5月26日(日) ボローニャ |
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今日はラベンナに行く予定だったが、フィレンツェから近い割には時間がかかる。 少し、疲れも出てきたので無理をせず、前回行けなかったボローニャのサン・ルカ聖堂に行くことにした。 行くことを予定していなかったので下調べをしてこなかった。 ボローニャ行きの電車の時刻と料金をインターネットで調べてみた。 それで気づいたのだが、時間帯、日によって料金が違うことだ。 |
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2人で23ユーロ(1人15.5ユーロ) |
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やたら大きい切符で日本のように座席番号や列車番号が小さくて老眼には分かりにくい。 そのこともあってか、鉛筆で印をつけてくれていた。 イタリアの国鉄も民営化されて少しはましになったのか、しかし、切符の発行が日本に比べ遅い。 この切符はINTERCITY、日本の急行?の座席指定と考えてよいだろう.。 |
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駅前からポルチコ(アーケード)を通って町の中心部に歩いて行く。 ポルチコは装飾ではなく、ボローニャの人口増加に伴う対策で、歩道の上に部屋を作るための実用的な手段であった。 ポルチコ(イタリア語:Portico、またはポーチコ、ポルティコ) 建物の玄関に導く、あるいは柱列として拡がるポーチであり、柱で支えられるか壁で囲まれた歩道上に屋根がある構造である。この概念は古代ギリシアでまず現れ、西洋文化の大半など多くの文化に影響を与えてきた。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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ガッリエラ門はボローニャを守るため17世紀に作られた町を囲む城壁の入り口。 17世紀までなんどとなく解体、再建築が行われ、現在の形になった。 この門は2007年から2009年にかけ、復元されたものである。 |
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ヌルシアのベネディクトゥス(羅:Benedictus de Nursia, 480年頃 - 547年) 中世のキリスト教の修道院長で、西方教会における修道制度の創設者と呼ばれ、ベネディクトスの著した会則は西ヨーロッパに広く普及し、やがて「西欧修道士の父」と称されるようになった。 カトリック教会・聖公会・ルーテル教会および正教会で聖人。 ベネディクトやベンディクトとも表記され、イタリア語ではベネデット(Benedetto)と呼ばれる。 正教会ではノルシヤの克肖者聖ベネディクトと称される。 529年ころイタリアのローマとナポリの間にあるモンテ・カッシーノ(イタリア共和国ラツィオ州)に修道院を設け、540年ころ修道会則(戒律)を定めて、共同で修道生活を行った。 彼の戒律に従った修道会の1つをベネディクト会と呼ぶ。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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正面は道路に面していて、道路幅せまくて、全体が入らない、そのためパノラマ合成しました。 この教会を過ぎるとマジョーレ広場です。 サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意味で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みである。 |
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サンピエトロ大聖堂は初期キリスト教の教会が起源で、それが12-13世紀に拡張された。 鐘楼は13世紀のもので、聖堂内陣はティバルディ(1575)によるものである。 現在の教会はコルシーニとVerschaffeltの彫像で飾られ、ファサードはTorreggiani(1743年から1747年)、その後、Tadoliniが加わって(1776年)、Mazentaによるデザイン(1605年)で再建された 内部にはロマネスク様式のライオンの聖水盤、グラツィアーニらの絵画、ブルネッリらの彫刻、ロンバルディのテラコッタ内の哀悼の詩。 カラッチらによる内陣のフレスコ画などがある。 |
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今回、サン・ルカ教会について十分調べて来なかったのでインフォーメーション(i)で尋ねた。 路線バスで行くか、トレインバスで行くか、どちらにするかと言われたので路線バスで行くと答えた。 下の地図をくれて、PIAZZA MALPIGHIまで歩いて行って、20番のバスに乗り、VILLA SPADAで下車し、サン・ルカ行きのバスに乗り換えるように言われた。 ※しかし、VILLA SPADAからのバスが12:15しかないことを、言ってくれなかったのは不親切だった。 あとでインターネットで検索したら、メロンチェッロ(MELONCELLO)まで行って、30分(実際は1時間くらい)ポルチコを登ればサン・ルカに到着するとのことだった。 1時間バスを待つことを考えればかなり早く到着できたはずだ。(Villa Spadaを見学すれば時間はつぶせるが・・・) また、トレインバスの方が本数が多いのでそちらを勧めてくれるべきだった。 |
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Villa Spadaの次の停留所がMelonchello(”レモンチェッロ”と間違えそう) |
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20番のバスの時刻表 切符は車内でも買えるが小銭が必要、前もってインフォーメーションの近くで買っておくのが正解。 |
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この別荘は古いもので、1774年頃の記録に残っており、Casino Zambeccariとして知られていた。 1795年所有者のLacco Zambeccariが亡くなり、何人かの手を経て1820年Spadaが購入した。 その後も転売されて1960年代にボローニャ市が購入し、1970年代に一般に公開された。 現在はタペストリーの歴史博物館になっている。 |
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58番 Villa Spada→BASILICA DI SAN LUCA
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くねくねくねと山道を迂回して走るのでMELONCELLOからに比べかなり時間がかかる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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聖ルカ教会のマリアの記念堂(Santuario della Madonna di S. Luca) 聖ルカ教会は標高289mの丘の上にある。 全長3796mのポルティコ(柱廊)が続いていおり、アーチには番号がつけられており、全部で666本ある。 1674年〜1715年に寄付で造られた。 1433年の春、長雨で農作物の収穫が悪くなりそうな気配だった。 教会の祭壇の『聖母マリアと幼子キリスト』の絵を街へ移した。 絵が街に到着したとたん、雨が止んだという言い伝えがある。 そのため毎年一回祭壇の絵を聖ピエトロ聖堂まで一週間かけて運ぶ行事が出来た。 |
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ルカ( Lukas, ギリシア語発音でルカス, 福音記者ルカ) 新約聖書の『ルカによる福音書』および『使徒行伝』の著者とされる人物。 聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。 カトリック教会での記念日は10月18日、正教会での記憶日は4月22日(5月3日)である。 西方世界では医者および画家の守護聖人とされる。 日本語表記では、「路加」とも書かれる。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 ※スターウォーズの主人公の名はルーク・スカイウォーカー |
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聖堂内部 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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サンルカからポルチコを下る 動画 |
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メロンチェロまで下りてきて20番のバスに乗り、引き返した。 マジョーレ広場の辺りをぶらついてみた。 今日は天気がよくて気持ちがいい。 |
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バンキ宮殿とサン・ペトロニオ大聖堂Basillica di San Peteronio |
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大聖堂の前の看板 Felsinaeシソーラス(ボローニャの宝)プロジェクト ボローニャはエトルリア人によってフェルシナ(Felsina)と名づけられた。 |
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大聖堂は1390年に着工されたが、未完成に終わっている。 完成するとカトリック教会最大級になるため、バチカンの圧力がかかったからとも言われている。 イタリアの教会は普通は十字架の形をしているが、この教会は未完成のため身廊だけの長方形になっている。 教会の横の道路を行くと伸び損なった壁が見られる。 |
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高い方の塔はアッシネリの塔(Torre degli Asinelli)といい、高さは97mある。 低い方はガリセンダの塔(Torre Garisenda)で48mある。傾き始めたので少し削って低くしたとのことである。 |
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このピザ屋さん、ホットドッグも売っている。 ソーセージを茹でて、からしとケチャップをつけて渡すので時間がかかる。 ホットドックを売るとは、イタリアもアメリナナイズされてきたのだろうか? 斜塔の近くの本屋に入ろうとしたが15時まで休み。 観光客にものを売りたければ昼休みなんかするな !! |
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ゆっくり歩いてボローニャ駅に戻った。 帰りの時間帯にはICもREGIONARE(普通)もない。 仕方がないのでユーロスター(FRECIA ROSSA赤い矢)に乗ることになってしまった。 ちょっと運賃が高いが、イタリアの新幹線に乗るのもいい経験だろう。 |
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帰りの切符、さすが新幹線、運賃は58ユーロ(1人29ユーロ)と高いが、行きは1時間半、帰りはたったの30分 |
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列車の時間にルーズなイタリアも新幹線だけは正確だった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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トレニタリア (Trenitalia) イタリアの国鉄 (Ferrovie dello Stato、FS) の列車運行業務を引き継ぐ民営鉄道会社である。 トレニタリアは、イタリアの国鉄 (Ferrovie dello Stato) の業務を引き継ぐ民営鉄道会社だが、イタリア国鉄自体は民営化しフェッロヴィーエ・デッロ・スタート株式会社 (Ferrovie dello Stato S.p.A.) となり、トレニタリアの株式を全てもつ親会社である。 よって略称は国鉄時代を引き継ぎFSのままになっている。 優等列車 ・Frecciarossa(フレッチャロッサ) 「赤い矢」の意味。ETR500型による高速列車で、イタリアの「看板列車」である。 高速新線(ディレッティシマ)を最高速度300km/hで走る。 ・Frecciargento(フレッチャアルジェント) 「銀の矢」の意味。ETR485型、ETR600型又はETR610型振り子式電車(ペンドリーノ)による高速列車で、ディレッティシマを最高速度250km/hで走る。 ※ヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ(NTV)社が運行している.italo(イタロ)もある。同じ路線に2社が列車を走らせている。 Frecciabianca(フレッチャビアンカ) 「白い矢」の意味。都市間長距離列車で、機関車+客車の編成で運用される。運賃面でもInterCityより一段高い特急列車。 InterCity(インテルシティ) イタリア国内の都市間を結ぶ特急列車。機関車+客車の編成で運用される。 EuroCity(ユーロシティ) イタリアの都市と、国外の都市間を結ぶ国際特急列車。スイス方面へ運転されていたCisalpino(チザルピーノ; ETR470型又はETR610型電車により運行)も、チザルピーノ社営業終了に伴いユーロシティに統合された。ミラノとフランスのパリを結ぶ列車にはフランスのTGVが使用されるが、イタリア国内はユーロシティの列車種別で運転される。 InterCity Notte(インテルシティ・ノッテ) イタリア国内の都市間を結ぶ夜行列車。 EuroNight(ユーロナイト) ヨーロッパの都市間を結ぶ国際夜行列車。 ローカル列車 Regionale Veloce(レジョナーレ・ヴェローチェ) 中距離運行の快速列車。 Regionale(レジョナーレ) 普通列車。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 NTV(Nuovo Trasporto Viaggiatori) トレニタリアと同じ線路を走る、2番目の高速鉄道会社。(大丈夫かいな・・・) 日本では理解しがたい、新幹線の線路にJR以外の私鉄が乗り入れているようなもの。 2006年12月に、フィアットの会長とその他の実業家の共同出資で設立された。 車体は「イタリアの」という意味のイタロ(Italo)とよばれ、フェラーリと同じ赤色に塗装されている。 車内デザインはジウジアーロが手がけている。(潮来の伊太郎を想像してしまう・・・・) |
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SMN駅にあるitalo、初めは何か分からなかった。 |
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フィレンツェにもどったが、まだ十分時間がある。 ジオットの鐘楼に登ることにした。 以前にも登るつもりだったが、1回目は工事でだめ、2回目は休みでだめ、今回は3度目の正直だった。 風は強いがよく晴れており、視界は抜群だった。 しかし、こんな高い塔を石を積み上げて立てる技術は大したものだ。 このような建築工法の秘密を守るためにフリーメーソンが出来たと聞いている。 |
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ジオットの鐘楼に登る |
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ジョット・ディ・ボンドーネ(伊: Giotto di Bondone、1267年頃-1337年) 中世後期のイタリア人画家、建築家。日本でも諸外国でも単にジョット(ジオット)と呼ばれることが多い。 フィレンツェ共和国(現在のイタリア・トスカーナ州近辺)の首都フィレンツェ近郊の出身といわれており、その絵画様式は後期ゴシックに分類され、イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家と見なされている。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 今日の夕食は何にする? 個人旅行で困るのは食事の選択、どうにもならない時は中華になってしまう。 今日は歩きすぎて足がだるいので駅の近くの『京都飯店』に行った。 |
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満腹になったので、朝までぐっすりと寝た。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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