2010年1月28日(木)
|
|
|
7時半にホテルを出発、バスでマテーラに向かう。
マテーラにはサッシと呼ばれる洞窟住居がある。サッシはサッソ(岩)の複数形である。
トルコのカッパドキアとよく似ている。
一時はイタリアの恥とされ、イタリア政府の命で移住が強制的に行われた。 |
|
サンタ・マリア・デ・イドリス教会(S.Maria de Idris)洞窟教会 |
エノクは、旧約聖書の『創世記』や偽典でエチオピア正教の正典である『エノク書』、『ヨベル書』にその名前が現れる人物。エノクとは「従う者」という意味で、ヤレド(イエレド)の子、メトセラの父とされる。イスラム教の経典・コーランでは、エノクは預言者イドリースとして記されている。『エノク書』は、彼に帰せられた物である。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
|
マテーラはメルギブソン監督のイエス・キリストが処刑されるまでの12時間を描いた作品『パッション』のロケ地である |
出演: ジム・カヴィーゼル, モニカ・ベルッチ, マヤ・モルゲンステルン
監督: メル・ギブソン
製作者: メル・ギブソン
公開:2004年5月
時間: 127 分 |
|
ドーモ |
|
イタリア名物洗濯干し |
|
|
サッシ(岩壁を意味するサッソの複数形)とは、洞窟住居のことである。マテーラのあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食により造成され、渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在している。
このサッシがいつ頃から作られたかは不明だが、8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれている。
マテーラ周囲からは、旧石器時代の出土品も発見されているため、かなり古くから人々が住んでいたと考えられている。
15世紀から16世紀には、オスマントルコに追われたアルバニア人やセルビア人などが移住。
当時マテーラを支配していたアランゴーナ家は、この地域をジャンカルロ・トラマンターノ伯爵に売り渡す。
トラマンターノ伯爵は、マテーラに重税を課すが、住民はこれに反発し伯爵を惨殺する。
その後、マテーラは1663年にバジリカータの州都となり繁栄期を迎える。
しかし1806年にポテンツァに州都が移され、その後の経済逼迫の影響もあり衰退していく。
その後、長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされ、第二次大戦時には不衛生で不便な暮らしが嫌われ、廃墟と化していった。
その評価を気にしたイタリア政府が、1970年代以降、建築学上貴重なものとして省みるようになった。
政府が保存に乗り出し、世界遺産へ登録が後押しとなり、人が戻り始め、現在は洞窟住居の7割に人が住んでいる。
また、サッシを利用したホテル、オフィス、レストランも開業した。
引用:フリー百科事典『Wikipedia』 |
|
サンタ・マリア・ディ・イドリス(S.Maria de Idoris)教会
洞窟教会 |
授乳しているマリア、珍しい壁画だそうです |
教会内部 |
|
|
|
|
|
洞窟住居見学の入場券売り場 |
洞窟住居 |
洞窟住居内部 |
サン・フランチェスコ・ダッシジ教会
. francesco d'Assisi |
教会前の広場
正面ナポリ銀行 |
教会ファザード上部のマドンナ像 |
|
カフェのウインドウ内のお菓子 |
イタリアでよく見かける三輪車 |
|
|
|
|
昼食はマテーラの洞窟レストランだった。(トルコでも似たようなところで食事をした)
その通りの店の名前は”CASA GROTTA di vico Solitalio”
焼きなすがうまかった。
イタリアに来て感じたことだが、エスプレッソの味がもうひとつだ。
日本のカフェラテの味に慣れてしまったのか、イタリアのカフェラテがあまりいいとは思えない。 |
マテーラのレストラン Casa Crotta di vico solitario |
洞窟レストラン内部 |
ここのパンは意外においしい |
焼きなす |
レンズ豆とポーク |
オレンジケーキ(リキュールづけ) |
|
|
昼食の後自由時間が30分ほどあったが、例のシェスタで店はカフェ以外は全部閉店。
しかし、商売上手な店もあり、我々の団体の”おばさん”連中がウインドウを覗いていたら、店を開けた。
さっそく中に入って買い物が始まった。この店今日はもうかっただろう。
マテーラを後にアルベロベッロに向かった。
アルベロベッロに着くいたのは5時近くだった。 |
|
|
|
|
|
トルッロ (trullo)
イタリアのサレント半島で多く見られる形式の住居で、特にアルベロベッロが有名であり世界遺産に登録されている。この町では集合して存在することから単数形であるトルッロより複数形のトルッリ (trulli) で呼ばれることが多い。
トゥルッリには生活に欠かせない工夫も施されている。この辺りは川や湖がなく、降水量も僅か。しかも薄い土壌の下は巨大な岩盤になっていて、井戸を掘ることもできなかったので、円錐形の屋根で受けられた雨は、傾斜によって雨水を集め、水路を通して、床下の貯水槽に貯められ生活用水に使われている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋引用 |
トルッリの構造 |
|
|
|
|
|
|
|
サンタントニオ教会(S.Antonio) |
教会内部 |
サンタントニオ教会(S.Antonio)はトゥルリ建築の教会で1926年に造られた。 |
車の下にいた猫(アルベロベッロ) |
土産物屋の黒猫(アルベロベッロ) |
サンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノの聖所記念堂
Santuario dei Ss,Medici Cosma e Damiano |
聖所記念堂は教会と同じだがキリストを祭っていない |
|
|
アルベロベッロの夕食は泊まったホテルのレストランであった。
オーナーの息子が給仕に回ってきたがかなりのイケメン。
食事の方は例によってあまり珍しい物なし。
しいて珍しいと言えばオレキエッティくらいか、これも給食のランチにも出たのと似ているが・・・。 |
アルベロベッロの夕食(ホテル食堂) |
耳たぶパスタ(オレキエッティ) |
ポーク |
デザート |
ホテルの部屋は少しせまいが、比較的新しくバスもきれいだった。
残念ながらインターネットはだめだった。(やはり田舎・・・) |