2015年2月12日(木) 4日目
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 やはり、ちょっと時差ぼけで昨夜は午後9時過ぎに寝たので5時頃に目が覚めてしまった。
パソコンを起動したが、ホテルのWiFiの調子が悪くインターネットにつながらない。
フロントに私以外に数人、どうしたのかと尋ねに来ていた。
張り紙くらいすればいいのに、このあたりはアバウト・・・。
ホテルはサンタ・ノベラ駅のすぐ横でトラムの乗り場の前で、窓から覗くともうトラムが動いていた。
 
早朝のトラム

早朝のドォーモとサンタノベラ教会

早朝のトラム
 『トスカーナの休日』で有名になったコルトーナに出かけた。
コルトーナへは国鉄のカムーチャ・コルトーナ駅からバスで行く経路にした。
SMN駅7:34分発の普通電車に乗った。
ホテルの朝食は6時半から、レストランはフィレンツェにしては近代的で垢抜けしている。
クラシックが好みの方は少し違和感があるでしょうね。

新鮮野菜はあるのだがドレッシングがない

さすが☆☆☆☆ホテル遮音性は完璧
『トスカーナの休日』で有名になったコルトーナに出かけた。
コルトーナへは国鉄のカムーチャ・コルトーナ駅からバスで行く経路にした。
SMN駅7:34分発の普通電車に乗った。
サンタノベラ駅 

CHUAI-CHIANCIANOの行き、16番線

アレッツオから2駅目
 
16番線が14番線に変更になっていた。
Italoのフレッチャロッサが横に止まっていた。ここだけ、ホームで検札をしていた。
通常線に新幹線が止まっているのは少し変に感じる。 

カムーチャ・コルトーナまで普通電車運賃は10.2ユーロ
 

通学の学生たちが降りたら電車はガラ空き

アレッツオオ8:55分発だが5分遅れで発車
カムーチャ・コルトーナ駅到着が9:14分で9:15分のバスに乗れる予定だった。
これはJRの話でイタリア国鉄では通用しない、5分遅れて到着し、バスに乗れなかった。
次のバスは10:15分で1時間後、タクシーに乗ろうとしたが止まっていない、電話をかけて来てもらおうとしたが出ない。
どうしようかと困ってしまって駅から出てきた女性に聞いたら、駅の横のタバッキ(カフェ)で呼んでもらえばよいとのこと、
タバッキの女性に頼んだら、快く電話をかけてくれた。
電話代を払おうとしたがいらないという、仕方がないのでお菓子を買って出た。5分ほどでタクシーが来た。
コルトーナは目の前の山の上で、10分ほどで到着した、料金はータ制ではなく、12ユーロだった。
ちなみにバスは2ユーロ、タクシーは5人乗りなので5人集まればタクシーに乗った方がよいかもしれない。
 
バスの時刻表
 
カムーチャ・コルトーナ駅
  
駅前にはタクシー待ちなし・・
ここがコルトーナではない。
ここから山の上に登るとコルトーナの町がある。 

駅前から山の上のコルトーナが見える

駅の横のカフェ、ここでタクシーを頼んだ
 
駅から見ると、山の上にコルトーナの町が見えます
 タクシー(12ユーロ)で10分くらいでコルトーナの町に到着
 
コルトーナの地図
 
ガリバルディ広場Piazza Garibaldi
 
ガリバルディの彫像
 ガリバルディはイタリア統一の英雄で、イタリアの多くの町に、ガリバルディの名の付く広場、彼の銅像がある。
   
 
市庁舎

女性警官、ずっとおしゃべりしていました。
しかし、スタイルいいですね。
 
シニョレッリ広場
 ルネサンス期の有名な画家ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli,)はこの町の生まれです。
 シニョレッリ広場の角にあるカフェで一服。カプチーノを飲みました。

店内、カプチーノ

カフェ『ビットリア』
 
戸棚の上のフィギュア
 

シニョレッリ劇場Teatoro Signorelli

ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli, 1445年/1450年頃 - 1523年)
ルネサンス期のイタリアの画家。
コルトーナの出身で、師はピエロ・デラ・フランチェスカであるとされるが、画風は師の理知的で静けさに満ちた作風とは異なり、ダイナミックな線描と正確な人体表現が特色である。
ボッティチェリ、ペルジーノらとともに、バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画装飾に携わっており、当代一流の画家とみなされていたことがわかる。
シニョレッリの裸体表現の彫刻的な力強さはミケランジェロの画風の先駆をなすものである。
ヴァザーリ(画家・美術史家)によれば、ミケランジェロはシニョレッリの仕事をいつも賛嘆しており、ミケランジェロ自身の代表作「最後の審判」の制作にあたってシニョレッリの表現を参考にしたという。
イタリア中部オルヴィエートの大聖堂にある「最後の審判」を題材とした壁画連作が代表的な仕事である。
フリー百科事典Wikipedia【詳細】 

アカデミア博物館

アカデミア博物館はもとはプレトーリオ宮(Plazzo Pretorip)で13世紀に栄えたコルトーナの貴族のカザーリ家の住居だった 

ドォウーモ横からの眺め

ドォウーモDuomo
 

ドゥオーモ前の広場の彫像
中世の家、2階部分が梁の支えで道に出っ張っている。今にも崩れそう・・・ 

サン・フランチェスコ教会

教会内部

ガリバルディ広場からの眺望

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ・アル・カルチナイオ教会

トラズィーメノ湖が見えている 

教区博物館Museo Diocesano del Capitolino
教区博物館にフラ・アンジェリコ作の『受胎告知』(「コルトナの受胎告知」)を見学に行く。
小さな博物館でこの絵とショニョレッリ絵以外に大きな目玉になる展示はない。

教区博物館の『受胎告知』フラ・アンジェリコ作
「コルトナの受胎告知」
(1433年から 1434年頃)

入場券

大天使ガブリエルの口から文字が出ている
「マリアよ、おめでとう。あなたは恵まれた方。主があなたと共におられます」  
フラ・アンジェリコまたはベアート・アンジェリコ(伊: Fra' Angelico / Beato Angelico、1390年 / 1395年頃 - 1455年2月18日)
 初期ルネサンス期のイタリア人画家。本名はグイード・ディ・ピエトロ (Guido di Pietro) で、フラ・アンジェリコは「修道士アンジェリコ」を意味する通称であり、「アンジェリコ」は「天使のような人物」という意味である。同時代の人々からは「フィエーゾレの修道士ジョヴァンニ」を意味するフラ・ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレという名前でも知られていた。
 フラ・アンジェリコは15世紀前半のフィレンツェを代表する画家で、イタリアでは存命時に「福者アンジェリコ」を意味するベアート・アンジェリコとも呼ばれており、これはフラ・アンジェリコが宗教的モチーフを題材とした絵画を描く才能に優れていたことに由来してい。1982年に教皇ヨハネ・パウロ2世がフラ・アンジェリコを福者に認定したことにより、名実ともに「ベアート・アンジェリコ(福者アンジェリコ)」となった。
 「フィエーゾレ」はフラ・アンジェリコの本名の一部だと誤解されることもあるが、単にドミニコ修道会に誓願を立てた場所の町名に過ぎず、他に同名のジョヴァンニという修道士がいたことから、二人を区別するために使用されただけである。ローマカトリック教会殉教者名簿 (en:Roman Martyrology) には「福者ジョヴァンニ・フィエーゾレ、愛称アンジェリコ Beatus Ioannes Faesulanus, cognomento Angelicus」という名前で記載されている。
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フィレンツェのサンマルコ美術館(2007年)

『受胎告知』 サン・マルコ美術館(フィレンツェ)
フラ・アンジェリコ作(1442年から 1443年頃)
VIRGINIS INTACTAE CUM VENERIS ANTE FIGURAM PRETEREUNDO CAVE NE SILEATUR AVE
汝来たりて、汚れなき乙女が絵姿の前を過ぐるとき、怠らずアヴェ [・マリアの祈り] を唱ふべく心せよ。
同じ図柄だがこっちのほうがなんだか固い印象。 

ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli)作『十字架降架』

フラ・アンジェリコ作
「聖母子と四聖人達」多翼祭壇画
帰りはバスで駅に行くため、ガリバルディ広場で待っていたが、来ない?
前にマイクロバスが止まっており、念のため聞いたら、駅まで行くバスだった。
もうちょっとで乗り損ねるところだった。 

どう見ても乗り合いバスには見えない
 
 駅へ着いて、窓口で切符を買おうとしたら、無人駅だった、
日本のように列車内で切符を買うことは出来ない。
自販機はあるが、使ったことがないのでどうしたらよいか分からない。
ちょうど、高校生達が駅に待っていたので、聞いてみたら親切に教えてくれた。
操作をみていたが、自力ではとても無理なのが分かった。次回からは使い方を覚えて置くことにする。

自動券売機での帰りの切符

SMN駅に戻ってきたらitaloが停車していた。

Venezia Santa Lucia行きでした。
ヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ (Nuovo Trasporto Viaggiatori,:NTV) はイタリアの鉄道事業者である。
イタリアの高速新線TAVで高速列車を運行することを目的に設立された。
2006年12月に、フィアットの会長ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロと、トッズのデッラ ヴァッレ社長他実業家が共同出資のうえ、設立された。
「イタリアの」という意味のイタロ(Italo)とよばれる車体、は赤色(フェラーリと同じ色)に塗装される。
車内のデザインはイタルデザイン(ジウジアーロ)による。
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 フィレンツェに戻ったがまだ時間が十分あるので、町中を散策しに出かけた。
 
シニョリーア広場 Piazza Signoria

洗礼堂は改装中

ベッキオ宮殿 Palazzo Vecchio

コジモ一世騎馬像

広場にあるサヴォナローラが
火あぶりになった場所の記念碑
コジモ1世(Cosimo I de' Medici, 1519 - 1574)
初代トスカーナ大公で、フィレンツェの名門メディチ家の1人。
引用引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

ジローラモ・サヴォナローラ (Girolamo Savonarola, 1452 - 1498)
フェラーラ生まれのドミニコ会修道士でフィレンツェで神権政治を行った。
宗教改革の先駆と評価されることもある。
フィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による独裁体制を批判し、信仰に立ち返るよう訴え、市民を感激させた。
メディチ家はフランスへの対応を誤り、フィレンツェを追放された。
その後はサヴォナローラが共和国の政治顧問となり、神権政治が行われることになった。
サヴォナローラの厳格な姿勢に対しては反対派の不満も高まり、1498年4月8日暴徒と化した市民が押し寄せ、サヴォナローラを拘束されよる裁判の結果、絞首刑ののち火刑に処された。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

ダヴィデ像(レプリカ)
ミケランジェロ作
本物はアカデミア美術館
ネプチューンの噴水
ヘラクレスとカクス像
バッチョ・バンディネッリ作
ヘラクレスはヘーラーによって狂気を吹き込まれ、我が子を炎に投げ込んで殺してしまう。
正気に戻ったヘラクレスは、罪を償うためにアポロンの神託を伺った。
神託は、「ミケナイ王エウリュステウスに仕え、12の試練を果たせ」というものだった
その試練のひとつがゲリュオンから牛を奪うことで、それに成功し、牛を連れて ミケナイに向かっていた。
現在のローマ近くに来たとき、カクスにこの牛たちを盗まれてしまう。
ヘラクレスはカクスと闘い、棍棒で打ち殺し、牛を奪い返した。
ミケランジェロにダヴィデ像の横にヘラクレス像の制作を依頼していた。
しかし、フランスがフィレンツェを侵略したため、ミケランジェロは軍事総監督に任命される。
ミケランジェロは多忙となり、ヘラクレス像の製作に手が回らず。
その後、メディチ家がフィレンツェを支配し、メディチ家お抱えの彫刻家バッチョ・バンディネッリがヘラクレス像を制作した。
しかし、この像の評判は悪かった。  
 このランツィの回廊にある彫像はすべて本物、美術館に大事に保存せずに置いておくというのは驚き・・・。

サビニの女たちの略奪
ジャン・ボローニャ作
ジャンボローニャ(Giambologna、1529 - 1608)
後期ルネサンスまたはマニエリスムの彫刻家。
生まれたときの名前はジャン・ブローニュ (Jean Boulogne)で、間違ってジョバンニ・ダ・ボローニャ (Giovanni da Bologna) またはジョバンニ・ボローニャ (Giovanni Bologna)と称されることもある。 

メドゥーサの首を手にするペルセウス
ベンベヌート・チェリーニ作
ベンヴェヌート・チェッリーニ(Benvenuto Cellini, 1500 - 1571)
ルネサンス期イタリアの画家、金細工師、彫刻家、音楽家。奔放な「自伝」でも知られる。
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ロッジア・ディ・ランツィ(Loggia dei Lanzi)またはランツィの回廊
イタリアのフィレンツェにあるシニョリーア広場の角にある建物で、ウフィツィ美術館に隣接している。
ロッジア・デッラ・シニョリーア (Loggia della Signoria)、シニョリーア回廊ともいう。
名称の「ランツィ」とは、コジモ1世治世下でこの建物をランツクネヒト(ドイツ人傭兵)が使ったことに由来する(ランツクネヒトが訛ってランツィになった)。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

ニコラ・マキアベリ

ジョバンニ・ボッカチオ
 
ダンテ

ニコラ・ピサーノ

ジオット

ドナテッロ
 
 
夕方のアルノ川

ポンテ・ベッキオ

小さな自動車

ポンテベッキオとバザーリの回廊
 スーパーの『CONAD』

イタリアでも柿は『KAKY』、辞典ではcachi

スーパーのコナードは市内に数カ所あり
行ったのはベッキオ橋を渡ったところにある店。

Pasticceriaケーキ、mignon小さい

キアーナのトルテッリーニ
Tortellino:トルテッリーニ
(挽き肉。チーズ、卵を混ぜた小型パスタ)

グリッシーニ

シシリー・アンチョビ 3.5ユーロ

SCHIACCIATA FIORENTINA 16.9ユーロ
 

「正義の柱」(Colonna della Giustizia)

正義の女神「テミス像」
サンタ・トリニタ広場の正義の女神像 
夕食は添乗員さんおすすめのイタリアンレストラン『イ・クアトロ・アミーチ(I QUATTRO AMIC)』でTモーンステーキを食べることにした。
ホテルから歩いてすぐのところにある。

レストラン『イ・クアトロ・アミーチ(I QUATTRO AMIC)』
”4人の友達”という意味
日本の大学生の卒業旅行の団体が来ていた。
 
夜のサンタ・マリア・ノベラ教会
きれいに夜間照明されていました。
あまり、寒くないので酔い覚ましに散歩してみました。 
 

ミックスサラダ

フィレンツェ名物のTボーンステーキ
 
右のパンがもちっとしておしいかった。
 
ムール貝(イタリア語でコッツェ)
 
チーズケーキ
 
デザート

ミネラル・ウォーターもガラスボトルで出てきた 
 
レストランの入り口。
以前に来たときからこのレストランは知っていたが
食べにいったのは今回が初めてだった。
 Tボーンステーキは焼きがレアーで少し胃にこたえた。
今日はこれで予定終了、寝ることにする。
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