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2日目 6月23日(水) コペンハーゲン
11:15/コペンハーゲン着後、コペンハーゲン市内観光
(★ゲフィオンの泉、★アマリエンボー宮殿、★ニューハウン地区)
クオリティエアポートダン
Quality Hotel Airport Dan
【宿泊地:コペンハーゲン泊】

コペンハーゲン・カストロップ国際空港
Copenhagen Kastrup International Airport

日本語と中国語表示

到着荷物受け取り場所にショップがある!(関空にはない)

到着早々土産を買う人がいるのか?
デンマーク王国
 バルト海と北海に囲まれたユトランド半島と周辺部の島々からなる。シェラン島にあるコペンハーゲンが首都である。
 北は海を隔ててカンジナビア半島諸国、南はドイツと国境を接している。大陸部分を国土にしているのに首都が島にあるのは欧州域でただひとつである。グリーンランドはデンマーク領であるが、自治権を有している。
 デンマークという国名は「デーン人の土地」と言う意味とのこと。
北欧に居住していたヴァイキングであるノルマン人の一部はシュラン島附近に住んでいた。彼らはデーン人と呼ばれていた。小国が形成され、その後ハラル青歯王がキリスト教化して国を統一した。
詳しくはWikipediaで
コペンハーゲン
 西暦1157年にヴァルデマー1世とアブサロン司教らがデンマークを統一した。その後、外敵侵入を防ぐため、シュラン島の各地に要塞を築いた。当時何も無かったコペンハーゲンの砂洲にも1167年に要塞が造られた。やがて城壁を中心にして街が発展し現在のコペンハーゲンになった。現在クリスチャンスボー宮殿のある場所に要塞があった。建物の地下に今も遺跡が残っている

スカンディック・パレス・ホテル(4つ星))

2日目昼食 ADLIBITUM
市庁舎の真向かいにある
市庁舎の反対側はチボリ公園
ad libitumはラテン語で自由にという意味
昼食はストロイエ入り口近くの『ADLIBITUM

店の内部

トマトのスープ、量が多い

昼食のオープンサンド、少しボリュームがないが
機内で食べ過ぎていたので丁度よかった。
サーモンがうまい。

デザートのパンケーキ
クレープのようだ。

Meridien the Palace HOTEL前の記念碑

Lur Horn(古楽器ホルン)を吹く人
1797年に建てられた
農奴解放の記念碑
The Liberty Memorial

広場から市庁舎

市庁舎の時計台

夜の市庁舎

市庁舎広場の竜と牛の噴水
中世の伝統的な『聖ジョージ(Saint George)の竜退治』の伝説をもとにしていると思われる。有名な彫刻家J. Skovgaard.から委託を受けたものだった。しかし、1907年の完成作では竜が雄牛に置き換わっていた。Skovgaardは彼のアイデアに戻すよう要求した。
アマリエンボー宮殿

アマリエンボー宮殿

フレデリスク教会
アマリエンボー宮殿(Amalienborg Slot)
八角形の広場の周りにロココ調の四つの宮殿から構成される。宮殿を作ったフレデリク5世の騎馬像が広場の中央にある。
女王の居城中は近衛兵が12時にこの宮殿の前で衛兵交代儀式が行われる。1863年〜1947年間の国王が使用していた寝室などが公開されている。
王の居城クリスチャンスボー城が1794年に焼失したため、貴族が所有していたこの宮殿を購入し居城とした。歴代の国王一家がクリスチャン7世宮殿・クリスチャン8世宮殿・クリスチャン9世宮殿・フレゼリク8世宮殿の4つの宮殿に居住するようになった。
アマリエンボー宮殿のアマリーはフレデリク3世の妃 Sophie Amalie ゾフィー・アマーリエ に由来する。
彼女は1643年10月、フレデリク王子と結婚し、5年後には王妃になった。王妃は政治的にもかなり影響力を発揮している。
1650年代に夫フレデリクの異母妹とその夫であるコルフィッツ・ウルフェルトとレオノーラ・クリスティナとの争いがあったが、それも乗り越えた。さらに1658 〜60年のスウェーデンのコペンハーゲン包囲後、国王夫妻の国民的支持は急上昇した。
しかし、ゾフィー・アマーリエ国家財政がよくないにも関わらずかなりの浪費家であったことも知られている。
夫の死後もアマリエンボー宮殿に住み、コペンハーゲンで亡くなり、ロスキレ大聖堂に葬られている。

王宮の衛兵

フレデリクX世(1723-1766)の騎馬像
ジャック・フランソワ・ジョセフ・サリサリー作

フレデリクス教会
ノルウェー産の大理石を用いたロマネスク・バロック様式の教会
現在のデンマーク王
 デンマーク女王のマルグレーテ2世(Margrethe Alexandrine Torhildur Ingrid, 1940年生 )は、在位は1972年1月から。
母はスウェーデン王の娘。
末妹は元ギリシャ国王コンスタンティノス2世の妃。
マルグレーテは、当時皇太子であったフレゼリク9世の長女であった。
当時王位継承は男子のみで娘には王位継承権はなかった。
フレゼリク皇太子には、男子はいなかったため、フレゼリクの弟クヌーズ王子とその息子に王位が継承されることになるのたが、クヌーズ王子よりマルグレーテ王女のほうが国民に人気が高く、1953年に王位継承法が改定され、女子にも継承権が認められた。
1972年、父王フレゼリク9世が亡くなり、女王に即位した

ゲフィオン(Gefion)の泉
泉の後方はカステレット(Kastellet)要塞
ゲフィオンの泉
 四頭の牛とその背後で鞭を持つ女神ゲフィオンの彫刻でデンマークの建国に関わる伝説がある。
ゲフィオン (Gefion) は、北欧神話の女神の一人である。
オーディンはゲフィオンに新しい土地を探すよう命じられ、ウェーデン王のギュルヴィを訪ねた。
スウェーデン王が女神ゲフィオンに『一晩で耕した土地は全て与える』と約束した。
ゲフィオン は4人の息子を牡牛に変身させ、土地を耕した。
堀った土を海に投げこむと、それがコペンハーゲンのあるシェラン島になったという。
掘られた場所は湖となり、スウェーデンのメーラレン湖となった言われ、実際に島の形と湖の形はよく似ている。

St. Alaban's Anglican Church(聖オルバン英国教会)、1877年建設
ゲフィオンの泉のすぐ近くにある
アングリカン・チャーチとは英国国教会
聖オルバン(St. Alaban)は紀元304年英国で殉教した初のクリスチャン。
その頃はキリスト教は公認されておらず、キリスト教徒は迫害された時代であった。
当時、英国はローマ帝国の支配下でオルバンはローマ軍の兵士であった。
コペンハーゲン市内車窓観光

ニューハウン地区、ここから運河ツアーの船が出る

カフェ・ヨーロッパ(Cafe Europa)

デンマーク・デザイン・センター(DDC)

ホルメンス(Holmens)教会

アブサロン(Absalon)の銅像
デンマークの大司教(1128-1201)
右前方にクリスチャンボー城(Cristianborg)と
クリスチャンボー・スロッツ教会(Cristianborg Slotskirke)

ホイブロ(Hojbro plads)広場、アブサロン大司教像とニコライ教会

カリタス(Caritas:天使)の噴水Nytrov広場)
クリスチャン4世(1577-1648)によって作られた
Gammeltrov(Old Market)広場はコペンハーゲンでもっとも古い広場
右の茶色の建物はレストラン『City Kroen

Nytrov広場へ
いそがしい、コペンハーゲンツアーを終了して、空港近くのホテルへ向かった。
クオリティエアポートダンは4星ホテルだが、印象としては普通のビジネスホテルだ。
ホテルのすぐ横に2軒のスーパーがあるので買い物には困らない。
道路の向かいにカールスバーグのビールの居酒屋あり。

ホテルの位置、空港のすぐそばだが、市内から
かなり離れている。

ホテルに隣接したスーパー

ホテルの向かいにあるスーパー NETTO(有名)
ホテルでの夕食(単品メニューは期待できない)

サーモンのサラダ
まあ、まあ日本人向き

ビーフとのことだが、
コンビーフのようで固い

チョコレートムース
ちょっと大人には甘すぎる

クオリティ・エアポートホテル・ダンのWiFi画面
インターネット接続OK

WiFi接続は72時間無料
地下鉄の駅まで歩いて5分〜10分くらい。
今日は夏至の祭りでチボリ公園で花火やたき火があるらしいというのでみんなで出かけた。
しかし、チボリ公園ではやっていなかった。
注)6月23日はデンマークのSankt Hans Aften(夏至祭)、夏至を祝う祭りで、夜になると、広場や海辺で大きなたき火をする。
6月20日前後の夏至の日前後の土曜日に行われるとも書かれていた。

地下鉄は無人運転、進んでる・・・

地下鉄路線図

チボリ公園の入り口

入場料 95デンマーククローネ=1600円
日本の感覚からすると高い・・・

園内は国籍不明の状態
正直なところチボリ公園は昔の宝塚遊園程度。
あまり大したものはない。
話の種に見に行くのならいいが、本気になって見に行くところではない。

愛嬌のある獅子こま?

中国のおばけ?

公園内から市庁舎の時計台が見える

ジャズの生演奏、これは洒落たパフォーマンス
午後11時の閉園までいだが、たき火や花火のパフォーマンスはなかった。
さすがに白夜の国でこの時間でもぼうっと明るい。
日本なら日が沈んだ直後くらいの状態だ。
地下鉄の駅まで歩いてホテルに戻った。