5月25日(土) ピストイア、バルジェッロ美術館
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今日は朝から雨が降っている。どうも止みそうにない。
少し、疲れも出てきたので近くに行くことにした。
予定のピストイアに出かけた。
例によってサンタ・ノベラ駅から電車に乗った
ピストルはイタリアのピストイヤ地方で作られたからとも言われている。
その語源はスペイン語の「曲がった柄(ピスタラ)」とも言われている。

フィレンツェから約40Km

早朝は切符売り場の窓口はこれくらいです。
ただし、切符の印字がJRに比べかなりのろい。
この発行速度では少し込んでくるとかなり待たされるだろう。

ピストイヤまで1人4.1ユーロ

8時10分発のビアッレッジョ行きに乗り込む
電車は2階建て 、この距離では通勤列車のようだ。
乗ってから少しすると女性が入ってきて座席に何か書いてある小さな紙片を置き始めた。
検札係が来て電車から出るように言われると、置いた紙片を回収して出て行った。
お金を渡している女性客が1人いた。 
後で翻訳してみると、
子供が3人いますが
貧しくて仕事も家もありません、
少しお金を恵んで私を助けてください。
あなたの援助に感謝します
 30分くらいでピストイヤに着いた.
少し雨が小降りになったが、まだ傘は必要だった。
涼しいというよりは寒い。
どうもイタリアの駅にはあまり個性がない。
どこもよく似ている。 
ピストイア駅のプラットホーム 

雨のピストイア駅 午前8時55分
 ピストイア(イタリア語: Pistoia )
イタリア共和国トスカーナ州北部にある都市で、その周辺地域を含む人口約9万人の基礎自治体(コムーネ)。
ピストイア県の県都である。
フィレンツェの北西約33kmに位置し、その大都市圏 (it:Area metropolitana Firenze - Prato - Pistoia) に含まれる。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

駅前から9月20日通りを進むt旧市街の中心部へ

バンヌッチ通りVia Vannnucciの入り口に城壁の跡
9月20日通りVia XX Settembre
1870年9月20日はイタリア軍がローマに侵攻し イタリア統一を果たした日。
1861年、サルデーニャ王国によるイタリア統一(リソルジメント)が成立し、
サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア国王となったが、
まだローマは教皇の支配下にあった。
1870年に普仏戦争が勃発し、ローマ教皇領を守っていたフランス軍が撤退した。
それに乗じてローマに侵攻し、翌年ローマへ遷都、実質的にイタリアが統一された。
 人通りが少なくて、ちょっとさびしい
 
青空市場
 

ポデスタ館Paqlazzo del Podesta 14世紀
  

壁に貼り付けられた紋章、かなり壊れている 
ポデスタPodesta
13世紀にピストイアでは教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)が対立し,政治は混乱した。
そのため他都市出身の司法官が一定期間の政治を行うポデスタ制が行われた。 

鐘楼

洗礼堂(フィレンツェのとよく似ているが、小さい)
アンドレア・ピサーノ設計(14世紀)
  
ドゥオーモ広場にテントが設営されており、『Dialoghi sull'uomo』と書かれている。
直訳すると『人間との対話』?、なんのエベントかよく分からない。

鐘楼と洗礼堂
 
大聖堂Duomo

雨が降っているのでカメラアングルがうまくとれない

仕方がないのでWIKIPEDIAの画像を引用
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

ドゥーモ内部
 
サン・ジョバンニ・フォルチヴィタス教会
San Giovanni Fuorcivitas
閉まっていて入れず
  
教会の鐘楼、屋上に木が植えてある 
 
 閉まっていて入れなかった(時間が早すぎたのか?)のでWIKIPEDIAを引用して内部を紹介する。

説教壇pulpiti

聖エリザベッタの訪問
Visitazione
ルカ・デッラ・ロッビア作の彩色テラコッタ
Luca della Robbia

聖水盤
acquasantiera della scuola
ジョヴァンニ・ピサーノの
若い頃の作品
 
 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
ルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia, 1400年 - 1481年)
フィレンツェ出身のイタリアの彫刻家。
テラコッタの丸皿で知られる。
ルカ以降、デッラ・ロビア家は土器芸術家の名門となり、甥のアンドレア・デッラ・ロッビア、
その子ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアを輩出した。
ルーカ・デラ・ロッビアとも表記される。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
聖エリザベッタの訪問VIsitazione Santa Elisabetta
エリザベッタは新約聖書の登場する人物で洗礼者ヨハネの母とされ、
イエスの母マリアと親戚(従姉妹)になる。
マリアがエリザベッタを訪問して「神を子を宿す器になったこと」を神に感謝する。
ジョヴァンニ・ピサーノGiovanni Pisano, (1250年頃 - 1315年頃)
イタリアの彫刻家、画家、建築家。
父親は有名な彫刻家のニコラ・ピサーノで、ジョヴァンニは父親の工房で修行を積んだ。
父とともにシエナ大聖堂の説教壇、ペルージャのフォンターナ・マッジョーレの大噴水を製作
単独ではピサ大聖堂の説教壇を製作。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 

市庁舎の中庭、吹き抜けになっている
 
いったん,雨が小降りになり、止むかと思ったら、ざあざあ降り出した。
寒くてこれ以上街の中を歩くのは無理なのでフィレンツェへもどることにした。 

帰りの電車 10:12分発

落書きだらけの列車 
 
ピストイア 動画
 フィレンツェに戻ってバルジェロ美術館に向かったが、
雨は完全に本降りになり、雷まで鳴り出した。 
ここを見学して雨の止むのを待つことにした。

バルジェッロ国立博物館
Museo nazionale del balgello

博物館中庭

壁にくっつけてあるのは貴族の紋章

この片足立ちの像
OMMビルの前にあったのと同じ
この銅像は2匹の蛇の絡まる杖を持つヘルメス=エルメス 
手に持っているのが有名なヘルメスの杖で一橋大学の校章にもなっている。
ヘルメスは商業の守神となっている。 

ヘルメスの杖

一橋大学の校章
 バルジェロ美術館(Museo Nazionale del Bargello)
イタリアのフィレンツェにある美術館。かつてはバルジェロ宮殿 (Bargello Palace)
あるいはポポロ宮殿 (Palazzo del Popolo) とも呼ばれ、兵舎と監獄として使われていた。
単にバルジェロといえば、一般にこの建物を指す。
"bargello" という語は後期ラテン語の bargillus に由来し、「城」または「要塞の塔」を意味する。
中世イタリアでは、治安維持を担う軍の士官をバルジェロと呼んだ。
取締り対象との癒着を防ぐため、フィレンツェでは他の都市の出身者がこの役に就いた。
現代で言えば警察署長に近い。
この士官が事務所として使っていた建物もバルジェロと呼ばれるようになっていった。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
 
バルジェッロ美術館 動画
バルジェロ美術館にもデシデリオの作品がある。
彼の彫刻の顔に特徴がある。
ちょっと現代風(コミック漫画風に感じるが・・・)
他の作品の顔は威厳があったり、美人過ぎたりするが、
デジデリオの顔は一見普通のようだが、少し違う。
これはバルジェロ美術館のものではないが、ほりが深くなく、のっぺりしているが、上品な印象を受ける。
見ればどこか同時代の作品の顔立ちと違う印象を受ける。
デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ『イエスとヨハネ』
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
バルジェッロ美術館を見学して出てくるときにはかなり雨は小降りになっていた。
まだ、夜までには時間があるのでポンテ・ベッキオに行ってみた。 
途中、シニョリーア広場で碑版に献花されているのを見かけた。
ここはサボナローラが火あぶりにされて処刑された場所だそうだ。
 雨のシニョリーア広場Piazza della Signoria

サボナローラ処刑場所の記念碑
5月23日がサボナローラが処刑された日。
今日は25日なのでまだ献花が残っていたのだろう。
ジローラモ・サヴォナローラ (Girolamo Savonarola)1452年9月21日 - 1498年5月23日
フェラーラ生まれのドミニコ会修道士。
フィレンツェで神権政治を行った。
宗教改革の先駆と評価されることもある。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
教会の前に車が横付けされ、ウエディングドレスの花嫁さんが下りてきました。
ちょっとドレスが雨に濡れてかわいそう。
しかし、彼氏と人目もはばからず、熱い、熱い、キス・・・。
これじゃ、雨も止むわけだ。
 ポンテ・ベッキオの辺りを散策しているうちに雨は止んだ。
 
ポンテ・ヴェッキオ

バザーリの回廊

ベンヴェヌート・チェッリーニ
Benvenuto Cellini
ベンヴェヌート・チェッリーニBenvenuto Cellini, 1500 - 1571
ルネサンス期イタリアの画家、彫金師、彫刻家、音楽家。奔放な「自伝」でも知られる。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》  
 
雨上がりのポンテ・ヴェッキオ
スーツケースにひびが入っているのに気がついた。
フィレンツェ空港に着いた時、気がつけばよかったのだが、ホテルに入ってから気がついた。
固定するためのガム・テープをスーパーに買いに行くことにした。
ポンテ・ベッキオを渡ってすぐ、左へ曲がったところにCONADというスーパーがあるので行ってみた。
コンビニを少し大きくしたようなスーパーだった。
さて、ガムテープをイタリア語で何というのだろう?
持参のアイフォンの辞書で引いてみた。
”nastro adesivo”とある、発音が分からないので画面を店員に見せたら、
置いてあるところに案内してくれた。

ポンテ・ヴェッキオの近くのスーパーCONAD
まだ、時間があるのでスーパーで買ったものをいったんホテルに置きにもどった。
さすがに歩きすぎて足が棒のようになった。
少し、仮眠をとってから夕食に出かけることにした。
今日の夕食は少し軽いものをと考え、近くをぶらついてみた。
今晩、サッカーの試合があるらしく、レストランの前に張り紙してあった。
旅行客はあまり関心がないのか、試合が大型テレビに映し出されても見ている人は少なかった。

MENU1のスパゲッティとサラダとビールにした

サラダ、かならずパンが出る
撮影条件を間違えたので色が変になりました

スパゲッティの量は少なめ(値段が安いから)

別にカプチーノとジェラートを注文
カプチーノ2.5ユーロ×2
ジェラート(アイスクリーム)5.3ユーロ×1
レシートのTartufoはトリュフのことだが、食べたのはアイスクリームだったが???
インターネット検索するとチョコレート・アイスクリームをこのように言うらしい。、 
ホテルに戻る途中で分別ごみ箱を見かけた。
だれにでも分かるようにえが絵が描いてある。
 
 
どこに捨てればいいかよく分かりますね・・・ 
夕方になって晴れてくれて助かった。 
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