酒瓶
目には水晶と碧玉の象眼
(新クノッソス宮殿時代:紀元前1600〜1500年)

青い鳥:クノッソス時代の壁画の断片(紀元前1550〜1500年)

銀製のぶどう酒の容器を運ぶ青年
豪華な装飾をつけ、半ズボンをはいている。
フレスコ画の断片、
新宮殿時代(紀元前1500〜1450年)

フェスタスのディスク
粘土板で螺旋状に象形文字が描かれている
文字の意味は”人間”、”人間の手足、”船”、”動物”、”いろんな道具と花瓶”とされているが、正確には解読されていない。
ミノア文明、新宮殿時代(紀元前1600〜1450年)
イタリア人考古学者によって1908年発掘された。
1900年〜1908年にイタリア人グループによりクレタ島のアギア・トリアダ(Ayia Triada)で発掘された有名な石棺。
紀元前1300年の日付がある。ミケーネ占領時代の王子の埋葬シーンを描いたもので、牛の生け贄、竪琴、フルートを持つ男性の列が描かれている。石棺上部の宗教的な符号や、フルートや7弦の竪琴を演奏する青年が描かれている。これは古典的なギリシャの天国を表しているもっとも古いものである。

ユリの王子(紀元前1600〜1500年)
クレタ・ミノア文明、クノッソス宮殿の壁画レリーフ、ユリの草原を歩いている。オウムの羽で作った王冠をかぶっている。発掘にあたったイギリスの考古学者アーサーエバンスは彼をクノッソスの司祭で王と考えている。

女性のフレスコ画(紀元前1400〜1350年)
”La Parisienne”


踊る女性(紀元前1400〜1350年)
波打つような髪の踊り子か女神を表している。クノッソス出土。クノッソス宮殿期の末期の作。
女性の僧侶と思われる。折りたたみの椅子に座って宴会をしている。クノッソス宮殿期の末期の作。

ベネチアン・ロッジア(貴族クラブ)
北イタリアのビィツエンツァ(Vicenza)の教会を忠実に模倣している。
1階はドリス式、2階はイオニア式と2つの異なった建築形式で建てられている。
一時つぶれかけていたが現在は市庁舎として修復されている。
船に戻ってから、一番上のデッキのピザレストラン”Piazza San Marco”で昼食を食べた。
焼きたてのピザを出してくれる。
少し、変わっているのが、自分でホットドックとハンバーガーを作るコーナーがある。
食べ過ぎに注意が必要だ。
ピザの味について言うと日本のイタメシ屋のピザがなかなかいいということが分かる。

ちょっと水着では涼しいと思うのだが、あちらの方は寒さに強いようだ。右のおばさんはハンバーガーを食べている。

サントリーニ島Santorini(Thira)
昼食をして、少し船内をぶらぶらして部屋に戻り、少し昼寝をすることにした。
サントリーニ島到着の船内放送があったので甲板へ出たら、正面にサントリーニ島が見えていた。
ロビー集合し、テンダーボートに乗るのを待つことにした
当初、、イアの町まで行って、景色を見る予定だったが、土産物を見たりしているととても時間がない。
フィラの町をぶらつくことにした。

サントリーニ島全景

テンダーボートでサントリーニ島へ

近づくと町が山の上にある。ロバか自力で歩いて上がるジグザクの道、ロープウエィが見える。
ここではロープウェイではなく、ケーブルカーと書いてある。

拡大するとこんな状態です

テンダーボート

船着き場正面にケーブルカー

テンダーボートの乗船券

ケーブルカーと書いてありますが、3連のゴンドラです
ギリシャ語の表記は”テレフェリック”

ケーブルカーでフィラの町へ

ルイス・マジェスティ号とネオカメニ島

ネオカメニ島とツアーの広告写真、温泉があるようです

風車のあるレストラン

左に大聖堂が見える

時計台のある教会

教会内部

フィラの町の散策

青いドームの教会

ルイス・マジェスティの日本人スタッフ
港で帰りのテンダーボート案内をしてくれていました

テンダーボートがやって来ました。
サントリーニ島ΘΗΡΑ
 サントリーニ島(Santorini)はエーゲ海に浮かぶギリシャの島。ミコノス島と並んで、人気のある観光地。
島の中心はフィラ(Fira)の町で、崖を降りるとフェリーが留まる港がある。
キクラデス諸島に属する。
 サントリーニ島は大小5つほどの島々の総称で、一般には最も大きいティーラ島をさす。
主な町はフィラのほか、フィロステファニ(Firostefani)、イメロビグリ(Imerovigli) 北部のイアなどがあり、特にイアから見る夕日は人気がある。
 フィラからイアへは、バスが運行されており、沿道の断崖には伝統的な洞窟型ホテルが多く存在する。
白壁の家々が断崖にびっしりと連なる街の景色のなか、ギリシャ正教会の聖堂のドーム型の屋根の青色が映える様子は素晴らしい。
その景色の美しさからか日本のCMにもよく登場している。
紀元前1628年頃、海底火山の噴火により地中にあったマグマが噴き出して出来た空洞の上の陸地が陥没して、現在のような三日月型の島になったと言われている。
紀元前1600年ごろに起きた火山の噴火は、プラトンの著作に端を発するアトランティス伝説に大きな影響を与えたといわれている。
 この洋上に浮かぶ理想郷アトランティスのモデルとして有力なのが南方にあるクレタ島で、ここにはかつてヨーロッパ最古の文明といわれるミノア文明が栄えていた。
三日月形の中央に浮かぶネア・カメニ島が現在も活動する活火山である。
フィラのオールドポートやイアから船で島まで行くことができ、噴火口まで歩いて近づくことができる。
ビーチリゾートを楽しむ人も多く、島にはレッドビーチ、ペリサビーチ、カマリビーチなどがある。
その名の通り、レッドビーチは赤砂が美しいビーチ。反対にペリサ、カマリビーチは黒砂である。
 特産品は、ギリシャ料理「ファバ」の材料であるレンズ豆。
また、島にはワイナリーも多く、白ワインやデザートワインがおいしい。
   引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

大聖堂Cathedral

サントリーニ島 帰路
夕食はサントリーニ島で食べて帰る人もいた。
旅の話の種に名物の”タコ”を食べて帰るという。
私たちは今日も船内のレストラン(4 Seasons Dinig Room)でディナーをいただくことんした。(こっちの方が当たり外れがない・・・)

クリーミーチキンのホワイトソース・ペーストリー

ガーデンミックスグリーンサラダ ハーブ添え

ほうれん草のリゾット、オニオン揚げと
スパイシートマトサルサ添え

カルボナーラ・ペンネ
クリスピーベーコンとクリームパルメザンチーズ

ビーフルラード、マッシュルーム、炒めポテト
人参、さやインゲン、ハーブソース添え
]
フルーツタルト3種、ベリー・ソースがけ

チョコレートとコーヒーのエクレア
今日のディナーメニューは当たりだった。
とにかくメニューが分かりにくい。
いつもレストランで食事している人には理解がたやすいのだろうが、しろうとには手強いメニューだ。