2008.02.02(土) ボローニャ
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 朝食は例によって超簡単コンチネンタル(?)、パン・シリアル、クッキー、ジュース、ハム・・・。
野菜がないのが難点。
コーヒーはカプチーノと言えばコーヒーと牛乳を出してくれた。
今日はボローニャに出かけることにした。距離があるのでIC(インターシティ)を使うことにした。
FI.SMN
フィレンッエ
BOLOGNA
ボローニャ
所要時間
08:29
09:30
01:01
1人片道4.5ユーロ
 
駅には自動の券売機があるが使い方があまり分かっていないので券売り場で買うことにした。
ICは自由席で時間だけ指定すればよかった。
往復の方が安いが帰りの時間がはっきりしないので片道で購入した。

サンタ・ノベラ駅構内、ミラノ行きのICに乗車

長距離のためコンパートメントタイプ
通路の向こう側からベルを鳴らしながら、車内販売がやってくる。JRと違って売り子さんは男性でした。

車掌がiPAQをもっていたのには興味をもった。電子手帳は日本では人気がないが意外とこんなところで使われていた。指定券をインターネット予約してそれを印刷しておいて車掌に渡せば車内で指定券と乗車券を発行できるシステムになっているようだ。


ボローニャ中心部地図

さすがにボローニャ駅はミラノへの通過駅だけあって乗降客が多くにぎやかだった。

ボローニャ駅

ガリエラ門
12世紀にあった門の残りに1661年に築かれた。Bartolomeo Provagliaによりデザインされた典型的なバロック様式の建築物である。

9月20日広場、ガリエラ門
門の反対側に1888年にカルロ・パルメジャーニによって鋳造されたウゴ・バッシー(Ugo Bass)の彫像(イタリアの愛国者:1800-1849)があるというが??

投石機の玉?



ポルテイコ
ボローニャ名物、ポルティコ
ポルティコとは柱廊のことで建築用語ではピロティのこと。要するに日本のアーケードの様なもの、ボローニャの人口が増加し住居が不足したため道路側に2階以上を増築するようにしたのが由来だそうです。これで住居を増やし、人口増加に対応したようだ。

サン・ピエトロ大聖堂(13〜18世紀)
Cattedrale di San Pietro

ボローニャはもっと小さな町だと思っていたがかなり大きな町で活気があった。ポルティコ内の店もかなり多く、人通りも多かった。

ボローニャ (Bologna) は、人口約37万人のイタリアの都市である。
ボローニャ自治県の県庁所在地であり、エミリア・ロマーニャ州の州都にあたる。
(引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ボローニャにはヨーロッパ最古の大学(1088年)がある。

市庁舎(コムナーレ宮)

市庁舎壁の『聖母と幼子キリスト』

市庁舎壁の『聖ペトロニオ』

ポデスタ宮殿とエンツォ王宮殿
神聖ローマ帝国皇帝フレデリック2世と戦いボローニャは1249年のフォッサルタの戦いで勝利し皇帝の息子エンツォは捕虜にされ、このボデスタ宮殿に23年間幽閉されて死んだ。

マジョーレ広場
奥左手がサン・ペトロニオ教会、その右が市庁舎、真ん中に噴水


サン・ペトロニオ教会
リュックだと入場出来ない、肩掛けバックならOKと言われた。さっぱり理由が分からない???。

教会の正面は未完成で壁の表面がそのままになっている。
サン・ペトロニオはボローニャの守護聖人
教会の大きさは幅57m、奥行き132m、高さ44m。

横に延ばす予定だったが中断した部分
もう少し奥に向かって進むと、左手の建物に解剖室テアトロ・アナトミコがある。

聖母とキリスト
ペトロニウス(イタリア名:サンペトロニオ:450AD頃死亡)5世紀頃のボローニャの司教。 ボローニャの守護聖人である。ローマ人でキリスト教に改宗した。ボローニャのサント・ステファノ教会を建てた人物でもある。

聖ペトロニオ(?)

聖アンブロージュ(?)

サン・ペトロニオ聖堂は14世紀のゴシック建築で完成するとローマのサンピエトロ寺院より大きくなるとのことで建築にまったがかかかったとい話しもあり、未完成に終わっている。

ネプチューンの噴水

おっぱいから水が出る少しエッチな女神像

サン・ジャコモ・マッジョーレ教会

ボローニャのアッシネリの塔が見えてきたがてっぺんが霧で霞んでいる。

お勧めスポットのサン・ルーカ聖堂に行くため、マジョーレ広場から20番のバスに乗った。Villa Spadaというバス停で降りた。少し引き返して交差点を右に渡るとマイクロバスの停留所があった。しかし、もたもたしていてバスが発車してしまって間に合わなかった。しかし、霧が出てきてとても市内は見えないと思い。今回はあきらめた。

ボローニャの斜塔(左)、思っていたより大きい。
右がアッシネリの塔(Torre degli Asinelli)、左がガリセンダの塔(Torre Garisenda)

左側の塔が傾いている。土台の石が傾いているのが分かる。

アッシネリの塔の下にある像
この2つの塔は12世紀に貴族によって作られたものである。当時、イタリアは皇帝派と教皇派に分かれて争っており、ボローニャでも両派がどれだけ高い塔を建てるかで勢力を競っていた。この塔は皇帝派の貴族のものだった。
 高い方の塔はアッシネリの塔(Torre degli Asinelli)といい、高さは97mある。低い方はガリセンダの塔(Torre Garisenda)で48mある。傾き始めたので少し削って低くしたとのことである。

当時、このような高い塔を建てるのにはかなりの熟練と技術が必要だったことが推察される。煉瓦済み職人がその技術を盗まれないため組織したのがフリーメーソンの始まりということが本に書いてあった。

アルギンアージ宮は1803年までボローニャ大学だった。この大学は11世紀に出来たものでヨーロッパでは一番古い。教会の反対を押し切って人体解剖が行われた。ここに解剖室(Teatro Anatomico)があり、見学させてくれる。(入場料はなし) ただし、第二次大戦で破壊されたようで現在のものは復元されたもののようである。

宮殿というので探したが分からない。よく探してみたらサン・ペトロニオ教会の左手の建物に入り口があった。(場所が分かりにくい)

廊下の壁には学んだ学生や学者の紋章が飾られている
廊下の額の部分

解剖室テアトロ・アナトミコ

以下、ボローニャの風景

裏通りの市場

帰りは下記の時刻で帰ってきた。列車はかなり空いていた。帰りの列車で左前の女性が30分以上携帯でしかも大きな声で電話をしていた。イアタリア人の典型的なおしゃべりのようでした。とにかく、よくしゃべる。
日本と違い、列車内での通話はマナー違反ではないようです。
イタリア語は分かりませんが、”ペルケ(何、なぜならという意味)”という言葉がよく使われていました。
BOLOGNA
ボローニャ
FI.SMN
フィレンッエ
所要時間
16:16
17:32
01:16


-----------------以下 フィレンツェ---------------
夕食をしたメディチ家礼拝堂の向かいのレストラン、13ユーロのツーリストメニューを食べました。特に文句はない内容でした。(疲れていたのであまり食欲がなかったので量が少し多かったように思います。)
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