2015年2月13日(金) 5日目
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□■□訪れることの少ないイタリア中部の街巡りへ□■□
午前/時の皇帝が理想都市として築いた街【世界遺産】ピエンツァへ(約120km/約2時間)
着後、自由散策
観光後、ボッティチェッリの絵画のような風景が広がる【世界遺産】オルチャ渓谷をドライブしながらチビタバーニョレッジョへ(約80km/約1時間45分)
「天空の島」・「陸の孤島」とも称される、
まるで現世から切り離されたような村○チビタバーニョレッジョへご案内
観光後、永遠の都ローマへ(約150km/約2時間30分) 
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 今日も出発まで時間があるのでフィレンツェ市内を散策してみた

サンタ・マリア・デル・カルミネ教会
Santa Maria del Carmine

教会の天井画

天井はだまし絵になっているようです
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会はカルメル修道会に属する教会である。
カルメル修道会は12世紀にブロカルドという修道士がパレスティナのカルメル山中に修道院を築いたのが起源とされている。
現代でも世界中にその修道院がある。
なお、修道院(Monastery,Abbey)は、キリスト教で修道士がイエス・キリストの精神に従って祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設。
雑学)神父・牧師・修道士 のちがい
牧師はプロテスタント教会の教職のこと、
神父はカトリック教会で司祭としての叙階を受けている聖職者で、教会で働く教区司祭と、修道院で働く修道司祭がある。
修道士は修道院で修道生活をしている人の中で、叙階を受けていない人のことを指します。身分としては一般信徒と同じですが、清貧・貞潔・服従の禁欲的な誓いを立てて信仰生活をする。修道士のことは「神父さん」とは呼ばず「ブラザー」と呼びます。

カルロ・ゴルドーニ CARLO GOLDONI

カルロ・ゴルドーニ広場
カルロ・ゴルドーニ(Carlo Osvaldo Goldoni, 1707 - 1793)
ヴェネツィア共和国の劇作家でリブレット(オペラなど音楽劇の台本)作家。

サント・スピリト教会

サント・スピリトとはイタリア語で聖霊(せいれい)という意味
サント・スピリト聖堂(Basilica di Santo Spirito)は、初期ルネサンスの教会である。
建造期間は1441年から1487年。
ブルネレスキが設計を行った。
建造の途中でブルネレスキは亡くなっており、彼の後継が建造を引き継いだ。
後継者の建造期間に計画の変更があり、完成した聖堂にはブルネレスキの設計と異なっている箇所が見られる。
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細
 
早朝のアルノ川

イタリアでは小さな車が町にマッチしている

三輪車が現役で走っている
ビエンツアへ出発
 

PORTA ROMANA ロマーナ門
現代彫刻家ミケランジェロ・ピストレットの作品

Michelangelo Pistoletto作
「Dietrofront転換」
ロマーナ門は1326年にフィレンツェを囲む城壁を最後に拡張した時に作られた。
ロマーナとは、そこからローマへの道が始まることに由来する。
その後、大砲の標的となるのを防ぐため門の高さを低く改修した。
19世紀末に人や車両が通過できるよう、門の両側に通路が設けられた。
 
 

正面工事中

大聖堂

ピッコロ・ミニ宮殿
 

シッリオ門
ピエンツァ (Pienza)
ピエンツァはコルシャーノという小さな村落に過ぎなかった。
このコムーネ出身のピウス2世が教皇となると、ピウス2世はこの地を自らにちなんでピッコロミミと名づけ、理想のルネッサンス期の街づくりに挑んだ。
フィレンツェの建築家ベルナルド・ロッセリーノを呼び寄せると、1459年から工事が始まり、大聖堂を始めとする豪奢を凝らした数々の建造物を残した。
大聖堂、教皇の館が連なるピッコロミミ広場などの街並みは世界遺産として現存している。 
市街地の歴史地区 (centro storico) は1996年に世界遺産に登録されている。
フリー百科事典Wikipedia【詳細

トスカーナ風手打ちパスタ、ラグーソース
ラグーとは
イタリア料理で、肉や魚介類を細かく切って煮込んで作るソース。
ミートソースなどがある。パスタに用いることが多い
camere la Chiocciola(カタツムリの部屋)というレストラン 
 
 
チーズ屋さん
 
ペコリーノ・チーズ 
このチーズの臭いは少しきつい
ペコリーノ (Pecorino) は、イタリア原産の羊(伊: pecora)の乳を原料としたチーズの総称。
長期間の保存を目的とし、塩分が多めに使用されているので、塩気が強い.。
そのまま食べることもあるが塩味が特徴なので、パルミジャーノ・レッジャーノやグラナ・パダーノのように、すりおろすか細かく刻むかしてスパゲッティ・アッラ・カルボナーラやジェノヴェーゼ・ソースなどの材料としてイタリア料理に使うことが多い。 
引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細

Gabinettiは便所
和式便所でした。
欧州にもにもあるのだ。
 
UOMINIはUOMO(男)の複数、DONNEはDONNA(女)の複数
 
ピエンツァ動画
オルチャ渓谷
 ヴァル・ドルチャ (Val d'Orcia) トスカーナ州シエナ県にある広い谷で、北東にはモンテ・アミアータとウンブリア州との州境がある。
ヴァル・ドルチャとは、「オルチャの谷」と言う意味を表し、オルチャ渓谷とも訳される。
名前の元となったオルチャ川が中央を横切り、美しい風景が拡がり、中世に起源を持つ様々な街があり、その中の二つピエンツァとモンタルチーノは特筆に値する。
粘土質の土壌のため耕作に向かない土地だったが、約300年に渡る土壌改良の結果、現在のような田園風景が誕生した。
現在はワイン用の葡萄栽培が盛んである。
特徴的な木は道の両側に等間隔に植えられた糸杉(由来は不明)。
名産は「ペコリーノ・ディ・ピエンツァ」と「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」
2004年7月2日よりユネスコの世界遺産として認められた。
フリー百科事典Wikipedia【詳細
 
渓谷と言うが渓谷ではなく丘陵地帯
 
 
 
 
オルチャ渓谷 動画
チビタバーニョレッジョへ、ここはとても不便な所、車がないととても行けない。
バスの駐車場に着いたが、チビタまで行くバスが1時間くらい経たないと来ない。
仕方がないので土産物屋の人の知り合いの人が有料でバンで運んでくれた。
町に入る橋の手前に自動車用の駐車場がある。
 
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)
イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)である。
2500年以上前にエトルリア人によってつくられた都市であるが、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされており、「死にゆく町」(il paese che muore)とも言われる。 
フリー百科事典Wikipedia【詳細】
 
チビタバーニョレッジョはオルビエートとボルセーナ湖と間くらいにあります。

土産物屋の前がバスの駐車場、ここからマイクロバスに
乗り換え町の入り口まで行く。このバスはこの周辺を回る
ツアーバスで関係ない。

町に入る入り口にいる切符をチェックするおじさん
 
入場切符1.5ユーロ
町に入るのは有料です
 
この橋がないと町へ行くのは大変だろう
いつかはこの町は崩れてしまうかもしれない。
 
映画『ホタルノ ヒカリ』のラストで綾瀬はるかが走っていくシーンに登場する。
 
 
 
 
   
ラテン語でIesus Hominum Salvator (救いの人イエス)の略称 
 
 
町から駐車場方向を望む
 
 町の中はこれといって見るものはない。
有名人が別荘として使ってるものもあるとのこと。
 
一路、ローマへ
 
ボナベンチュラ・テッキ( (Bagnoregio生まれ、1896-1968)、イタリアの作家
 
チビタバーニョレッジョ動画
 
ローマへの途中の道で
 
NH COLLECTION ROMA VITTORIO VENETOヴィットリオ・ベネト
ホテルにチェックインした後、夕食のレストランに向かった。
 夕食は少し気分不良でほとんど食べなかった。
リストランテ”LA BAIA” 
 今日は疲れた。寝ることにする。
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