イタリア2010
2010年1月27日(水)
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朝食は添乗員の説明通り、極めてシンプルなコンチネンタルスタイル。
家で食べる朝食とほとんど変わらない。

この程度・・・

パンの味はまあ、まあ

コーヒーは自動サーバー、味はあまり良くない
ポメーツィアのホテルからバスでカゼルタ王宮に向かった。
天気は良くなく小雨が絶え間なく降っている。
 

王宮正面、この道路の地下に駐車場がある。
カゼルタ宮殿は、18世紀にブルボン家のナポリ王が建てたものである。
ヨーロッパで建てられた中の宮殿では最も巨大といわれる。
1996年、UNESCO世界遺産に登録された。
1752年にナポリ王カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)がお抱えの建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリに命じて建設が開始された。
その後、カルロ7世は1759年にスペイン王となり、実際に住んだのは三男のフェルディナンド4世(シチリア王フェルディナンド1世)だった。
ヴァンヴィテッリがモデルにしたのはヴェルサイユ宮殿だった。

ベルサイユよりは少し豪華さがない

この通路の奥に庭がある

『アマルフィ女神の報酬』でこの階段を警官隊が走って行く場面に使われている

右画像正面の像の裏側から見た

浴室、ちょっと広すぎて冷えるのではないか・・・

豪華なシャンデリア

プレゼーピオ(Presepio)

宮殿の展示物にプレゼーピiオのコーナーがあった。
分かりやすく言えばジオラマと同じである。
クリスマスの時期から翌年の2月頃まで展示されるそうだ。(バチカンのサンピエトロ広場にもあった)
イタリアではナターレ(クリスマス)にキリストの生誕をジオラマ風にしたプレゼーピオを飾る。
家、教会、町の広場で実物大プレゼーピオを作ったりする。聖書のシーンに分けられていて、物語のように楽しむことができる。

庭園がかなり遠くまで延々と岡の上まで続いている
ナポリはかなり治安が悪いと言うことで車窓観光となりました。
実際の所はツアーの時間の関係でそう言っているのかもしれません。

たまご城

メルカダンテ劇場
卵城(castle de'll Ovo)
サンタルチア港の小島に突出して作られた要塞である。
もともとはローマ帝国にルクルスが建築した豪華な別荘であった。
11世紀にノルマン人のオートヴィル家がナポリを支配すると、要塞として機能を拡大する。
ノルマン人がこの城を築くにあたって
、基礎の中に卵を埋め込み、
「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけた
ことが城の名前の由来と言われている。
アンジュー家統治時代には税を納めるための倉庫に使われた。
卵城の屋上からは、ナポリの街並み、サンタルチア港、遠くにヴェスヴィオ火山までが見渡せる。
     引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

ナポリ湾 パノラマ画像

ヌオーボ城
ヌオヴォ城(Castel Nuovo)
「新しい(Nuovo)城」を意味し、卵城と区別するために命名された。
別名アンジュー砦とも呼ばれる。
13世紀にアンジュー家出身のナポリ王カルロ1世が、フランスのアンジェ城をモデルに建築したといわれている。
アンジュー家支配末期に度重なる戦闘の舞台となり、大きく破損するが、15世紀から18世紀にかけて改築されて、現在に残る。
正面に3つの円筒形の塔を持ち、2つの塔の間に凱旋門が建っている。
    引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウンベルト1世のガレリア
ウンベルト1世ビアンカマーノ(Umberto I Biancamano, 980年頃 - 1047年/1048年)は、初代サヴォイア伯(在位:1003年 - 1048年)。サヴォイア家の祖。
ビアンカマーノとはイタリア語で「白い手」という意味だが、本当に手が(揶揄される程に)白いという意味ではなく、「清廉な人」を指す尊称である。
フランス名ではアンベール・オ・ブランシェ・マン(Humbert aux Blanches Mains)。
ウンベルト1世はサヴォイア地方モーリエンヌ(ハンニバルが山越えに用いたとされる)の貴族として生まれた。
ウンベルトはイタリア、オック、サクソンなどの血を引いていたと言われている。
ブルグント王ルドルフ3世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が争った際、遠い縁戚であったハインリヒ2世を支持して彼を助けた。
その功績から1003年にサヴォイア伯に叙任され、加えてアオスタやブルゴーニュの一部を任せられるなどハインリヒ2世の家臣の一人となった。
1040年に再びハインリヒ2世がイタリアに兵を進めると、ウンベルト1世は軍の右側面を担当した。
ハインリヒ2世死後、ウンベルト1世は所領を実質的に自らの所領として私物化し、勢力としての独立を得た(サヴォイア伯国)。
皇帝死後の混乱期において、僻地であったサヴォイアは紛争を避ける事が出来た。
1048年(1047年説あり)にウンベルトは亡くなり、所領は長男のアメデーオ1世が継承した。
ウンベルトの子孫が後にイタリアを統一し、イタリア王に即位することになる。
       引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

市内はトロリーバスが走っている
新しい地下鉄路線は作っていることはいるが、遺跡が出るのでその調査で完成はいつになるか分からない
トンネルに入る手前で突然バスがエンスト、入ってから止まったら大渋滞になるところだった

今夜はナポリ風ピザ

ピザ職人さん

サラダ・ミスト(野菜だけ)

ピッツア、マルガリータ(トマトソースだけ極めてシンプル)

オレンジケーキ(シロップ付け)

店の内部

キリストの涙(Lacryma Christi)というワイン

参考までに飲み物の価格リスト
ナポリで有名なワインだが、観光客向けのワインという批判もある。
サタンが天国を追われたとき持ち出した土地を落としてしまった。そこにナポリが出来た。しかし、ナポリの人は堕落してしまった。それを見たキリストが涙を流した。その涙が落ちたところからブドウの木が生えた。そのブドウから出来たワインがラクリマ・クリステということになっている。まるで養老の滝のような話である。

ホテルの窓から、右側はナポリ駅

グランド・ホテル・ヨーロッパの正面

ホテルの横にあるお菓子屋さん
おいしいという評判で買いに入った人たち。この売り子のおばさん、ぶっきらぼうで無愛想。 食べた感想を聞いたら大したことはなかったとのこと
ピザに関しては大阪の福島のイタメシのピザの方がうまいと個人的には思う。
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